◆◆◆◆ 3-8 大魚 ◆◆◆◆
【 ユイ 】
「……修羅の道を選ぶべし、ときましたか。綺麗な顔をして、ずいぶん物騒な御仁ですなぁ」
その夜、あてがわれた客室で、タイシンとユイが膝を突き合わせていた。
【 タイシン 】
「剣呑な人物のようだ。将軍は客人と言っていたが……本人は軍師きどりとみえる」
よく切れる刃物は便利だが、油断すれば己を傷つけることもある。
【 タイシン 】
(それもわかったうえで、あの男を身近に置いているのだろうか?)
グンムの心中は、計り知れないものがある。
【 ユイ 】
「それで、肝心の大将のほうはどうなんです?」
【 タイシン 】
「今のところ、動く気はなさそうだ。韜晦の芝居かとも思ったが……あれは本気のようだな」
*韜晦……才を隠すこと。
【 ユイ 】
「見たところ、きっぷのいい兄ちゃんって感じで、ことさら有能にも見えませんがね」
【 タイシン 】
「確かに、キラキラときらめくような才の持ち主ではない。しかし……」
ユイのグンム評に苦笑しつつ、タイシンは続ける。
【 タイシン 】
「きらめく人材を使いこなす才覚は、以前からきわめて優れていた。だからこそこれまで、いくさでも結果を出してきたのだが……」
【 ユイ 】
「あの若さで楽隠居とは、結構なご身分ですねぇ」
【 タイシン 】
「そう言うな。人間、一度権力や権威を手に入れてしまうと、なかなか手離せぬものだ。それだけ、地位というものは得難いものだからな」
【 タイシン 】
「だが、彼はあの若さで、いともたやすくすべてを捨ててみせた。それだけでも、並みの男ではないよ」
【 ユイ 】
「ははぁ……そういうもんですかね」
タイシンほどには、グンムを高評価する気にはなれないユイだった。
【 ユイ 】
「それで、そんな男を引っ張り出して、いったいどうするつもりです?」
【 タイシン 】
「なに、今のままでは、いささか役者が足りぬのでね」
【 ユイ 】
「…………」
彼女の護衛を務めて数年になるユイではあるが、タイシンの腹のうちはろくに読めない。
【 ユイ 】
(これも商売のタネ……ってところか?)
もっとも、疑問を抱きはしても、あえて問いただす気はなかった。
彼がタイシンに近侍しているのはかつて受けた恩義のためであり、彼女の本質が善か悪かはさして問題ではない。
その胸の内が、真の意味でユイの流儀に反していたら――そのときは、また話が変わってくるだろうが。
【 タイシン 】
「とはいえ、本人に出馬の気がないのは厄介だな。……すまないがユイ、ちょっと探し物を頼まれてくれないか」
【 ユイ 】
「探し物……ですか?」
【 タイシン 】
「あぁ。彼は――グンムは、とある人物……恐らくは女性を、どこかに隠している。それを探って欲しい」
【 ユイ 】
「女……ですか。女房じゃあなくて?」
【 タイシン 】
「そこまではわからん。だがどうもそれが、隠棲の理由のひとつでもあるように思えるのでね」
【 ユイ 】
「ははぁん、それをネタに脅そうって寸法ですか?」
【 タイシン 】
「人聞きが悪いな。大魚を釣るには餌がいる……それだけのことだよ」
【 ユイ 】
「そいつは結構ですが……お一人で大丈夫で?」
【 タイシン 】
「なに、おとなしくしていれば心配はないさ」
【 ユイ 】
「――心得ました。では……」
ユイは一礼すると、溶けるように物陰に消えていった。
【 タイシン 】
(さて……念のために、手は打っておかねばな)
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