第5話 小百合と花澄
「な、なンだでめぇ!」
「この度は、うちの社員が迷惑をおかけいたしました。これは少ないですけどクリーニング代です」
「ぁあ? だからなんだぁ? てめえは──」
貫千が先輩と思しき男の手に強引に数枚の札を握らせる。と同時にほんの少しばかり気を解放する。
久しぶりの纏気解放術ではあったが、しっかり手加減することはできた。
「誠に申し訳ございませんでした」貫千がもう一度丁寧に頭を下げた。が、
「てめぇは関係ねぇだろうが!」顔を真っ赤にした後輩が割り込んでくると、貫千に詰め寄る。
「クリーニングで済むうちにお引き取り願えませんか。二人分のスーツを新調する予算は俺の収支表には記載されていないんで」
貫千はあくまでも申し訳なさそうな態度を崩さずに、先輩の男に向かって微笑む。
そして握っていた手に少しだけ力を込めた。
「てめえ! 聞いてんのか! 関係ねぇ奴はすっこんで──」
「クッ! お、おい! 行くぞ!」
先輩の男は貫千の手を振りほどくと、騒ぎ立てる後輩に指示を出した。
「え? は? せ、先輩!? なに言ってんすか! もう少しで連絡先を──」
「うるっせぇ! 出直しだ! さっさと行くぞっ! おい──」
男は去り際に金色の髪の女性になにか言おうとしていたが、「まだなにか?」貫千の笑顔を見ると、忌々しそうに舌打ちをして去っていった。
「おお!」見物していた通行人たちがどよめく。
「あ、あの! 助けていただいてありがとうございました!」
男二人の背が人込みに消えていくと、金色の髪の女性が我に返ったように頭を深く下げた。
それに続いて隣にいた女性も「ありがとうございました!」と頭を下げる。
「いや、たまたま通りかかっただけだから」
「それに、ほら。君たちオレと同じ会社だしね」わざと周囲に聞こえるように大きな声を出しながら、貫千が背広の社員バッチを見せると「あ!」金色の髪の女性が驚いたように目を丸くする。
助けに入った男が女性たちと同じ会社ということを知ると、事態の収拾を感じたのか、野次馬たちは散っていった。
「わ、私は今年の春に入社して、今月から秘書課に配属されました蓮台寺小百合と申します!」
「同じく秘書課の新入社員、愛川花澄です! 先ほどは小百合を助けていただいてありがとうございました!」
金色の髪の女性が先に名乗ると、隣の女性も所属と名を告げた。
秘書課に配属されたというだけあって二人とも非常に容姿が整っている。
特に蓮台寺小百合と名乗った金色の髪の社員は、ハーフのような顔立ちをしているのでとても目立つ。
といっても愛川花澄という社員が小百合に比べて見劣りする、などというわけでは決してなく、人によっては長い茶色の髪を結いあげている花澄の方が好みだという男も多そうだ。
どちらにせよ小百合と花澄の二人が街を歩いていれば、嬉しい嬉しくないは別にして、大勢の男が言い寄ってくるに違いない。
そしてそのなかには当然、邪な念を抱いた男も。
おそらく先ほどの男もそういった輩で正解だろう。
「俺は去年入社した情報処理課の貫千だ。いったいなにがあったのか聞かせてもらえるかな?」
自らも簡単に自己紹介をしながら貫千が訊ねる。
「あ! お弁当!」
「貫千さんって、あの貫千先輩ですか!?」
小百合と花澄が声を揃えて大声を出す。
花澄は驚いたように目の前の貫千を見るが、小百合は今の状況を思い出したのか、大きな瞳で地面に撒き散らされた弁当を見た。
「さすがに食えないだろうな、これは。──あのっていうのはなにを指しているのかわからないが、たぶんその貫千先輩だと思うぞ?」
「う……」
「やっぱり!」
貫千が二人に向かってそれぞれ声を返す。
すると小百合は、一度は収まった涙がまた溢れそうになり、花澄は興味津々といった視線で貫千を見つめる。
「で、この状況の説明を聞いても?」
「あ、はい! 実は──」
動揺している小百合と違って少しは落ち着きを取り戻したのか、花澄が小百合を宥めながら口を開いた。
「──あの人たちはこの近くに勤めている会社員らしいのですけど、二週間くらい前からしつこく付き纏ってくるんです。私たちが本社勤務になってしばらくしてから……。通勤途中や帰宅の途中、この前なんて会社のビルを出たところで待ち伏せしていたんです」
「待ち伏せ!? 大丈夫だったの?」
会社の前で待ち伏せとは……なかなかに肝の据わったストーカーだ。
「はい。そのときは通用口から帰ったので事無きを得ましたが……またいるかもしれないと思うと怖くて……。さっきも小百合を見つけて、ぜったいわざとぶつかってきたんです。で、小百合の連絡先を聞き出そうとしたんです!」
「最低な男です!」小百合の肩を抱いた花澄が憤慨する。
なるほど。
やはりそっち系だったか。
しかし二週間も前からとは……予想を越えてきたな。
「警察には相談した?」
「いえ……。怖い思いはしましたが、実害があったわけではないのでそこまでは……今日の件も私の不注意と言われてしまえばそれまでですので……」
貫千の質問に小百合が答える。
たしかに今の段階では警察を動かすまでには至らないか。
「それなら法務部に相談してみるといい。通勤途中や会社のエントランスにまで来ているのであれば、きっと相談に乗ってくれるはずだ」
「はい……ありがとうございます。なるべく早めに相談してみます」
「法務部ってそんなこともしてくれるんですか! 私、知らなかったです! 早速今日にでも行ってみようよ、小百合!」
「うん、そうするといい。うちの法務部は頼れるからな。まあ、でも自衛も必要だと思うぞ? 今日みたいに外に出るときはなるべく男性社員と一緒に歩くとか、自宅付近までの送り迎えを近隣に住む男性社員に頼むとか。二人は目立つから、あいつら以外にもちょっかい出してくるヤツがいそうだしな」
貫千が二人にアドバイスをしながら、散らかった弁当の掃除を始めると
「わ、私がやります!」
「先輩! 手が汚れます! 私たちが掃除しますので、先輩はどうぞ用事を済ませてください!」
小百合と花澄も慌ててしゃがみ込む。
「か、花澄さん、どうしましょう……」
「い、今考えてる……」
「か、花澄さん、どうしましょう……」
「い、今考えてる……」
「か、花澄さん……」
「か、考えてる……」
ぐちゃぐちゃになってしまった弁当を片付けながら、小百合と花澄が震えた声で相談している。
それを聞いた貫千が
「後は俺がやっておくから二人は残りの弁当を買って早く戻るといい。みんな腹を空かして待ってるだろうから一本連絡しておけよ? 遅くなると心配するだろうし」
二人を気遣ってこの場を引き受けようとする。
「そ、そんな……先輩に掃除を押し付けるなど……もとはといえば私の不注意ですし……」しかし小百合がそう言うと
「先輩こそご用事があったのではないのですか?」花澄が貫千に質問する。
「ん? ああ、俺は昼を食べに行こうとしていただけだから気にするな。んじゃあ、さっさと片付けてしまおうか」
貫千の頭に有栖川の顔が浮かぶが、遊んでいて遅れるわけじゃないんだから大丈夫だろうと、せっせと手を動かした。




