影の迷い道
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
なーんか、ここのところ影が長くなったと思いません? 私自身、この夏でそんなに背が伸びた記憶はないんですけど、どうしてなんでしょ?
――はあ、太陽の位置の関係? 斜めから差せば差すほど、影は長くなる?
へえ、夏至と冬至じゃ約8倍の差が生まれ得るんですね。そりゃ確かに、長くなった感が出てくるわけですよ。
影って創作の世界じゃ、よくいじられる要素ですよね。何かしらの正体を暴く時には影に注目しろとあるし、影を利用した術や魔法は私だって知っているくらいです。最近、また影に関する奇妙な話を仕入れることができましたしね。
先輩も、興味があったら聞いてみませんか?
私のおじの話になるんですけどね、おじがまだ小さかった頃は、使い捨てカイロが大人気だったらしいんですよ。
特に同じクラスの男の子の一人が、ずば抜けていました。彼はえらく寒がりだったんです。ひょろ長な体型で、さもありなんといったところですが、その分、彼の使いっぷりは徹底していました。
学校で許される目いっぱいの厚着の下に、使い捨てカイロを大量に忍ばせていたんですよ。前開きの上着の下にびっしりと、テープでいくつも貼り付けてましてね。「お前の服はスケールアーマーか!」って突っ込みたい密集具合だったそうなんですよ。歩くたびにサックサックと鉄粉を揺らす音が伴うのも、鎧という表現にピッタリきたとか。重ね着具合もあって、彼の図体はひと回り大きく感じられるほどだったとか。
同じところにカイロを当て続けると、低温やけどの恐れが出てくる。そう注意書きにあるにも関わらず、彼は学校にいる間、体育の時間をのぞいて服を脱ぐことはなかったそうです。
おじは彼と仲が良く、帰り道も同じだったこともあり、行きも帰りも彼が大量に汗をかいているのをみて、さすがに諫言したんですよ。そんなカイロの使い方は自重したら、とね。
でも彼は、これが自分に必要なことだといって、譲りません。おじ自身もそれ以上の追及はしませんでした。
彼ほどではないにせよ、寒がりなおじ本人にとってカイロは必需品。その程度がはなはだしければ、彼のようになっているかもしれませんから。寒い日が続き、カイロを有り難く使い続けるおじですが、やがておかしなことに気がつきました。
それは自分の影です。
その日の学校帰り。件の彼は「ちょっと用事があって」と昇降口で分かれて、早々に一人旅と相成りました。
六校時あがりの放課後です。建物と建物の間を歩く時、差してきた西日をもろに浴びることになって、ついまぶしさに手をかざしてしまうおじ。その時に、ふと建物たちと自分の影を見比べて、「あれ?」と思ったんですね。
西から日が当たれば、東へ向かって影が伸びる。これが自然の摂理ってものでしょう? なのに今日のおじさんの影は、南側へ向かって突き進んでいたんです。他の建物の影にぶつかって溶け込んでしまうまでね。
道行く人は自分たちのことで精いっぱいのよう。おじさんの奇妙な影に、気がついている様子はありません。おじさんは試しに、影の伸びる方向へ足を伸ばしてみます。
建物の影の中を通り抜けにかかりますが、完全に抜けるより早く、おじさんの影の先が、新しい日なたに姿を現します。しかも進んでいくうちに、影の先端は不自然に曲がり、まるで道を指し示しているかのようだったと、おじは話していました。
影を追ううちに、胸が熱くドキドキしてきます。胸の中へ入れ、すっかりおとなしくなっていたカイロが、またにわかに熱を取り戻したかのような心地さえしていました。
影が示すまま田んぼ道を通り、トンネルに入って、おじさんはどんどん学区の端へと向かいます。そのトンネルは歩道と車道の区別がない代わりに、中型のトラック同士がすれ違ってもなお余裕を残すほど、幅が広いものです。
おじも何度か通ったことがありましたが、直近でも数ヵ月前の記憶。その時にはトンネルの左右に、スプレーの落書きがいくつもありました。大半が素人レベルでしたが、一部だけ、本職が書いたんじゃないか思うほど、レベルが高いアートが混ざっていたんです。
奥まった左右に、二つの島を控える大海原。浅く波が立つ水面からは、黒々とした巨大な腕と握りこぶしが一本だけ、高々と突き上げられている。初見ではその圧倒的な画力に、しばし足を止めてしまった記憶がありました。
しかし今、おじが見るトンネルの壁には、何も書かれていません。白に茶色の土ぼこりが混じった、コンクリートが続いているばかり。「壁を塗り直したのかな」とのんきに構えていたおじは、気づくのに遅れてしまいます。
入る時には確かに見えていた、トンネルの出口の明かり。それがすっかり消えてしまっていることに。目を凝らしても見えて来ることはなく、背後を振り返っても、自分が入ってきた入り口は見えません。はるか遠くにあるとかではなく、視認できないのです。
辺りは真っ暗闇でした。でも、何もかもが見えないわけじゃありません。
影です。この黒々とした闇の中でも、おじの影の部分だけは周囲と色を別にしています。赤い輪郭を浮かばせた、おじの背丈を優に上回る長さの影の先は、くいっと前方左へ急カーブ。距離を詰めていっても、左へ曲げた先が伸びていくばかり。
試しに無視して先へ進んでみると、影はそれ以上ついてきません。背後にある先ほどの曲がり角へ向かって伸びっぱなし。いよいよ前には、赤い影すら失った、視界不良の闇しか広がりません。
このまま進んだら、もう戻れない。直感でそう感じたおじは、引き返して影に従う道を取ります。
この不可解な状況。普段であれば不安と恐怖が湧いてきて、足を止めたり、声をあげたりしかねないでしょう。しかしおじは、とても落ち着いていました。懐に入れたカイロが今までにも増して熱をたたえていたからです。文字通りに温まる懐は、先へ進むほどに強くなっていきました。
曲がり角の先へ歩いていくおじ。すでにトンネルの壁にぶつかってもおかしくなかったのですが、目の前の赤い影は真っすぐ伸び続けています。それは道が真っ平らに続いている証拠に違いありません。
歩き続けるおじの耳に、「ちゃぷ、ちゃぷ」と水の音が入ってきます。歩いていくうちに音はだんだん大きくなり、靴越しに感じる感触も、アスファルトから地面へ変わっているように思いました。
おじが注視を続けていた、赤い影の先が途切れます。そこは同時に道の切れ目であるということ。影が切れたぎりぎりまで身を寄せると、おじはそこが大きな池の縁であることを悟ります。その水面がゆらゆらと動き、音を立てていたのでした。
音の感じから、学校のプールほどはあるのでは、とおじはアタリをつけます。地元に、しかもトンネルの中にこのような場所があるなんて、ついぞ……。
その時、胸の中のカイロが更に熱を発してきました。焼き鏝をあてられたかと思う感触に、おじはたまらず服をまくり上げると、内側に貼ってあるカイロを、手探りで払い落しにかかります。
とさっ、と足元にカイロが落ちた音。ほどなく、カイロからはオレンジ色の火が立ち上り、光の元を提供します。そこへ映し出されたのは、ほぼ予想通りの大きさの池でしたが、もっと驚くことがありました。
池の対岸。その空からも足元のカイロと同じく、火をあげるものがあったんです。それもたくさんですよ。明かりたちの両脇には、うっすらと盛り土のようなものが見えます。
中空に突如として浮かび上がる、火の玉の群れ。すわ人魂かと思ったおじですが、その火の中に浮かび上がったのは、昇降口で分かれた件の彼だったのです。上着を思い切り広げた彼が袖を抜くと、火の玉も一緒に動きます。やはり彼のもとに集う火の元も、自分と同じカイロだったのでしょう。
「そのカイロ。池の中へ落として欲しい」
彼の声が響きます。おじはとっさに、足でカイロを蹴り飛ばします。跳び上がったカイロは「じゅっ」と音を立てて池の中へと沈みこみました。同時に、いくつも火の出るカイロを抱えた彼の上着も、池の中へ投げ込まれます。これもカイロの重さが勝るのか、少しだけ水面を漂った後、ずぶずぶと水の中へ消えていきました……。
直後、池を回り込んでこちらへ来る足音と共に、地面がにわかに揺れ始めます。おじが尻もちをつきかけたところで、ぐっと腕を掴んでくる者がありました。件の彼です。
半ば引きずられる形で池を見続けていたおじは、はっきりと目にしました。水面の真ん中を断ち割り、水しぶきをあげながら突き立つ、巨木ほどはある極太の腕とグーパンチを。それらは今までおじが見て追いかけ続けていたのと同じ、赤い輪郭を帯びていたのです。
気がつくと、おじはトンネルの出口まで引きずられていました。ここから見るだけでも、スプレーの落書きが復活しているのが分かります。
あの腕に関して、おじは友達に尋ねてみたところ、詳しいことは教えてもらえませんでした。ただおじと同じように、ある時に、カイロを使う自分の影がおかしなところへ向くことを知り、それを追ってここに来たのだとか。
はじめて見た時、あの腕は猿のように細かったといいます。それが、カイロが火を吹き、慌てて水の中へ落としたところ、若干太さを増したらしいのです。それ以来、ペットを育てるような感覚で、カイロを献上しているのだとか。
「今日みたいに、カイロを使って影がここを指すことがあったら、教えてよ」
友達がそう頼み込んできましたが、おじは在学中、その願いを聞いたことはないのだそうですよ。