◆◆◆◆ 9-53 鶴風の戦い(2) ◆◆◆◆
【 シュレイ 】
「…………」
遠くに聞こえる鬨の声に、楽・シュレイは耳をそばだてた。
【 シンセ 】
「従兄様……もう、戦いは始まっているのでは?」
簡素な寝台に横たわった楽・シンセが問う。
先日、ホノカナに斬られて生死の境をさまよった彼女だが、今は回復しつつある。
それでも大事をとって、静養しているのだった。
【 シュレイ 】
「で、あろうな。だが、私は謹慎中の身だ。なにもできぬさ」
シンセに飲ませるための薬を鉢で混ぜながら、シュレイが答える。
〈神算朧師〉の二つ名で知られる策士たる彼だが、先の一件で謹慎を命じられており、今できるのはこの程度のことであった。
【 シンセ 】
「ですが……」
【 シュレイ 】
「策とか計略といったものは、本来、弱者が用いるものだ」
【 シュレイ 】
「今回でいえば、戦力では圧倒的に嶺将軍が優位……下手な小細工など必要ない。もともと今回、私は出番がなかっただろう」
【 シンセ 】
「策を用いるのは……あちら側、と?」
【 シュレイ 】
「そうなるだろう。今回の戦いはこちらが圧倒的優位といったが、敵方にも逆転の目がないではない。たとえば……」
【 シンセ 】
「嶺将軍の暗殺――ですか?」
【 シュレイ 】
「そうだな。それを果たすことができれば、すべてはひっくり返る。この軍は四分五裂となって、この造反劇は終幕となろう」
【 シュレイ 】
「むろん、そうならぬための備えは万全にしてあるが……しかしそれでもなお、暗殺を防ぐのは難しいものだ」
偉大なる英雄が、ほんの一瞬の隙を衝かれ、刺客の凶刃に斃れた例は、枚挙にいとまがない。
*枚挙にいとまがない……多すぎていちいち数えきれない、の意。
【 シュレイ 】
「暗殺は、名もなき人間が歴史を変えてしまう行為……いかに万全な警備を整えようとも、それでも起きてしまうものだ。人間が人間である限りは、な」
英雄……まして将軍、政治家となれば、他人とかかわらずに生きていくわけにはいかない。
そして、その中に暗殺者が紛れ込むのを阻止するのは、きわめて困難なことなのである。
【 シュレイ 】
「むしろ、戦後……少し落ち着いてきた頃にこそ、気をつけねばなるまい。刺客の刃は、人の心の隙につけ入り、迫るものだ」
【 シンセ 】
「……もし、帝都の天子が御車に乗って戦場に現れたなら、いかがでしょう?」
*御車……皇帝が乗る馬車、戦車の意。
【 シュレイ 】
「皇帝親征か……ありえなくはないが、仮に実現しても、さほどの脅威とはなるまい。今の天子は若く、声望もないからな」
【 シュレイ 】
「はるか昔ならともかく、ただ天子の位にあるというだけで、神のごとく崇められるような時代でもない」
【 シュレイ 】
「……だが万一、煌太后が戦場に出てきたならば、ちと面倒なことになるだろうな」
【 シンセ 】
「確かに、それは……」
皇太后である煌・ランハの名声はすこぶる高く、地を覆うものがあり、ヨスガとは比較にならない。
グンムとても、おいそれとは手を出せぬであろう。
【 シュレイ 】
「しかし、それはまずあるまい。病に臥せっている……というのが事実かどうかはさておき、こうした場面では、決してみずから表には立たぬ御仁だ」
【 シュレイ 】
「ことが終わってから、悠々とお出ましになって、美味しいところだけを味わおうとすることだろうさ」
【 シュレイ 】
「雲上人とは、そういう連中だ。旧時代の遺物そのものだな」
吐き捨てるように言う。
【 シンセ 】
「……従兄様ならば、きっと、新たな世を築くことができましょう」
【 シュレイ 】
「……そうありたいものだが。さぁ、できた」
と、煎じ薬をシンセへと手渡す。
【 シンセ 】
「ありがとうございます。……んっ、んん、少し……苦い、ですね……」
身体を起こして薬を飲むも、顔をしかめるシンセ。
【 シュレイ 】
「文句は、薬を作った碧師弟に言ってくれ。……いや、そもそも、私の蒔いた種だ。すまなかった」
シンセが深手を負ったのは、シュレイの命を受けての結果だった。
【 シンセ 】
「……お気になさらず。私の命は……貴方のためにあるのですから」
【 シュレイ 】
「…………」
シュレイは無言で、いたわるようにシンセの手のひらを撫でた……
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