3-16 新月の熱帯夜
新月の熱帯夜。
貫千が窓を飛び出して向かった先、蓮台寺家別荘敷地内の北西に広がる森は、暗く蒸し暑かった。
ほぼ手つかずのままの森。
乱立する木々を縫い、鬱蒼と茂る草木を掻き分け、獣道すら無視して一直線に突き進む。
そして──
合流地点まであとわずかの距離までやってきた貫千は、ふいに足を止めた。
おもむろに両目をつぶると、意識を研ぎ澄ます。
森は深く、風もない。
聞こえてくるのは虫の羽音と鳥の鳴き声。
貫千はひとつ大きく深呼吸をすると、ゆっくりと纏気を解放した。
薄く、薄く、広範囲に。
間もなくして──貫千の放った気は他人の気と干渉し、静かな森の中であっても複数の人物が存在していることを貫千に報せた。
白昼の街中ではなく、深夜の森ということもあり、特に邪な気を感じ取ることは容易い。
貫千は術を抑えると、解放していた気を大気に紛れさせた。
多いな……
感じた気の一つは、百メートルほど前方、前衛と後衛に分かれて館へと向かい慎重に近づいてくる集団。
数は報告通り五十を超えていた。
もう一つの気はその集団の脇に感じる二つ。西垣と山崎のものだろう。
貫千はさらに深く集中すると、五十を越える気の中から最も強大な気を探索した。
暗く視界は効かなくとも、邪悪な気が侵入者らの正確な位置を教えてくれる。
こいつか……
パッと目を開けた貫千は
『貫千です。敵の将らしき人物を捕らえました。場所は──』
西垣に連絡をとり、戦略を練った。
◆
『──敵は全員小銃で武装しているとのことです。海空陸様、何卒慎重に』
西垣との通信を切った貫千は、侵入者らに意識を戻した。
敵の隊列に変化は見られない。
館に、そしてその中間点で気配を殺して立っている貫千に向かい直進してくる。
指揮官の位置も中央後方よりと先ほどのままだ。
貫千は自らの役割を果たすため、前衛の敵へ向かい地を蹴った。
掻き消えた貫千の後を追うように、数枚の葉がひらりと舞う。
──と、今の今まで貫千が立っていた場所に、ぽとりと空の小瓶が落ちた。
小瓶は淡い光を発すると──舞い上がった葉が元の場所に戻る頃には、役目を終えたかのように、そして元の世界に帰るかのように音もなく消えて無くなった。
◆
「──敵は全員小銃で武装しているとのことです。海空陸様、何卒慎重に」
貫千との通信を切った西垣は、館に向かってまっすぐに歩を進める侵入者に意識を戻した。
そして自分たちの役割を果たすため、敵が進む方向とは逆の方向に向かって駆け出した。
「海空陸様は大丈夫なのでしょうか」
並走する山崎が心配そうに尋ねる。
「貫千の血を引く海空陸様はお強い。確かにお強いのだが、しかし実戦となると……」
やはり西垣も、貫千の技は優しさが先に立ってしまうことを懸念していた。
それだけではない。
視界がほぼゼロの中、相手は暗視スコープを装着し、そのうえ銃で武装しているのだ。
「私が正面に立ちたかったが……」
敵部隊の最後尾をとるべく木々の合間を疾走する西垣が、山崎に本音を告げる。
西垣は自らが敵の正面に立つ囮役となり、その隙をついて貫千に活路を見出してもらう作戦を伝えた。
だが──貫千がその作戦を却下したため、西垣はサポート役に徹することになってしまったのだった。
そのことを、作戦会議を終えた今でも悔いている。
作戦といっても、西垣と山崎が敵後方を攪乱し、貫千が単身正面から突っ込む、という至って単純なものだが──。
西垣は、別の場所にいる笠原と永田が海空陸様の支援に駆け付けるまで持ち堪えていただければ。
そう考えたこともあって渋々首を縦に振ったのだったが──。
『海空陸様は変わられました』という雅の言葉を信じたい。が、銃を持つ五十人の敵が相手となると話は別だ。
『あのお方こそ──』──瞳を輝かせて熱く語る雅の台詞も、淡雪のように儚く溶けていく。
海空陸様の身になにかあっては雅様に申し訳が立たない……
「せめて一人でも多くこちらに意識を向けられるよう敵を陽動するしかない。──気張れよ。山崎」
海空陸様……ご武運を……
西垣は三十五秒後に開始となる作戦を前に、心の中でそう祈るのだった。




