マコトさんと俺
「ここが洗面所。洗面台がひとつしかないから順番で使うんです」
俺は隊長に命令され、マコトさんにNKU施設の案内をした。
小さな施設だが、教えることは意外にたくさんある。
「順番は決まってるの?」
なんだかいい匂いを口から撒き散らす彼女にちょっと緊張してしまう。
女って、いい匂いがするもんなんだなぁ……。
「起きて来た順番です。たとえ隊長でも寝坊したら一番最後になります」
「あたし、洗面台使う時間長いと思うわよ? 最後にしようか?」
『あたし』なんて言葉、生で初めて聞いた。心の興奮を隠すのが大変だった。
「大丈夫ですよ。みんなマコトさんには優しいと思うから……」
ヘラヘラしすぎてしまったかな。彼女の機嫌が急に悪くなったように見える。
「ミチタカくん」
その紅い唇に俺の名前を乗せた。
「それってどういう意味? 私が女性だから、みんなが優しくするってこと?
舐めないでよね。私、そういうのを『差別』だと感じるほうだから」
「あ……! そんなつもりじゃ……。すみません……」
「いいわ。次、案内して?」
まるで俺の上司みたいに毅然とした態度を崩さないひとだ。
俺より二つ歳上とはいえ、ここでは俺のほうが先輩なはずなんだがなぁ……。
外へ出るハッチの開け方を教え、周囲の地形や気候について説明する。
外へ二人で出ると、森から風が吹いて来て、彼女の肩までの赤い髪をなびかせた。
彼女の髪を通った風を、俺は顔面に直撃させられ、白昼夢を見そうになる。
「猫の首都はこの森を抜けた先にあるのね?」
マコトさんがそう言ったので、俺はなんとか気を取り戻した。
「はい。この森を抜けて、平地を約5km行ったところにあります」
「近いわね……。今までに猫と接触したことは?」
「何度かあります」
「戦闘になった?」
「いつもです。
昨日も花井ユカイが木の上のトウモロコシを取ろうとしていて、突然現れた黒い猫に撃たれました」
「猫はここに私達の基地があることを知ってるの?」
「さあ……。
ただ、猫に遭遇するのはいつも森の中なので、警戒しているのか森にはあまり入って来ないようです」
「向こうもこちらを怖がっているのね」
マコトさんは森の向こうを透かして見るように眺めた。切れ長の目がかっこいい。
「数で圧倒的に優るくせに、臆病なのよね」
俺は気になっていたことをマコトさんに聞いてみた。
「猫語翻訳機って、本当に猫を油断させて騙すために作ったんですか?」
「当たり前よ」
即答だった。
「猫なんかとコミュニケーションしたがる人間がいると思う?」
「ですよね」
安心して、俺は言った。
「僕ら人間は、あの『間違った知的生命体』、猫から地球を取り戻さないといけないんだから」
「そのために、この支部はあんまり努力はしていないようね」
「えっ?」
「こんなに猫の首都に近いのに、どうして攻撃を仕掛けないの?」
「そっ……、それは……」
「怖いのはわかるわ」
同情するように、言ってくれた。
「わけのわからないものは怖いもの。触れたら何が飛び出すか、わからないものね」
「えっ、ええ……」
笑いが思わず卑屈になってしまう。
「だから、慎重にですね……」
「でも、この私が来たからにはこの支部も変わることになるわ」
「えっ?」
「明日から猫と戦争を始めるわよ」
「あっ……、明日から!?」
「宣戦布告はしないわ。
一方的に攻め込んで、一匹残らずマタタビ銃でふにゃけさせて、箱に詰め込んで、海に捨てるの」
「ねっ……、猫は濡れるのが嫌いなんですよっ!?」
「だからよ。だから、やるの」
紅い唇を残忍そうな舌が舐めた。
「フフフ……。楽しそうだとは思わない? 猫ちゃんどもには恨みが積もり積もってるの、あたし。
なんで人間様が猫ちゃんなんかに平地を奪われなければいけないのよ? 山暮らしはもう沢山だわ!
大昔みたいに、平地が人間のものになれば、町が出来て、奇麗な服もたくさん売られて、賑やかな人達に自分を見てもらえるの!
猫は邪魔! 地球を人間のものに……」
「でも、出生率が……」
「それを言わないで!」
キッと睨まれた。
「そんなものは神様がきっとどうにかしてくれるわよ!」
現在、人間がこれほどまでに数が減ってしまったのは、出生率の大幅な低下が一番主な原因だ。
特に女児の出生率はたったの3%。
卵子を提供出来る母体が限られているのでは、人口なんて増えようもない。
おまけに赤ちゃんの死亡率が高く、産まれて来ても3人に1人は免疫力がつく前に死んでしまう。
もし猫を絶滅させることが出来、地球の支配権を奪えたとしても、
地球上を人間で覆い尽くすなんてことは、まず無理なのだ。
「とにかく! 明日から戦争おっ始めますから」
マコトさんが半ばヤケクソのように言った。
「そのつもりで準備しておいてね!」
青江NKU総司令官のご命令なのだろうか、それとも口から出任せ?
轟マコトさんはよくわからないひとだ。
感情任せにすぐ突飛なことを言う。
まだ赴任して間もないのに、彼女の言動に何度も振り回されてしまう。
とにかく一つだけ言えることは、彼女が俺達の支部に、何か革命的な変化を、明らかにもたらそうとしていることだった。




