3-19 新月の熱帯夜 4
「了解しました。五分間哨戒を継続し、異変がないようであればそちらと合流します」
表門警備担当の永田は西垣との通信を切ると、街へ続く暗い林道の先に目を凝らした。
「──ということだ。笠原、ぬかるなよ?」
そして永田と同じく表門警備担当の笠原に注意を促す。
「──はい。ぬかるどころか、早く身体を動かしたくてウズウズしてます」
こっちはハズレですか、と、永田と一メートルほどの距離を置いて背中合わせになっている笠原が、永田とは反対の方向──山奥へ向かう道を睨みつつそれに応じた。
「間もなく外回りの電源が落ちる。暗闇に乗じてこちらからも侵入してくる恐れもある。気を抜くな」
「──わかってます。それにしても五十人ですか。予想より少し多いですね」
小声で会話を交わしてはいるが、二人は任務に集中していた。
なにかを気取ればすぐさま左手で鞘を引き、右手で刀を抜けるよう神経を研ぎ澄ませている。
「少しって……だいぶだろ?」
「どちらにせよ、先方さんにとってはかなり重要なミッションってことでしょうね。にしても、日本を代表する豪族の別荘だっていうのにこれほど警備が手薄とは……正直驚きですね」
「まったくだ。これも蓮台寺家当主……正確には当主代行か。その狸の仕業に違いないだろうな」
「狸……私には良くわからない世界です。分かりやすく言うと、派手に遊び回りたい旦那が財布を握っている嫁を監禁しているってことですよね。嫁を殺さずに生かしておくのは、死なれてしまうと財布が娘のモノになってしまうから、と。なんだかんだで入り婿は辛いですね。あ、たしか永田先輩も入り婿でしたよね。やっぱり肩身が狭いですか?」
「おまえ……四分後には戦闘の直中だぞ?」
「わかってます。私なりの精神統一です」
「豪族のゴシップネタでか?」
「いえ。先輩の家庭での居場所についてです。よし。精神が統一されてきました」
「……そうか」
ならいいが、と、永田が嘆息する。
「先輩。……あの……み……榊先輩は一人で大丈夫でしょうか」
少し真剣な口調に変わった笠原が尋ねた。
「榊? あいつなら大丈夫だ。闘うことに関してのセンスは同期入門の中でも頭ひとつ抜けている。心配なのか?」
「へ? 私が? いえ全然。あー、でも私の知っていたころの榊先輩とはだいぶイメージが違っていますね」
「なんだ? 髪型か?」
「ぷっ。違います! あ、いえ、違わないですけど、そういう外見とかじゃなくて、なんというか──おチャラけているというか、軽いというか、私の知っている榊先輩はどちらかというと硬派な感じの人だったので」
「ああ、そうか。笠原は二年前にこっちに配属になったんだったな。とすると、あのときはいなかったのか」
「あのとき? あのときってどのときですか?」
「あれはあいつが──」
「あ、やっぱりいいです。よくよく考えたらまったく興味がないジャンルなので」
「そ、そうか。あいつはああ見えて──」
そのとき門と塀に埋め込まれていたライトが一斉に消えた。
「先輩」
「ああ。作戦開始だ。あと一分四十秒、異常がなければこの場を離れ西垣師範のもとへ向かう」
二人は押し黙ると、少しの気配も逃すまいと、周囲に気を配った.。
「──先輩」
「どうした。ここからはいっそう集中しろ」
「わかってます。ひとつだけ。み、海空陸様は……その、大丈夫でしょうか」
笠原の声は今までの軽口とは異なり、心から案じているような口調だった。
そのことに永田も無碍にはできなかったのか。
十秒ほど考えた後、
「海空陸様は……俺にもわからない。ただ……」
「ただ?」
「──榊よりも変わられたのは事実だろう」
「それは、どういう──」
「──時間だ。西垣師範に報告する」
しかし永田は笠原の質問には答えずに、インカムのマイクを手に取った。
『こちら永田。敵影は確認できません。予定通り海空陸様の援護に急行します』
「行くぞ笠原! ぬかるなよ!」
「はい!」
表からの侵入はないと判断した永田と笠原は、今まさに接敵しようとせん貫千のもとへと走りだした。
◆
「こ、これは……」
目の前の光景に永田は絶句した。
何人もの大男が、綺麗に横一列に倒れ込んでいたのだ。
「──九、十。全部で十です。どうやら前衛のようですね。息は──あるようです。全員喉を一突きですか。これでは仲間に助けを求めることも、どんな敵にやられたのか報告することもできませんね。……まったくお見事です」
永田と違い冷静に状況を分析した笠原が、この惨状をなしたであろう誰ともわからない人物に称賛を贈る。
「いったいなにが……」
「隊列が崩れていない所から一筆一閃のようですが、ここまで正確無比に急所を穿つとは。永田先輩はできますか?」
「できるはずないだろう。全員の頸を斬り落としても構わないというのならまだしも……これは一瞬で十もの突きを放ったということだぞ? そんな芸当、西垣師範はおろか雅様でも……あ、いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「師範はともかく、雅様でもと言うのが聞き捨てなりませんが、まあいいです。とすると考えられるのは……」
「いや、今はそのことはいい。とにかくこいつらを拘束してしまおう。笠原は向こうから頼む」
そうして二人は転がった大男らの手足を縛り始めた。
「全員外国人か……武装といい、本物だな」
「ですね。それより先輩、これ見てください」
「どうした。早く合流しないと──」
「不思議なんですよ。小銃の弾丸が……ほら。こんな至近距離に落ちているんですよ」
「な、なんだこれは! 数百はあるぞ! なぜ……こいつらが撃った弾に違いないよな?」
「ええ。おそらく。どうしてこんなことが……まるで重力に引き寄せられたかのように……」
「……」
「……」
「と、とにかくそれは後回しだ。ここに敵はいない。先へ進むぞ」
信じ難い光景に目を奪われながらも、二人は本隊がいるであろう森の奥へ向かって急ぐのであった。
そして森を進んで間もなくのこと──。
「せ、先輩! は、発見しました!」
永田に笠原から報告が入った。
「わかった。すぐに行く」
笠原にしては珍しく動揺している声色に、永田の肩にも自然と力が入る。
木々を掻き分け、素早く笠原のもとにたどり着いた永田は、笠原と同じように腹這いになると
「状況は」
笠原に説明を求めた。
「あ、あそこです! あそこに!」
「落ち着け、笠原。状況は?」
「は、白髪の男が刀を──」
「白髪? そんな男いないじゃないか」
永田は笠原が指を指す方向を見るが、そこには笠原が言うような人物はいなかった。
その代わり、そこに見たのは──
「海空陸様だ! 笠原! 海空陸様じゃないか! 行くぞ!」
敵の頸に刀を押し付けている貫千の姿であった。
「え!?」笠原が素っ頓狂な声を出す。
「急ぐぞ!」
永田はそう言うと、貫千と合流すべくガバッと立ち上がった。
「え!? ほ、本当だ、海空陸様……で、でも、私、この目で……」
腹這いの笠原が目を擦っている最中にも、永田は貫千のもとへと走って行ってしまった。
「た、確かに白髪の外国人が……わ、私の見間違い……?」
茂みの先に見えるのは確かに貫千であった。
「私、目はいいのに……」
笠原はそれでも納得いかないというように首を傾げるが、
「先輩! 待ってください!」
任務を遂行しようと永田の後を追うのだった。




