オマケのオマケ 完結したその後と本当のゴール
出発点は、
「自身が表現したいことを」だった。
だがエンタメには、
「受け取り手の欲望を代りに体現する」
という側面もある。
鑑賞することで受け取り手は疑似体験、満足を得るというわけだ。
だから「ニーズ」は存在し、
作り手はあくまでもそのニーズを満たすべく駆動することになる。
一流のプロはこれらの折衷案でもってして作品を仕上げる。
または、自身の表現したいことがたまたま時代のニーズに合致し、
ヒットメーカーと成る。
果たして自身はどこに身を置き、何をどう書き切るのか。
もし少しでも長い間、創作を続けたいと考えるなら、
意識しておくことは強みになるだろうと感じている。
自身に書き表したいイメージが特になく、
ニーズにもこたえられなければ、
自身にも、他者にも、不満は残るだろうし、
自身に書き表したいイメージがあろうとも
ニーズに沿っていなければ
他者からは、自身が思うほど関心を向けられることはないだろう。
自身に書き表したいイメージはないが
ニーズだけは把握できており応える事が可能な場合、
賞賛を浴びるに違いなく、しかしながらもしかすると評価に振り回されたり、少し空虚な気分を味わうことになるかもしれない。
トップを走り続ける一流というのは、氷山の一角に位置するためそう呼ばれるのであって、「稀な存在だ」というのが前提にある。
ゆえに参戦する大半はその範疇にあらず、そのとき抱える自身の不都合は果たして何なのか。
知って突き進むのと知らずに行くのでは、
作品の方向性に完成度、完成後の満足の質に度合いも、違ってくると感じて止まない。
それは自信や楽しさ、喪失と挫折を振り分ける道しるべでもあろう。
自身はどのスタンスで書くつもりでいるのか。
全体を通して常に忘れずにいることは、
物語の「おしまい」とはまた異なるゴール設定で、
物語の内容や技巧とは全く関係のないところで大事にすべきカラー、
「作品の方向性を位置付けるもの」だと思っている。
この心構えはおそらく何より最初に定めておくべだろうが、あえて最後に。
ちなみにオイラは書きたいものはあるがそれ自体のニーズはなし、
己のみに正直に追及する超ワガママスタイルを極めている。
ゆえに最初から注目、交流を含め読者への期待はかなり低く設定されている。
(このノウハウももちろん例外ではない)
万が一にも勘違い、
「自分も欲しているから人も望むはず」
と思っていたなら、こうも続かなかったろうと振り返る。
むしろ好意的に受け取られると
「裏があるにちがいない」くらい怪しむし、まあぬか喜びで信じない。
という一連のリスクヘッジがあれば、いろいろな意味で自由だし、
へこたれないよという話だ。




