◆◆◆◆ 8-13 尼僧と侠士 ◆◆◆◆
【 ユイ 】
「本当に酒を持ってきた方がよかったですかね」
【 女 】
「アハハ! ご冗談を――このゾダイ、戒律を破ったりはいたしマセン! ええ、いたしマセンとも!」
そう言って笑うこの尼は、大萬天・ゾダイ。
北方の深牙の民にして、〈三貴の教え〉と呼ばれる宗教の尼僧である。
飲酒は戒律で禁じられており、先ほどのやりとりは、ユイとの間の合言葉にすぎない……はずである。
【 ユイ 】
「朝から精が出ることで」
【 ゾダイ 】
「読経は大事ですのデ! 最近は新たに信徒も増えてきマシて、ありがたいかぎりデス!」
【 ユイ 】
「それはまた……」
【 ユイ 】
(……ずいぶん呑気なもんだな)
半ば呆れ、半ば感心する。
間諜まがいの立場でありながらも、すっかり馴染んでいるようだ。
もっとも、三貴教の尼僧であることには違いないし、疑われる心配は少ないのだろうが。
【 ユイ 】
「それで、会見の日取りと場所ですが……」
【 ゾダイ 】
「そのことデスが……いっそ、先方にこちらに来てもらってはいかがデス?」
【 ユイ 】
「いやいや、無茶言わないでくださいよ。どうやって連れてこいって言うんです?」
【 ゾダイ 】
「えー? でも以前、侠士殿は、拙僧をこちらへ連れてきてくれたではありマセンか」
先だって、タイシンから頼まれた一件に、
『ある人物と同行して、敵陣まで送り届ける』
というものがあった。
他でもない、このゾダイこそがその対象だったのである。
【 ユイ 】
「あの時は、今みたいに河が荒れてなかったでしょうに……」
ゆえに、彼女を背に負って、河を渡ってくることもできたのだが、男女では体格も異なるし、なにより……
【 ユイ 】
(あの宰相閣下が、そんな危ない橋を渡るとも思えんしな)
まあ、他にどうしようもないとなれば、話は別かもしれないが。
【 ユイ 】
「うんと川下まで大回りすれば、渡って来れなくもありませんが……そうなると何日もかかってしまうし、その間、不在になるのはまずいでしょう」
【 ゾダイ 】
「まア、そうデショウ! デスので、すでに場所と時間は決めさせてもらいマシタ」
と、書付を取り出す。
【 ユイ 】
(……もう決まってるのかよ)
内心でボヤきつつ、受け取って目を通す。
【 ゾダイ 】
「もちろん、これはあの方からの案デスが……」
【 ユイ 】
「…………!」
手渡された書付を見て、ユイは一驚した。
【 ユイ 】
「……本当に、これでいいんですか?」
【 ゾダイ 】
「あの御仁が、戯れを口にするとは思えマセン」
【 ユイ 】
「……それはそうでしょうな。しかし、こちらはいいとして、あの方はどうやってここに行くつもりなんです?」
【 ゾダイ 】
「さぁ? まさか、侠士殿のごとく、分身の術など使えるとは思えマセンが……」
【 ユイ 】
「それに、あなたも来るんでしょう?」
【 ゾダイ 】
「当然デス、立会人デスので!」
ますます、わからなくなってきた。
【 ユイ 】
「……陣中に方士がいるとか?」
方術を使えば、ひとりやふたり、河を渡ることは難しくないだろうが……
【 ゾダイ 】
「さて……? それらしい者は、見かけたことがないデスね」
【 ユイ 】
「…………」
しばし迷ったものの、
【 ユイ 】
「……ともあれ、先方に伝えてみましょう。その後は……」
【 ゾダイ 】
「ええ、当日、お会いしまショウ!」
【 ユイ 】
「…………」
【 ゾダイ 】
「おや……どうされマシタ? 用件は、もう終わったかと思いマスが」
【 ユイ 】
「ええ……そうなんですがね」
【 ユイ 】
「これは、単なる雑談だと思って欲しいんですが……ちょっと尋ねたいことがあるんですよ。構いませんか?」
【 ゾダイ 】
「ええ、拙僧に答えられることなら、喜んデ!」
【 ユイ 】
「それじゃあ……ちとお尋ねしますが」
ユイは身を乗り出して、いっそう声を潜めた……
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