3-21 新月の熱帯夜 6
「榊! 使用人の中に内通者がいるかもしれない!」
『ああ? 内通者だぁ!?』
「そうだ! 林道で待ち伏せしていた奴らと今襲ってきた連中とでは黒幕が違う! 俺も今そっちに向かっているが先に館に入って明楽にそれを伝えてくれ!」
『んなこと言っても外はどうすんだよ!』
「外敵の心配はもうない! 敵将に確認済みだ!」
『敵将ぅ? チッ! 面倒臭ぇが仕方ねえ! 引き受けてやるよ!』
「任せたぞ!」
貫千は今回の一連の騒動に終止符を打つべく、闇が広がる森を疾走した。
任せたはいいが……
アイツの欠点が治っていればいいんだが……
明楽の前に立った榊を心配しながら。
◆
「チッ! 海空陸の野郎、俺様をこき使いやがって」
口ではそういうものの、榊の顔はにやけている。
ようやく明楽と顔を合わせることができる──ことに加えて、
「だが任されちまったらやるしかねぇ!」
貫千から『任せた』と言ってもらえたからだ。
貫千と同い年の榊は貫千のことを尊敬し、そして自らの目標にしていた。
高三の夏までは──。
あの夏。
次期当代になることを突然放棄し、それだけでなく強くなることをも諦めた貫千を榊は殴り飛ばした。
『俺は宇宙へ行く』
晴天の霹靂だった。
意味がわからなかった。
一緒に強くなると思っていた。
一緒に貫千流闘術を後世に伝えていくのだと思っていた。
命尽きるまで二人は同じ道を歩むものとばかり思っていた。
だが──
榊に殴られた貫千は無言のまま立ち上がり、そして榊に背を向け去っていった。
それ以来、榊は貫千を憎むようになった。
親友を奪った宇宙を毛嫌いするようになった。
今でもその感情は変わらない。
貫千が憎く、宇宙など無くなってしまえばいいとすら思っている。
だが、貫千が道場を訪れてより元気を取り戻した雅を見て、そして、昔のように兄と一緒にいる明楽を見て、榊はなにか感じるものがあった。
貫千の話をする際に、ふと見せる雅のはにかむような笑顔。
幼い頃と同じ無垢な笑顔を見せる、貫千の隣にいる明楽。
榊がどう頑張ろうとも決して見せることのない表情を、あいつは簡単に引き出してしまう。
やはり俺では──
「──分かっちゃいるが俺ごときじゃ勝てねぇンだよなぁ! っくそったれが!」
それでも俺は──
命に代えてでも二人の笑顔を守り抜いてみせる!
乱れる前髪を整えながら三段飛ばしで館の階段を駆け上がる榊は、そう心に誓うのだった
◆
「失礼します!」
牡丹の部屋に入った榊は部屋の状況を素早く確認した。
部屋の中央にベッド。
そこには女性が寝ている。
その傍に立つ女性二人。
対象一、対象二、対象三。
護衛対象三人の無事を確認した榊はソファーに視線を移す。
そこには──手足を拘束された男が横たわっていた。
「榊さん!」
榊を見た明楽が榊に笑顔を向ける。
突然話しかけられた榊はビクリと背筋を伸ばした。
そしてギギギ、と首を動かす。
「あ、あ、あ、明楽様! た、只今より、わ、わ、わ私が御三方の護衛のににに、任に就きます!」
……ぐっだぐだだった。
緊張しすぎて、しどろもどろの榊の受け答えに明楽の笑顔が曇る。
「榊さん……相変わらず私が苦手なのですね」
なにを隠そう、榊は明楽の笑顔を奪う達人だった。
明楽だけではない。
雅の笑顔をも奪ってしまうのだった。
榊は雅と明楽の前ではまともに話ができないのである。
「ち、ち、ち、違います! そ、その用なことはけけけ決して! も、も、申し訳ありません!」
榊がガバッと頭を下げる。
「ちょっと榊さん! 普通に接して下さい!」
「は、はい!」
明楽の声に榊は頭を上げるが──せっかく整えた前髪が緊張で汗を掻いた額にべったりと張り付いてしまっていた。
◆
「──内通者? 先輩がそれを?」
小百合が眉を顰めた。
明楽によって簡単に紹介を済ませた榊は、『報告があります』といって部屋の隅で明楽に貫千からの言葉を伝えた。
それを聞いた明楽は驚きはしたが、すぐに小百合にもそれを伝えた。
「はい。そう言っていました。本人もこっちに向かっています。じき到着するかと」
報告を終えた榊は、窓周りや扉周辺に危険がないか確認を始めた。
「いったいどういうことなのかしら。お兄様がおっしゃることだから間違いはないのでしょうけれど……」
「内通者だなんて……考えてもみませんでした。誰なのかすぐに調べないと」
「お兄様が向かっているそうなのでそれまで待ちましょう。お兄様なら──」
そのとき扉をノックする音が聞こえ、明楽が言葉を止めた。
「──誰かしら」
そんな話をしていた後だ。
部屋に緊張が走る。
「私が応対します」
ソファーに寝かされた男の拘束を強めていた榊が扉へ向かった。
「どなたでしょう」
「喜田川です」
榊が小百合を振り返る。
「家のものです。お手伝いさんたちのまとめ役をしていただいています」
ベッド脇に立つ小百合が、小声で榊に喜田川の説明をする。
榊はそれに頷くと
「使用人のみなさんには別室で待機してもらっているのですが」
「奥様のお薬の時間でございます。訓練中ですがお医者さまからの指示ですので」
小百合が部屋の時計を確認する。
たしかに薬を飲む時間だった。
「どうしましょう。お薬は種類が多くて私では……」
小百合が明楽を見る。
牡丹の症状が回復しつつあることを悟られないよう、投薬は継続するように、と貫千から指示を受けている。
そのため
「小百合さんはそこから動かないでください。部屋の外で私が投薬の仕方を教わります」
明楽がそれを引き受けることにした。
「そ、それなら、わ、私が!」
榊が話に割って入る。だが──
「心配には及びませんよ。私、榊さんより段が上ですから」
そう返されてしまうと、榊は引き下がるしかないのであった。
榊がゆっくりと扉を開く。
するとそこには扉をノックした喜田川と、その後ろに小柄な少女が立っていた。
「──今は中に入ることはできません」
入室しようとする二人を榊が手で制する。
「申し訳ありませんが、訓練の一環ですので」
使用人二人の一挙手一投足に目を光らせている榊が後ろ手に扉を閉めた。
「あの、奥様のお薬は……」
喜田川が心配そうな顔をする。
喜田川は手になにも持っていない。衣服に不自然な膨らみもない。
後ろの少女は両手で盆を持っている。
その上には水差しとコップ、そして薬が入っているのだろう小箱が載っていた。
少女の衣服にも不自然な点は見当たらなかった。
「こちらで明楽様が投薬の仕方を教わります」
二人が武器の類を持っていないことを確認した榊は扉を開いた。
その隙間から牡丹の様子をひと目見ようと、喜田川が身を乗り出す。
「あ、あ、明楽様! お、お願いします!」
榊が部屋の中に向かって声をかけると、扉の向こうから明楽が出てきた。
「あら、麻衣さん」
二人の顔を見て明楽がニコリと笑顔を見せる。
この使用人は小百合からの信頼が特に厚い二人だ。
貫千家でいえば乳母の早乙女しずと、その孫の早乙女舞のような存在か。
「ごめんなさい。これも訓練なの」
とはいえ、今は誰も牡丹と小百合に近づけるわけにはいかない。
明楽は、申し訳ないと謝罪しつつ、投薬の手順を教わるのだった。
◆
「次に、このお薬とこのお薬を混ぜてください」
「コップの中で混ぜてしまっていいのですか?」
「はい。お水を少々注いでから──」
榊は明楽の斜め後ろに控えていた。
扉を数センチ開けて中の二人の様子を視界に収めつつ、麻衣という少女から薬の説明を受けている真剣な明楽に感心しつつ、
やはり明楽様はどこかの誰かとは違い、何事にも熱心だ。
本当にあいつと同じ血が流れているのか?
などと考えながら。
そんな榊がそれに気づいたのは、小百合が牡丹に優しい表情を向けているのを見て、刹那、自分の母親のことに思いを馳せた一瞬の隙を作ってしまったときのことだった。
視界の端に小さな光が映り込んだ。
盆の下で光ったため、明楽からは死角になっていて見えない──。
次の瞬間。
榊は身体を動かしていた。
明楽の肩を掴み、華奢な明楽の身体を後方へ押し倒す。
靡いた明楽の亜麻色の髪が榊の頬を掠り──今の今まで明楽が立っていた場所に榊が半身を滑り込ませる。
「榊さん!」
瞬時に体勢を立て直した明楽が叫んだとき、
──ガシャーン!
麻衣が持っていた盆が床に落ちた。
廊下中にその音が響き渡る。
と。
「これも薬かい?」
榊がそう言って麻衣の顔の前になにかを出した。
「榊さん!」
それを見た明楽が再び叫ぶ。
榊が手にしていたものは小刀だった。
そして切っ先には赤い血が付着している。
「榊さん! 怪我を! 麻衣さん! どうして!」
「あ、明楽様! わ、私は大丈夫です! こんな小刀でどうこうなるやわな身体ではありません」
事実、榊の言う通り殺傷能力には非常に乏しい小刀だ。
道場での鍛練の方がよほど深手を負う。
転がった薬箱を見ると二重底になっていた。
どうやらそこに刀を隠していたようだ。
榊は明楽を安心させようと、刺された右脇腹をポンと叩き、
「犬にかまれた方がよほど痛いですから──」
そう言いかけたところでガクリと片膝をついた。
「あれ……? 力が……」
榊の顔色が急激に青ざめていく。
「ま、麻衣さん! なにをしたのです!」
「なにがあったのですか!」
明楽が麻衣を問い詰めたとき、騒ぎを聞きつけた小百合が廊下に出てきた。
「小百合さんは部屋の中に!」
榊の肩を支える明楽が声を荒げる。
しかし、崩れ落ちた榊、そして喜田川に抑えつけられている麻衣を見た小百合は、
「まさか麻衣さんが!?」
そう悟った。
「麻衣さん! どうして!」
「そ、その方は、さ、小百合お嬢様の命を狙っている危険人物だと」
「あきらさんが? なにを馬鹿なことを! そのようなこと誰が言ったのですか!」
「しょ、菖蒲お嬢様です」
「お、お姉様が? お姉様がどうして!」
「こいつが麻衣さんにそう吹き込んだらしい」
小百合が状況を飲み込めずに声を荒げたとき、廊下の奥から声がした。
全員がハッとそちらに目を向ける。と、そこには貫千が立っていた。
「お兄様!」
「先輩!」
貫千は一人の男を引き摺っている。
「ほら。お前らの計画は潰れたぞ? 全部喋ったらどうだ」
貫千が男を放り投げる。と、床に叩き付けられた男は呻き声をあげた。
「小百合の姉から俺とアキラと始末するよう頼まれたそうだ。貫千と蓮台寺が接近することを良く思わなかったんだろうな。ちなみに小百合に付き纏っていた男らと今日の昼間の襲撃、それらはすべて菖蒲の企んだことだったらしいぞ?」
「お、お姉様がなぜ……」
「初めは小百合に対する嫌がらせかなにかだったんだろう。そうこうするうちにたまたま貫千の人間が近寄ってしまったから慌てたんじゃないか? 小百合が次期当主に近くなると。アライドの武器を持たせてアライドの襲撃に見せかけるなど、なかなかに姑息な性格をしていらっしゃる」
「お兄様? それでは先ほどの襲撃は……」
貫千を見上げた明楽が尋ねる。
「あれはアライドだ。アライドと繋がっているのは──」
「重蔵ですね」
正解を言い当てたのは蓮台寺家の正当なる当主、蓮台寺牡丹だった。
部屋着姿の牡丹が扉の前に立っていた。
「お母様! まだ起きては!」
小百合が牡丹に駆け寄る。
「お、奥様! お身体が!」
思わず麻衣の拘束を解いた喜田川が驚きの声を上げる。
「ああ! 奥様がお元気に!」
麻衣の喜びようは偽りではないだろう。
「皆様。申し訳ございません。今回の不始末、すべて私の不徳の為すところであります」
牡丹が深々と頭を下げる。
それを見ていた貫千はサッと上着を脱ぎ、それを牡丹の肩に掛けた。
小さく礼を言った牡丹は、「もうよろしいですわね?」と貫千に問う。
すると貫千は「この先私の出る幕はございません」と一歩引いた。
「この通り、貫千様のご尽力によって私は死の淵から生還することが叶いました。さらに、重蔵の魔手からをもお護りくださいました。重蔵は武器商人のアライドと手を組み、蓮台寺をあらぬ方向へ導こうとしているようです。私と貫千様との接触を知って、重蔵はアライドを、菖蒲はゴロツキを送り込んできたのでしょう」
牡丹が貫千を振り返る。
追認が必要だと判断した貫千は
「敵将の情報では牡丹殿を横須賀まで移送し、そのままアライドの本国まで連れ去る予定だったそうです」
そう補足した。
「そうですか……本当にご迷惑をおかけいたしました。この報いは必ず受けてもらうことになるでしょう。麻衣、貴方もです」
牡丹が病み上がりとは思えない気を発する。
さすがは蓮台寺家の当主だ。
しかし久しぶりに立ったことが障ったのか、ふらりと小百合にもたれかかった。
「お母様。ベッドに戻りましょう。明日にでもまたゆっくりと」
「そうした方がよさそうですね。一刻も早く全快して東京に戻らなければ。貫千様、申し訳ありませんが少し休ませていただきたく」
貫千はそのことにお辞儀で返すと、牡丹は小百合に連れられて部屋へと戻って行った。
「さて。麻衣さん。君が主人を思うばかりに明楽を傷つけようとしたことは理解した。だがその男とともに、相応の償いはしてもらうことになる」
自分のしたことの重大さにようやく気がついたのか、麻衣は泣き崩れていた。
「おい、榊。そこまでして明楽に抱かれていたいのか? そんなおもちゃで刺されたくらいで大袈裟だぞ」
起きようとしない榊を見て貫千が軽口を叩くが、いつものような返答がない。
いや、あの榊が明楽に抱かれてじっとしているわけがない。
極度の緊張で気絶でもしたのか?
貫千が榊の様子を窺うと、
「おい! 榊! しっかりしろ!」
榊は虫の息だった。
おかしい。
貫千が廊下に落ちている小刀を手に取る。
そして刃先を確認すると──
「毒か! 麻衣さん! これは毒が塗られていたのか!」
しかし麻衣は
「わ、わかりません! それは檜山さんに渡されただけで──」
涙交じりにそう訴え、呻いている男を見る。
こいつが用意したのか。
貫千は舌打ちした。
多少の毒には慣れている貫千流の人間をこの短時間でここまで弱体化させる毒だ。
かなり強力な毒に違いない。
「……み、海空陸……」
室内に連れて行こうと明楽から榊を受け取ると、榊が苦しそうに言葉を発した。
「喋らなくていい。今すぐ治してやる」
「ふっ……もういい……俺のことは自分が一番よく知っている……これは無理なやつだ……」
「だから心配するな」
「……俺を刺したあの子の罪は問うな。雅様や明楽様をお護りするためであれば俺でも同じことをする……だから約束してくれ……あの子の罪は問うな」
「……わかった。善処する」
「……それと……最期に……お前に言いたいことがある……」
「最期? なんだ?」
「俺は……お前に憧れていた……お前が大好きだった……ガキの頃からお前のようになりたいと……」
「そうか」
「お前に『任せた』と言われたとき、心が震えた……ようやくお前の隣に立つことができたのかと……」
「そうか」
「お前が強くなることを諦めた日……お前を殴った手が痛くて俺は一晩中泣いた……」
「あれは効いたぞ」
「あの日、お前のことを殴って済まなかった……本当はずっと謝りたかった……」
「いいさ。過ぎたことだ。気にするな」
「なあ、海空陸……」
「なんだ」
「宇宙でもどこでも行っちまえってんだよ……」
「……」
「その代わり……俺が先に行ってお前の居場所を守っておいてやる……」
「そうか」
「次こそ一緒に……」
「……次こそ一緒にって、感傷に浸っているところ悪いが、お前は死なないぞ? 小百合、用意はできたか?」
「はい! 整いました!」
「……え?」
貫千が榊を部屋に運び入れ、長椅子に寝かせる。
その枕元に魔力を練り終わった小百合が立つ。
明楽の手荒れを治すのとはわけが違う。
完全に解毒しなければならないので魔法が使えるようになるまで時間を要したのだったが──。
「いきます!」
小百合の声とともに、部屋に心地良い光が充満した。
そして榊はゆっくりと眠りに就くのであった。
ちなみに、翌朝目覚めた榊は明楽に抱かれていた感覚をまったく覚えていないことと、貫千に恥ずかしい告白をしてしまったことにショックを受け──東京に戻ってから三日ほど寝込み、起きたときには前髪が以前に増して弱っていたそうである。
さらに余談だが、麻衣は榊を傷付けてしまったことの責任を取り蓮台寺家の使用人を辞した後、看病をするために(後遺症など一切ないのだが本人は心配なようである)榊のもとにやって来たのだった。