この平和を壊せ(海崎リョウジ視点)
帰るなどと言っておいて、隊長をはじめ全隊員がまだ猫の町に居座り、まったりしている。
苛々するが、まぁちょうどいい。私もこの町を離れる前に何か工作をしておきたいと思っていたところだ。
『リョウジ』
上から名前を呼ばれたので見上げると、木の枝にブリキが四本の足で立っていた。
『ちょうどよかった』
私は猫語で言った。
『おまえにも手伝ってもらいたいと思っていたところだ。降りてこい』
ブリキは一瞬で降りてくると、不機嫌に口を動かした。
「ガロゥ……、ウクニャニャ、マロウー、ナ」
それを私はマコトちゃんの作った猫語翻訳機にかける。ブリキの言葉が人間語に訳されて、女性の声で発語される。
「しかし……、おまえのそれ、めんどくさいな」
「仕方がないだろう。おまえのところのユキタローとかいう白猫が作ったものほど高性能ではないんだ。一度録音したものを翻訳して各々の言語に変換して出力する仕組みなんだ。同時通訳みたいなことはできない」
とはいえ、さすがはマコトちゃんだ。これだけの長文でも、録音した後にボタンを押すと、すぐに女性の声で猫語に翻訳されてスラスラと出力された。
「ニャオニャオ。ニャンダ、ユキタローむなるる、ニャカッチャー、ニャンダコ。ミーミー、ニャコニャコ、ウルルンダ、ピィ。アオッオー、ムニャムニャ」
ブリキにも正確に伝わり、すぐに言葉が返ってきた。
『おまえが女の声で喋るの気持ちわりぃ』
『仕方がないだろう。オプションで声の性別は選べないんだ』
『もっとおまえとスムーズに話がしたいぜ』
『まぁ……。確かに、それは私も思う』
『待ってろ』
そう言うとブリキがタッ! と駆け出した。
待っていると、すぐに戻ってきた。頭に例の人間語翻訳機をつけていた。
「待ったか?」
ブリキが人間語で喋るのを初めて見た。なんだか新鮮で、つい感動したりした。
「いや……、まったく」
「お……! リョウジが猫語で喋ったぜ!」
「いや、私はふつうに人間語で喋っているが……」
「すげーな! おまえの言葉がわかるぜ! 猫の言葉にしか聞こえねェ! それにしても、おまえ、猫語で喋ると声、けっこうイケてんな」
「おまえこそ……。なんだか子供みたいでかわいいよ」
「かわいいとか言うんじゃねェよ! 気持ちわりぃ!」
口では罵るようなことを言いながら、ブリキは楽しそうに笑った。
笑うブリキは結構かわいかった。
「しかし……ちょうどよかった」
私はブリキに話をもちかけた。
「その人間語翻訳機を入手したいと思っていたところだ。私にそれを譲ってくれないか?」
「ユキタローがよ、人間には絶対に渡すなって言ってんだ」
「わかるものか。ひとつぐらい人間の手に渡ったところでバレはしないよ」
「いや……。これ、じつはマオから借りてきたんだよ」
「マオ・ウからか……」
「『すぐに返してくれにゃ!』って言われてる。返さなかったらどれだけ毎日昼寝してる横でワーワー鳴かれるか……」
「じゃあ、他の猫から……どうにかそれを入手することはできないか?」
「無理だな。ユキタロー以外にコイツを持たせてもらってるのはマオだけだ」
「そこをどうにか……おまえの力でどうにかできないか?」
「なんでオレがおまえのためにそんなことしてやんなきゃいけねェんだよ?」
「頼む。おまえと私の仲じゃないか」
「どういう仲だよ?」
「志を同じくする者同士じゃないか」
「それだけか?」
「あと……なんていうか、友情のようなものを感じないか?」
「確かに……。おまえとオレって気が合うよな」
「だろう? だから、なんとか……」
「それは無理だが、これ使って会話すんの、なんか楽しいのは事実だ」
「ム……。それは私もそう思っていた」
「言葉が通じるのって、楽しいよな」
「ああ……。おまえとこんなふうに会話ができるなんて……」
「ふふ……」
「ふふふ……」
しばらく沈黙があった。
なんだかふわふわとした、あったかい空気がふたりの間に流れ、思わず私もブリキも笑顔に──
いやいやいや! おかしいだろう、これは!
「何を和みかけているんだ、私たちは!」
「ど、どうした? リョウジ?」
「平和を壊すんだろう、私たちは? そのための同盟だ」
「あ、ああ……。そうだよな? そうだぞ?」
少し遠くに笑い合いながらメロンを交わしているユカイくんと紫色の猫を睨みながら、私はブリキにも自分にも釘を刺した。
「あんなふうな、日和った関係を壊すために私たちは手を結んだのだ! けっしておまえと仲良くなるつもりはないからな! 覚えておけ!」
「さっき『友情を感じないか?』とか言ってたじゃねェか」
「忘れろ! 忘れてくれ! あれは人間語翻訳機を入手したいあまりについてしまった心ない嘘だ!」
「そうか……」
ブリキがユカイくんたちのほうを少し遠くに眺めて黙った。
ふつふつと、彼の内にも破壊衝動が戻ってきてくれたようだ。勢いよくこっちに向き直ると、吐き捨てるように言った。
「気持ちわりぃ! オレらもあんなことになりかけてたのか!?」
「そうだ! 私たちはあんな気持ち悪い関係ではない! 私たちはテロリスト! この平和を壊す者だぞ! 忘れるな!」
するとほんとうに、平和を壊す者が空から降りてきたのだった。
それを最初に発見したのは猫たちだった。
シャーシャーと蛇みたいな声をあげて空を指さす猫たちの上に、見たこともない銀色の飛行物体が降りてくるのを、私はブリキと身を寄せ合って、ただ見守っていた。
(第一部『人間 vs 猫』 完)




