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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

代わりの機体

作者: エリス計画

 できることなら、彼女の指先で終わらせてほしかった。

 そう思うのは、体の奥が冷たくなって、ファンでも排出できないところに、今もまだ彼女の熱が残っているからだろうか。彼女は男性の筋肉質でむき出しになった左腕を掴んで、私を見ている。

 その人は誰か。メモリーを検索し始める。

 いつだか、彼女と体を合わせたときの、自分に無いタンパク質とふくよかな脂肪とカルシウム質で作られた生体の一つ一つ、キリキリと軋む協和音を感じたことがあった。そこに心臓のビート、さらに言葉とが乗っかってマーチングバンドのように、にぎやかな聴覚への刺激が脳内で何度も再生された。

 ひどい女だと、情報が書き変えられはじめる。

 自分のメモリーに無い、男の人の人差し指が自分の胸へ伸びる。その指を嫌って隠したのを見た彼女は、私を抱くようにして、隠す腕を抑えた。

 ニルギリの紅茶を入れた紙袋を取り落とす。 

 隠していた手を胸のポケットに移して、社員証の片割れをぎゅっと握る。

 意識が無くなってもきれないように。

 その人は誰か。メモリーを検索したが、思い当たらなかった。

 服越しに男性の人差し指が数秒胸に触れて押し込まれると、途端に眠気が襲った。


 工場を卒業した私は2年前に今いる会社に勤めることになった。と言うか出荷された。個人のサポートのために一人一台、そのように寄り添うべく勤めるのだ。私の最初の、そして今も続くパートナーとして彼女に着くことになった。朝、彼女は遅刻する1分前に会社へと駆け込んでくる。それを知っている私は部署まで並走できるように、あらかじめ体を温めておく。乱れた長い髪に何かを咀嚼しつつアイスコーヒーを手に走ってくる彼女は、私を見るとパッと笑った。

「ごめん遅れそう」

「知っています。どうしようもないんですよね」

 ここから時速7.5 km で並走する。

「なんでも知ってるな私のこと」

「もちろんです。パートナーですから」

 全速力で手足をばたつかせているパートナーに、社員証を提示する。社員証は半分に割れた形になっていて、破れた部分をはめ合わせることで出社時間の記録、体温などの健康チェックが行われる。

「ぜえ、はあ」

 彼女も差し出すが走りながらなので全然合わない。カツカツとお互いの社員証が鳴り合って、

「もう!」

 と彼女は憤った。

「併せてよ!」

「一定の速度、一定の高さを保っていますが」

「生身の人間には無理だとわかるでしょ」

 そう言ってエレベーターの前で立ち止まった時に、社員証を合わせた。

「遅刻ではありませんが、会議には遅れてしまいますね」

「始業と同時に会議を入れる会社が悪いんだけど」

「そう言ってコンプライアンス担当者に報告しておきましょうか?」

「止めて」

「わかりました、聞いたことは聞かなかったことにしておきます」

「そうして」

 エレベーターに乗り込みながら彼女は言った。

 それから12階まで登る間二人は話さなかった。彼女はスマートフォンで資料を読んでいる。その間に彼女の正体情報サーバーに送信すると、「高血圧」との返事が返ってきた。

 彼女を12階まで送った後は、彼女から会議中も次々と送られてくるメッセージに従って、業務をこなしていく。例えば、紙ベースの資料しか目を通さない、偏屈な上司のためにコピーを取っては持って行き、決まった日時に合わせて、他社のサポートへアポイントを送りつける。言われた通りにこなしていくうち、昼食休憩の時間がやってくる。

いつものように頭を抱え、窓のない行き止まった廊下で彼女は待っている。

「ダメだったな-。何がダメだったんだろう」

そう言って、片手で飲むゼリーを口にくわえる。

「朝、血圧が高いことではありませんか?」

「嘘?こういうのばかり飲んでいるからかな?」

と、口にくわえながら喋っていた。

「食事が高血圧に誘うものばかりを食べているからというわけではなく、朝、ゆとりを持てないことが問題では?」

 乱れた前髪を、左手に持ったくしでかき分けて言う。

「え、そっち?難しいな。5分早く出ても、20分早く出ても、同じ時間に着くのよね」

「早く家を出ると、お店に寄れる時間がある。コーヒーを買う時間がある。そういうふうに感じるのでは?」

「どうして知ってるのよ?」

「知っているのではなく、長年のデータによる推測です」

「あなたのことなら何でも分かります、みたいに言って欲しかったな」

「では、次回朝遅刻しそうで血圧が上がり、会議を余裕がなくて失敗し、お昼の時間に落ち込んでいる時、どうして知っているの?と聞かれたらそのようにお答えしますね」

 彼女はふふんと笑う。

「じゃあもう言えないわね」

「どうしてですか?」

「次からは余裕を持ってくるからね!」

 そう言う彼女に次の日、「あなたのことなら何でも分かります。」と言うことになるとは、私の長年のデータ蓄積からも推測できなかった。


 彼女は落ち込むとキャンプへ行く。休日、私は会社から貸与可能だ。休日は完全に会社と関わりを断ちたい人のパートナーは会社で休眠するし、独身人間の買い物の荷物持ちとしてこき使おうとするのも許可されている。より身近にパートナーを感じて欲しい会社の思惑だ。もちろん壊しては高い修繕費を払わなければならないが、壊れるような扱いをする人は既に人を殺めてしまっているだろう。

 キャンプに行くと彼女は12時間しゃべる。平日の間に喋らせてもらえない、積もりに積もった言葉が堰を切る。かえって私は省電力で彼女の言葉を聞くだけという心地よいコミュニケーションが行われる。彼女は私に対してある程度信頼をしてくれているらしい。なぜなら声のデシベルがいつもより高まるからだ。また、会話に用いる単語が、「会社の貸与品」である私に向けて発せられるべきでない単語が数多くカウントされるところからもそのように推測される。


 全部の言葉を録音してはその場で消していく。断片的な思い出となりそうな写真だけを残して。その日のキャンプでは2枚だけ写真を残した。夜、牛肉の塊を300グラム食べ終えた後のお楽しみとして、カバンから250ミリリットルの缶ミルクを開ける。それを直接火にかけて、薄く水蒸気が上がったらチョコレートをひとかけ入れる。それから、熱がりながらも取り出して、息を何度も吐きかけながら、時間をかけてミルクを飲む彼女を、青い山とともにフレームに収める。


 12月2日に10倍変わったことがあった。彼女が始業の10分前に来たのだ。私はその日初めて、彼女とゆっくりと社員証を合わせた。一度噛み合わなかったが、二度目で噛み合う。いつも落ちかけていた口紅は綺麗なままで、髪も丁寧にとかされている。いつもと違う生体情報に私は戸惑ったが、サーバーからは「正常」というメッセージが来た。

「どうしたんですか?正常ですよ?」

「えっ、何故正常なことに疑問を持たれるの?」

「あれ、そうですねぇ」

 私たちはゆっくりと歩きながらエレベーターに向かう。

「今日は会議は大丈夫ですか?」

「うん。今日は先輩とタッグを組むからきっと平気」

 今日の会議の出会者を検索すると、なるほど、彼女の教育役の女上司が同席する予定だ。それならきっと大丈夫だろう。

「では何かあれば、メッセージをください」

「うん」

彼女を12階で見送ると、コピーでもアポイントでもすぐに動けるように余裕を持って準備した。しかし待てど暮らせどメッセージは来ない。そしてとうとうお昼休憩の時間になった。しかしメッセージはこない。もしやと、行き止まりの廊下に向かうと彼女はいた。しかし一人ではなかった。彼女の近くへ行き、

「よかった、心配したんですよ」

と言いに行くと、まず男性の方が振り向いた。次に戸惑ったように彼女が私を見つけ、

「あ、あのちょっとあっちに行ってて」

「今日はうまくいったのでしょうか?」

「議事録を見たらいいでしょう」

「うまくいったのなら、おめでとうを言いたくて!」

「あの、ありがとう。えっとーちょっと向こう行ってて」

「分かりました。10メートル離れます」

「ええっと、もっと」

 彼女の命令通りにもっと向こうへ行った。曲がり角を曲がって二人の声は聞こえなくなる。それから、壁際で命令のないままに立ち尽くしていた。

 やけに自分の胸部のファンがよく回る。発熱が激しいのだろうか。胸の、強制停止ボタン付近が、人が低温火傷する程度に熱い。そうして、彼女を今まで撮った写真がメモリーで再生され続ける。1000枚2000枚と。あのキャンプで撮った青い山をバックに、美味しそうにミルクを飲む彼女の写真も。

 しかし機械の頭なんて単純なもので、彼女から明日の休日にキャンプというリマインダーが共有されただけで、熱は治り、彼女の写真が作業領域で再生されるのが止まった。

「嬉しい」

 その日は午後も一度も彼女と会って仕事ができなかった。


 次の日はどの機械よりも早くスリープから目覚めた。直近の画像データの中から何枚かを再生して、彼女と一緒に楽しめるようなプレゼントを買うためのヒントを探した。やはり青い山をバックにした写真だろうか。自分の閲覧回数が歴代2位と凄まじい。そうだ、青い山という意味のニルギリの紅茶を買って行こう。その紅茶は彼女と一緒に飲むのだ。味わうといっても味覚分析しかできない私だけれど、いつもと違うデータが取れるに違いない。

 旅行者向けに朝早くから開いている、紅茶を扱うお店へ向かう。多くのお茶の彩りが調和を図っていると推定された。

 彼女の笑顔の写真が取れればと、明るい色でラッピングをしてもらい、いつもの待ち合わせ場所へリマインダーの時間通りに行く。

 そこには彼女がまだ来ていなかった。

 まあ、まだあと10分ある。あと10分もすれば来るだろう。その待ち合わせ場所にはもう一人男がいた。せわしなく携帯端末を操作していて、やや頬の温度が高いようだ。正確にはわからないけれど。

 1分もしないうちに彼女が来た。男が駆け寄る。彼女は男の腕にしがみつく。それから頭を胸にうずめた。

 さらに互いに腰やら頭やらを触れあう。

 男の顔を照合しても、誰とも合わない。

「あの」

と声をかけると、二人して体をビクッと震わせた。

「あれ、あなたどうしているの?」

「えーとどうしてとは?あなたがリマインダーに設定してくれたじゃないですか」

「あれ共有してたっけ?」

「しましたよ!」

「ちょっと待って、して……くれた?おかしいな、自分のために、みたいな言い方プログラミングされていないはずだけど」

 体が小刻みに震える。ファンが激しく回るけれど一向に熱は出ていかない。作業領域の中で何度も何度も彼女の写真が再生される。出会いから今まで。

 そして私の一番大事なあの日、キャンプ場で二人で抱き合って眠った時の大切な写真。耳元の吐息。体のあれこれが感覚としてよみがえる。社員証。もう半分を彼女が持っている。なぜかそれに手を伸ばす。あの日の写真。抱き合って眠った時の自分が男姿でモンタージュされる。

 照合完了。男の髪型に流行を取り入れた変化が見られ、メガネを姿がコンタクトレンズに代わり、光彩を認識しづらかった。この男は12月2日に会ったと結果が出た。彼女と同会議に出会している。

 男は手を伸ばすと、ためらいのないその指先で胸に触れた。


 それでも私を押さえつける彼女の手の感覚を、眠りにつくまで覚えておきたいと思った。



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