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異界帰りの(元)第二王女専属給仕係  作者: 白火
2. VS某国の貴公子
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幕間 トライアル・アンド・エラー



 とある休日の朝──。


 スーパーの開店の列に並ぶ一人の女性。

 目当ては、都内を中心に展開するこのチェーン店が毎週末に開催するタイムセール。

 様々な商品を得値で買うことができるこのセールは、開店十分前ともなれば長蛇の列ができていた。

 今日も例外ではなく、女性が列の最後尾に着くころには、すでに二十人ほどの客が並んでいた。




「あら亜里沙ちゃん、おはよう」


 女性が最後尾に並んですぐ、女性の後ろに並んだおばさんが女性に気軽に声をかけてきた。


「あ、おはようございます! 佐々木さん」


 女性──亜里沙はそのおばさんに笑顔で挨拶を返す。


「亜里沙ちゃん、今日はなに狙いなの?」


 一年通い続けるうちに顔なじみになった近所に住む女性──佐々木が続いてそう聞いてくると


「卵です!」亜里沙は元気に答える。


「亜里沙ちゃんが食料品狙いなんて珍しいわね」

「ちょっと作りたい料理があって……あ、佐々木さん、玉子そぼろって佐々木さんならどうやって作ります?」

「玉子そぼろ?」

「はい。昨日インターネットのレシピサイトで調べていろいろ試してみたのですが、なんというか……上手にできなくて」


 亜里沙は少し照れたような表情で主婦歴の長い佐々木にアドバイスを求める。


「あら、亜里沙ちゃんが料理するなんて。なに? 彼氏?」佐々木が亜里沙の身体を肘で突くと


「ちょ、ちょっと、佐々木さん! 違いますって! 自分で食べる分です!」


 亜里沙はその肘から逃げるように身体をくねらせる。


「そぼろねぇ。わたしも昔はよく作ったけど、子供たちの弁当が終わってからは、めっきり作らなくなったからね~。でもあの料理にコツなんて……まあ、少し日本酒を入れることと、砂糖を多めに入れるってことぐらいかねぇ。砂糖も上白糖じゃなくてちょっと高いけど甜菜糖なんかで作ると美味しくなるかもしれないね」


 佐々木は自分の知っているコツを丁寧に亜里沙に教えると


「なるほど!」亜里沙は買い物メモに日本酒と甜菜糖を書き加えた。


「ありがとうございます! 早速試してみます!」


 亜里沙が礼を言ったところで、開店の音楽が流れ始めた。


「さあ、亜里沙ちゃん、しっかり目当ての商品ゲットするんだよ」


 列が動き始めると、亜里沙は戦闘モードにギアを入れ替えるのだった。





 ◆





 買い物を終えてアパートに戻ってきた亜里沙は服を部屋着に着替えると、早速調理に取り掛かった。


 ボールに卵を割り入れ、箸で軽く溶くと、奮発して購入した高級日本酒を少々と、これまた普段では決して買い物かごの中には入れないだろう高価な砂糖を佐々木のアドバイス通り贅沢に入れる。

 それをよくかき混ぜ、最後に塩をほんの少し入れると下ごしらえは完了。


 レシピサイトで調べた通り、フライパンを温めて油をほんの少し回し入れ、しばらくしたら──


 ──ジュッ


 卵液を一度に流し込む。


 それを用意していた亜里沙手製の調理道具、その名も玉子かき混ぜ棒(といっても割り箸を数本輪ゴムでまとめただけのものだが)でグルグルとかき混ぜる。

 水分が蒸発すると、それと一緒に日本酒のアルコールが飛び、ぷん、とお酒の匂いが鼻をつく。


「あれ! なんだかいい感じ?」


 明らかに昨日作ったそぼろとは違う。


「もしかして成功!?」かき混ぜる手にも力が入る。


 そして完全にそぼろ状態になるまで炒ると──


「できた!」ガス台の火を止めた。


「ん~! 美味しそう!」


 黄金に輝くそぼろに期待値は跳ね上がる。


 仕上がったそぼろを皿に盛る。

 そしてボールもかき混ぜ棒もフライパンも放ったまま、一目散にリビングに移動した。

 一人用の小さな折りたたみテーブルの上に皿を乗せ、薄いクッションの上に座ると


「いただきます!」


 今度こそ成功しているはず──


 箸を取り、そぼろを口に運んだ。

 

 だが──


「違う……」


 想像とまったく違う出来上がりに、亜里沙は皿と箸をテーブルに戻した。


「どうしてなのよ……」


 落胆した亜里沙は後ろのベッドに寄りかかる。


「やっぱり日本酒と砂糖にこだわっても、ひとパック十円の卵じゃダメか……」


 亜里沙はスマホを手に取り、そしてリダイヤルの画面から通話ボタンを押した。


「──また出ない……ミクのヤツ……私のこと避けてるわけじゃないでしょうね」


 相手が電話に出なかったことに苛立ちを覚えつつ、残ったそぼろを頑張って食べる。


「もう! どうやったらあの味になるのよ!」





 亜里沙の部屋の狭いキッチンは卵の殻で溢れていた。

 

 亜里沙はそれを見てまた溜息を吐く。

 

 昨日からそぼろを作っているのだが、使用した卵は全部で五パックにもなる。

 自分の腕の未熟さにもだが、玉子そぼろにかなりの金額を使ってしまったことに僅かながら後悔の念を抱いていたのだった。

 といっても玉子に至ってはスーパーのチラシを見て、安売りしている店をはしごして手に入れた卵なのだが。


 それでも食料品にこれほど金をかけることなど亜里沙にとっては初めてのことだった。

 朝は食べないし、昼は社員食堂、夜は近所の人が分けてくれる総菜やスーパーの値下げ品で済ませる。

 そんな亜里沙の家には調理器具などなにもなかったので、フライパンやボールといった調理器具も新たに購入した。

 しかしそれでも成功しないのだ。

 あの味を出せないのだ。


 こんなことなら実家にいるときに真面目に料理を習っておくんだった……


 亜里沙はシンクに溜まった大量の卵の殻を、大きな溜息を吐きながらゴミ袋に移した。




「やっぱり卵か……」


 正直、料理の”り”の字も知らない亜里沙は玉子なんてどれも同じと考えていた。

 鶏からポコッと産まれてくる卵に味の違いなど求めてはいけないものだと考えていた。


「でも、それしかもう考えられないわね……」


 こうなったら行ってみるしかない。

 あのマダム御用達の高級スーパーに。


 あそこならあの味を出せる卵が売っているかもしれない……


 そして亜里沙はもう一度着替えると、財布を握りしめて家を出るのだった。




 ◆




 自転車のペダルをこぐこと一時間。

 亜里沙は、より都心まで来ていた。


 そして目的のスーパーに到着すると、一分ほど息を整え──


「よし! 休憩終わり!」亜里沙は店の中に入っていった。


 初めて来たけど……綺麗なお店……


 店内にはジャズが流れていた。

 客もみな小奇麗な格好をしいる。話題も病院や持病の話などしておらず、名家の娘の婚約延期といった格式の高い話題などで盛り上がっている。

 佐々木のようなおばさんは一人もいなかった。


 しかしながら亜里沙の今の服装は、近所のスーパーに行くときと同じ、ジャージ姿だ。

 普通の女性であればそのことに少なからず引け目を感じてしまいそうなものだが、亜里沙は違っていた。

 開き直っているわけではない。

 ジャージ姿であっても美しいと驕っているわけでもない。


 ただ単に美意識が著しく欠如しているだけであった。


 たが、ジャージ姿であっても亜里沙の内から滲み出る気品の高さは店内の誰にも負けていない。

 だけでなく、店員も含め亜里沙の美しさにみなが目を奪われている。


 しかし亜里沙はそんなことまったく気にもかけずに卵売り場を探していた。


 そして卵がずらりと並ぶ棚を見つけた亜里沙は、興奮気味に駆け寄った。

 そしてショーケースの中のケーキでも選ぶかのように、いくつもの種類がある卵を見て嬉しそうに悩み始めた。


 だが……


「た、卵が五百円!?」


 その値段の高さに驚愕し、思わず声に出してしまった。


「え!? こっちは千円! たった六個しか入ってないのに!? うそ!」


 そして、さらに高価な卵を見つけた亜里沙は目を疑った。


「う、うこっけい……?」


 世の中にこんなに高価たかい卵があるなど、亜里沙は知らなかった。

 値下げ品コーナーしか興味のない亜里沙からしてみれば、こうしてしっかりと探さない限り、こんな高価な卵が視界に入ることなどなかっただろう。


 十円の卵となにが違うのかなど、亜里沙にはわからない。


 でもこれなら……


 亜里沙は財布の中を確認した。

 そこには千円札が一枚入っている。

 小銭を見る。百円玉が……一枚。

 消費税分もなんとかある。しかし全財産は千百円。

 この卵を買ってしまうと、今度は飲み物を買うことができなくなる。

 さすがに夏の日中、水分補給なしでは身体が心配だ。


 どうしよう……

 水筒持ってくればよかった……


 卵がこんなに高いとは思わなかった。

 せいぜい二百円程度だろうと高を括っていた。


 でもこの卵なら……


 そして亜里沙は清水の舞台から飛び降りた。




 一時間自転車をこいでセレブ御用達スーパーに行き、見たこともない超高級卵を買い、再び一時間自転車をこいで帰途に着き、途中喉が乾いたら公園の水道で水分補給をして、汗だくでアパートに戻り、シャワーも浴びずに調理を開始して──。



 出来上がって皿に盛ったそぼろ。


 そのお味は──。




 数日後、そぼろ弁当の秘密を打ち明けた貫千がエラい目に遭った──と言えばわかってもらえることだろう。




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