『猫殺し』の真相
「そうよ。わたしは猫殺しの秦野ユイ」
秦野さんは抱きついていた腕を少し緩めると、すとんと床に降り、俺の目をじっと覗き込んできた。
「ね……、猫を殺したことが……?」
「ないわ」
その即答のことばを聞いて俺はホッとした。
「ないけど……、猫を完全に絶滅させられるのはわたしだけだと思っている」
「ぜ……、絶滅?」
「ミチタカくんも理想兵器のことは聞いたことがあるわよね?」
俺は無言でうなずいた。
理想兵器──東京本部で開発しているという、対猫用の最終兵器の名前だ。
猫にだけ作用する猛毒兵器。それを地球上にばら撒けば、猫だけはもがき苦しみ死ぬことになるが、他の生態系にはまったくの無害で、つまりは猫だけをこの世から絶滅させられるという、猫にとっては最凶の兵器だ。
「その理想兵器の開発を任され、チームを率いているのがこのわたし──秦野ユイよ」
「そ……、そうだったんですか」
俺は感心したのち、すぐに釘を刺した。
「……でもっ! 猫とは友好を結ぶ方向に切り替えるんですよね!? 友好のために、明日猫の町を視察しに行くんですよね!?」
秦野さんのどよーんとした目が、さらにどよーんとなった。
その口の端が少しだけ吊り上がり、「ククッ」と笑った。
「わたしが猫殺しの異名をとっているのは、もうひとつ理由があるわ」
「な……、なんです?」
「いつも口癖のように言ってるからよ」
「な……、何を?」
すると秦野さんは念仏のようにそれを唱えはじめた。
「猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す猫殺す……」
「す……、ストーップ!」
印を結びはじめた彼女の両手を、俺は急いで離させ、握りしめた。
「秦野さんはかわいいですっ! かわいいひとがそんな恐ろしい呪文みたいなの唱えちゃだめだ!」
「……物心ついた時からずっと猫を憎んできたの」
目の周りが真っ黒になり、どこを見ているのかわからない彼女の目が、忌まわしい記憶を辿るように、ぎゅるんぎゅるんと音を立てているようだった。
「……今さら仲良くしろだなんて? ミチタカくんはわたしのこれまでの人生を無駄なものにさせたいの?」
彼女は知らないのだ。
猫と触れ合ったことがないのだ。だから猫を未知の怪物みたいに思っていて、彼女の頭の中の猫を憎んでいるだけだ。
触れ合ってみてもらえばわかる。きっと、わかる。いや、絶対だ!
猫のかわいさと害のなさを体験して、知ってもらえば、ヤマナシ支部の全員が猫を好きになってしまったように、彼女も絶対に猫を好きになってくれる!
「とりあえず……」と、俺は言った。「松田さんにも言いましたが、明日、猫を攻撃するようなことは絶対にしないでくださいね? あくまで友好が可能かどうかを青江総司令官に判断していただくための猫の町訪問なんですから」
秦野さんは何も言わず、ただ鼻をフンと鳴らしただけだった。
俺はさらに釘を刺した。
「むこうにはユキタローという名前の凄い科学者猫がいるんです。あの科学力に人間は絶対に敵いません。刺激したらこっちが絶滅させられかねませんよ」
「はあ!?」
いきなり俺の頬にビンタを喰らわせると、秦野さんが大声を出した。
「猫の科学力に人間様が勝てないわけないでしょうが!? 何を言ってるの、ミチタカくん? あんたバカ!? この天才マッドサイエンティストの秦野ユイが猫なんかに負けるかっての!」
しまった。かえって刺激してしまったようだ。
明日、とんでもないことにならなければいいが……
まぁ、マオたちのかわいさに期待をかけよう。
こんな秦野さんでも、猫たちと触れあえば、絶対に、いやきっと、いやたぶん……猫のことを好きに……なるのかな?
……不安になってきた。




