3-6 黒塗りの車
車を降りた貫千は、すぐに男らに近寄ることはせず、いったん自分たちのレンタカーの後方へ回った。
車の中では小百合と明楽が不安げな顔で貫千の行動を見守っている。
貫千はトランク付近までくると、今しがた走ってきた林道の奥へ目を凝らした。
貫千はしばらくの間そうしていたが、十秒ほどすると身体の向きを変え、五十メートル前方で停車している車へと近寄っていった。
近づくにつれて男らの容姿が明らかになってくる。
二人は揃いの格好をしていた。
上下ともに灰色の作業着のような服を着ており、同色のキャップ帽を被っている。
車のナンバーは県内のもので、どうやらレンタカーのようだった。
貫千は様子を窺いながら近寄ると
「どうかされましたか?」
ボンネットを開けて作業をしている二人に向かい、声をかけた。
すると二人が同時に顔を上げ、そのうち貫千に近いほうの男が
「いやあ、車が突然調子悪くなっちまってよ。うんともすんともいわねえもんだからどうにも往生してるんだわ」
貫千に近寄りながら説明した。
「悪いな。今、仲間が車屋に連絡しに行ってっから、じきに修理にくるとは思うんだがな」
ここいらは携帯の電波が届かねえんだ、と、もう一人の男が補足する。
二人の男は非常に体格がよかった。おそらく格闘技に精通しているのだろう。
歳は三十前後といったところか。
「そうですか。それは大変ですね──」
男らに応じながら貫千がスマホを取り出す。と、男の言うとおり通信不可となっていた。
「自分たちはこの先に用事があるのですが、修理はどれくらいで来られそうですか?」
「さあ、どうだろうな。この時期は忙しいだろうから、二、三時間かかるかもしれねぇな」
二、三時間──。
それでは約束の時間に間に合わない。
「迂回する道はありますか?」
「別荘地に行くんならこの林道以外にはねえな」
電波の入る道まで引き返して遅れる旨の連絡を入れるか。
それとも車を置いて走るか。
だが小百合にペースを合わせるとなると──
山道ということを考慮して一キロ三十分。
三キロでは一時間半か……
夕方の往診までには済ませたいから、なるべくなら早く訪問したいが──
小百合は俺が担ぐか。
それであれば十五分もあれば余裕を持って間に合う。
カーナビがなくともここからは一本道だ。
迷うようなこともないだろう。
「──わかりました。車のことは自分もさっぱりなのでお力にはなれませんが、どうぞお気をつけて」
行動を決めた貫千が男らに背を向けようとしたところ、
「おい! わかったって、どうすんだ!?」奥にいた男が質問をしてきた。
「車を邪魔にならない場所に停めて、自分たちは徒歩で向かいます」
振り返った貫千が小百合たちの乗る車を指さしながら答える。
「……徒歩で?」手前の男が怪訝そうな目つきで貫千を見ると
「はい。約束の時間に遅れるわけにはいかないので」貫千は涼しい顔でそう言った。
「こっからは三キロ以上あるぞ? それも登りだ」
「問題ありません。山道には慣れていますので」
貫千は「では」と挨拶すると車に戻った。
◆
「いかがでしたか? お兄様」
貫千が車に戻ると、不安そうな表情をした明楽が尋ねた。
貫千は、なにやら話し合っている様子の男二人に視線を置いたまま
「車の故障だそうだ。エンジントラブルかなにかだろう。修理が派遣されるまで二、三時間はかかるらしい」
二人に事情を説明する。
「それでは間に合いませんね……では連絡を──」小百合がバッグからスマホを取り出すが
「いや。この辺は電波が届かないようだ」貫千がそれを止める。
「あ、そうでした……」小百合が、もう少し先まで行くと繋がるのですが、とスマホをしまう。
運転席では明楽がスマホを取り出したが、やはり圏外だったようですぐにカバーを閉じた。
「だから車を置いて徒歩で向かう」
「徒歩、ですか?」
小百合が驚いたような顔をする。
「ああ。それが一番確実で早い」
「お兄様。私は構いませんが、小百合さんは……」
明楽が後部座席を振り返る。
するとそこにはお嬢様然とした服装の小百合が。
白いワンピースに薄手のカーディガン。靴はヒールがやや高く、とても登山するような服装ではない。
かく言う明楽もノースリーブのブラウスに、ふわっとした膝丈までのスカートと、割と都会的な服装ではあるが。まあ、それでも毎朝鍛練を行っている明楽であれば特に問題はないだろう。
「小百合は俺が抱えていく」
「え!?」
小百合がさらに驚いた顔をする。
「仕方ないが我慢してくれ。小百合の歩調に合わせていたのでは約束の時間に間に合わない」
「……はい。重たいと思いますが……よろしくお願いいたします……」
勇者リクウの実力を知る小百合は、遠慮はせずに真っ赤な顔で頷いた。
そしてそんな小百合を羨望の眼差しで見つめる明楽であったが、貫千の視線は前方の男二人に置かれたままだった。
◆
「アキラ、バックで戻ってくれ。駐車できそうな適当な場所を探そう」
貫千が指示を出すと、明楽は言われた通りに車を後退させた。
貫千はといえば、少しずつ遠ざかっていく男らから目を離そうとしない。
「あきらさん、百メートルほど後ろに車同士がすれ違えるスペースがあります」
後ろを見ていた小百合が明楽にそう告げると、
「ありがとうございます。ではそこに──え!?」
「あ、あきらさん! 車が!?」
二人の異変に気がついた貫千が後方を振り返る。
すると、猛烈な速度で突進してくる黒塗りの車を視界に捉えた。
「な、なにを考えているのでしょうか! あの車は!」
明楽が急ブレーキを踏む。黒塗りの車からは貫千らの車が見えているはずだ。だがスピードを落とすような素振りは見せない。このままでは数秒後には衝突してしまう。ハンドルを切り、急ぎ脇に避けようともそのスペースがない。
「きゃあ!」
「お、お兄様!」
小百合と明楽が悲鳴を上げる。
「大丈夫だ。二人とも」
後ろを見ていた貫千がそう言いながら前を向き、男らを見る。
距離があるためはっきりとは確認はできないが、その顔はニヤついているように見えた。
「決まりか……」
貫千が呟くと同時──
「きゃああ!」
「お兄様っ!」
小百合と明楽が、衝突の衝撃から身を守ろうと身を縮こまらせた。
貫千がサイドミラーで確認すると──減速するどころか、速度を増した黒塗りの車がまさに衝突する直前であった。
次の瞬間──林に轟音が響き渡った。
そして貫千らの乗る車は激しい衝撃に襲われ──るかと思われたが、そうはならなかった。
追突はしたはずなのだが、車に衝撃は一切伝わってこなかった。
その証拠に、車内に置かれたペットボトルに入っているミネラルウォータの水面は、僅かにも揺らいでいない。
何事もなかったかのように、クーラーの冷風が快適に車内を循環しているだけだ。
「え!?」
「なんともない……?」
小百合と明楽がおっかなびっくりといった様子で顔を上げる。
そしてゆっくりと後ろを振り返ると──
「きゃあ!」
「どうして!?」
そこにはフロント部分が大破した黒塗りの車があった。
フロントガラスが砕け、中にいる男二人の苦痛に歪む顔が見えている。
やはり車は衝突したようだ。それもかなりの勢いで。
だが、こっちはまったくの無傷であることに、小百合と明楽はぽかんと口を開けている。
そんな二人を横目に貫千が右手をサッと払う。
すると、二台の車の間にあった不思議な光がふっと消えた。
「ま、魔法障壁……」
どうやら小百合にはその正体がわかったようだ。
向こうで見たことがあるのだろう。
小百合の呟き通り、貫千は車を降りてすぐ、こうなった際に備えて車の後部に魔法を行使していたのだった。
「二人とも大丈夫だな?」
貫千が確認すると二人は無言で頷いた。
「さて、と。事情を聞いてくるか」
貫千は、小百合と明楽に車から出ないように指示をすると、おもむろに車外へ出るのであった。




