ねこ語の練習
猫の町を色々見て回った。
とはいっても変わり映えのしない、自然そのままの景色がずっと広がっているだけだ。景色だけならすぐに飽きてしまっただろう。
どこを歩いても猫のいない場所はなくて、色んな猫とすれ違う。
怯えたように逃げ出す猫もいれば、興味津津というようにじっと見てくる猫もいる。
並んで歩くリッカが言う。
「ねえ、ミチタカ。挨拶してみたら?」
知っている。猫の挨拶といえば『イーきにー』だ。
「おはよう」でも「こんちには」でも「こんばんは」でも、「元気?」「初めまして」「天気がいいですね」「いい毛並みですね」でも、すべて翻訳機にかけると『イーきにー』と発音される。どんな挨拶にも使える便利なことばだ。
俺が猫語翻訳機を手にすると、リッカがくすくすと笑いながらそれを止める。
「それぐらいは翻訳機を使わずに自分の口で言ってみたら?」
言う通りだと思った。マコトさんの作った猫語翻訳機は人間の喋った言葉を女性の声で猫語に訳して発声する。でも『イーきにー』ぐらいは自分の口で言えるだろう。猫が何か答えたら翻訳機に訳してもらえばいいのだ。
俺は三匹固まってこっちを遠巻きに見ている猫たちに、自分の口で話しかけた。
「いーきにー」
猫たちがビクッ!となった。
耳が後ろを向き、口を固く結び、真っ黒な瞳孔が大きくなってまん丸になった。
伝わらなかったのかと思い、俺はもう一度言った。
「いーきにー」
すると猫たちが俺を非難するように、口々に何かを言った。
翻訳機で拾ってみたが、声が重なってしまって聞き取れない。
「彼ら、何て言ったの?」
隣のリッカに聞いてみた。
するとリッカはおかしそうにクスクス笑いながら、教えてくれた。
「『何気軽に話しかけてんだよ』『何言ってんだ』『アタマおかしいのか?』ですって」
「ひどいな……」
軽くショックを受けた。
「挨拶したのに……罵倒で返すなんて」
リッカはクスクス笑い続けながら、
「聞き取れなかったみたいよ。確かに発音、なってなかったもの」
そう言って、伝わってすらなかったらしいことを教えてくれた。
「え? 発音おかしかった?」
簡単なことばなのに……と思いながら、もう一度口にしてみる。
「いーきにー」
「あはは。それじゃ何を言ってるのかわからないわ」
「な……、何がいけないの?」
(ΦωΦ) (ΦωΦ) (ΦωΦ)
人間8人集まって勉強会を始めた。
草の上にみんな座って、授業を受ける生徒のように同じ方向を向く。
その前にリッカが立って、ゆっくりと言った。
「『イーきにー』……。はい、リピートしてください?」
隊長が真っ先に言った。
「いーきにー」
少し遅れてみんなで復唱する。
「いーきにー」
「いいきにー」
「いいメロン」
「だめです。それじゃ猫に通じません」
リッカが全員にダメ出しをした。
「発音もアクセントも全然違いますよ」
「そんなこと言ったって」
隊長が少しブスッとした。
「猫ちゃんとは声帯が違うから我々には無理なんじゃないのかね?」
「でもリッカちゃん発音出来てますよ。猫に通じてた」
さる……山田先輩が珍しくいいところに気がついた。
「リッカちゃん人間なのに……あれ? もしかしてリッカちゃんて、猫?」
「ぼくたち人間どうしでも遠い国にいる人とは会話が出来ないと聞くよ」
猫本さんがうんちくを語る。
「『ハロー』って言っても『ニーハオ』って返されるんだって」
「いいですか?」
猫語翻訳機を作ったマコトさんが手を上げた。
「たとえば私たちが『あん』と発音している言葉でも、中国人には『an』と『ang』に分かれるんです。私たちが違う言葉として分けている『た』と『だ』は中国人にとっては同じ『da』という言葉に聞こえます。同じように、コツがあるのです。「いーきにー」を猫ちゃんにも『イーきにー』と聞き取ってもらうコツが」
リッカが声をあげた。
「あっ、マコトさん。今の発音はなかなかよかったですよ」
「そりゃーあたしは猫語研究室にも出入りしてたし、猫語翻訳機も作れたぐらいですからね」
なぜか喧嘩口調でマコトさんがリッカに答える。
「あんたなんかに負けないわよ」
「私は自然に話せるようになったので……」
リッカは勝負なんてしてない口調でマコトさんにお願いをした。
「コツを教えろと言われても、論理的にそれがわかってないんです。よろしければ、マコトさんから皆さんに、そのコツを教えてあげてはもらえないでしょうか」
「ふふふ……いいでしょう」
気分よさそうにマコトさんが立ち上がった。みんなの前に立つと、命じた。
「あたしを『先生』とお呼びなさい」
「せ……、先生」
「先生!」
「女王様! お願いします!」
するとそこへマオがやって来て、俺に聞いた。
「何をしてるだにゃん? 楽しそうならぼくも混ぜるがいい」
「猫語の挨拶をみんなで練習してるんだよ。上手になったら自分の口で挨拶できるようになるだろ?」
「まずはお手本をお聞かせします」
マコトさんが大きな声で、言った。
「イーきにー!」
きゃっはっはっ、とマオが笑い出した。
「全然違うにゃ! そんなイーきにーでは関西人には通じないにゃ!」
どうやら「なんでやねん」の一言だけで関西弁ネイティブでないことはバレるみたいな深い話らしかった。
「いいかにゃん? おまえらよく聞け」
マオのレクチャーが始まった。
「『イー』は高い壁からするっと飛び降りるように言うだにゃん。『イー』!」
みんなが復唱した。
「イー!」
「イー!」
「イー!」
「そして『きにー』は、ひだまりでまったりとろけるような甘い声を出すのだにゃん。『きにー』……」
「きにー……」
「きにー……」
「きにー……」
「はいっ! それでは皆様、ご一緒に……にゃん! 『イーきにー』」
『イーきにー』
『イーきにー』
『イーきにー』
「完璧にゃ!」
みんなは猫語の挨拶を習得した。
やはり言葉はネイティブに教わるのが一番のようだ。




