3-10 臨機応変とは
十分ほど会話を交わした後、牡丹は安らかな顔で眠りについた。
眠気がやってくるころには血色も良くなり、乾いていた唇も潤っていた。
明日の朝にはもう少し回復しているに違いない。
夕方四時に往診に来る担当医も、きっと驚くことだろう。
だが、牡丹にはまだ病のふりをしてもらうことになっている。
貫千と明楽が初対面の挨拶をした後、小百合が蓮台寺の現状を簡潔に説明した際、牡丹が気になることを口にしたからだ。
『毒を盛られたのでは──』
意識が戻ったことに安堵したのもつかの間、全員の間に緊張が走った。
しかし貫千は薄々気がついていた。可能性としてはあるかもしれないと。いや、ほかの者も気づいていたのかもしれない。口には出さなかったが──。
そのため、誰の口からも毒という言葉が出ないようであれば、貫千が切り出そうと考えていたのだった。
だが、牡丹は初対面である貫千と明楽を信用して、そして小百合と二階堂に頼って、それについて言及した。
そこで貫千は敵の動向を探ろうと考え、牡丹に一芝居打ってもらえないか持ちかけたのだった。
襲撃を受けたことは牡丹の心労を慮って伏せておくことにしてある。
牡丹が寝息を立てると、四人は今後どうするかの相談を始めた。
牡丹を取り囲んで話し合うこと約十五分。
二階堂は貫千のことで尋ねたいことが山ほどあっただろうが、そこはできる男だ。優先順位を考えた二階堂は、質問は後回しにして、三人と協調すると一緒に策を練った。
そして出た結論は──。
まず牡丹の身の安全の確保。
これに関しては、貫千は会社を休めないため、雅に頼んで護衛を付けてもらうことにした。
そこで、早速貫千が部屋の隅で連絡を取ったところ、雅が快諾してくれたことによりこの問題は簡単に解決した。(といっても貫千に無理難題を押し付け、それを了承させたうえでの快諾だが……そのことについては今はいいだろう)
ちなみに──襲撃現場はすでに綺麗に片付け終わっており、間もなく尋問が開始される頃だという。
なんとも仕事が早いものだ──電話越しに貫千は雅の能力に脱帽した。
次にスープの給仕係。
本来、一週間有給を取っている小百合の役目であったが、襲撃を受けたことによって、小百合を一人残すわけにはいかなくなった。それについても雅に護衛を頼んでもよかったのだが、護衛対象は極力少ない方がいい。そこでこの大役は女中の喜田川に任せることになった。
貫千は最後まで迷っていたが、最終的には喜田川のことをよく知る二階堂が彼女にお墨付きを与えたため、厳重に扱うよう徹底的に指導することを前提にその案を採用することにした。指導は無論、貫千が行う。
最も危険な実行犯(いるのであれば、の話だが)の炙り出しは貫千が引き受けた。
牡丹の回復状況をみながら実行するつもりでいる、と。
それについては小百合と明楽が賛成したので、二階堂も賛成せざるを得なかった。
貫千の本当の力を知れば渋い顔などしないのであろうが──今は時間もなく説明している暇もない。疑心暗鬼でいる二階堂には『任せてください』と納得してもらうしかなかった。
小百合を早く安心できる生活に戻してあげたい、ということもあり『早ければ次の週末には行動できるよう準備をしておく』と貫千は約束した。
──そして時刻は間もなく十四時。
今、四人は最後の問題の解決に向けて話し合っていた。
牡丹に回復の兆しがみえたことと、いくつかの懸念材料が解決したこともあり、二階堂も含め四人の口調からは重苦しさが払拭されている。
「お言葉に甘えたらいかがですか? お兄様」
「そうは言うが……恭介さん……二階堂さんは大丈夫なのですか?」
「ここはある意味身内しかいない。名前で構わないよ、海空陸君? で、大丈夫というのは?」
「美咲ちゃんのことですよ。心配じゃないんですか?」
「おいおい。美咲はもう二十四だぞ? なにを心配することがあるのだ」
「……よく言いますよ」
今まで出張の類はすべて断ってきた男が……
二階堂の性格をよく知る貫千は肩をすくめた。
「それでしたら決定ですね! すぐにお部屋の支度をさせます!」
「はあ……済まない、小百合。アキラ。小百合についていってくれ。それとレンタカーの延長を」
「はい! お兄様!」
二人が牡丹の部屋から出ていく。と、
「質問は後ほどA4用紙十枚ほどにまとめておこう。長い夜になりそうだな──海空陸君」
眼鏡を、くい、と上げた二階堂が不敵な笑みを浮かべた。
蛇に睨まれた蛙──。
貫千の背筋を冷たいものが流れる。
「お、お手柔らかに……」
こうして急遽、蓮台寺家の別荘にて一泊することになったのだが──。
喜田川に指導したり、雅から派遣された護衛と調整を取ったりと、するべきことはたくさんある。
そのため貫千としてもその方が都合は良かった。
無論、こういった際は臨機応変に行動することが必要だと理解してはいるが──二階堂の光る瞳の奥と、近くにある温泉の話題を口にしながら出ていった二人のことを考えると……
「……はあぁ」
都合は良くとも、貫千は大きな溜息を吐くのだった。




