2-12 第二章最終話 星空
貫千は右腕を身体の前に突き出した。
すると、三人が見ている前で、その右腕が指先から徐々に消えていく。
まるで宙に溶けていくかのように。
だが、貫千の横に座る明楽からはそれが見えていた。貫千の正面に突如として現れた、サッカーボールほどの大きさの薄く平らで黒い円が。そしてその中に兄が腕を挿入していくところが。
貫千の正面に座る小百合とその隣の有栖川には、まさしく手が消失してしまったかのように見えていることだろう。
そして約三秒。
貫千が穴からゆっくりと手を引き出すと──
「これが向こうの世界──アースクラインの食材だ」
いつの間にか手に持っていたモノをテーブルの上に置いた。
明楽がテーブルから宙に視線を移したときには、そこにあった黒い円はすでになくなっていた。
まるでマジックショーを見させられているかのような光景だ。
明楽は大きな目をさらに大きくして「お兄様……いったい今のは……」緊張からかやや掠れた声で尋ねる。
「これは──」さしもの有栖川も突然出現したテーブルの上のモノに絶句している。先ほどの回復魔法よりも驚いている様子だ。
テーブルに乗せられたモノは細長く、人参のような形をしているのだが、色はよく目にする赤ではなく青。
それも薄らと発光しているかのように見える。
「これは向こうではポピュラーな──」
「ピエンタ芋、ですね!」貫千が正解を言うよりも早く、小百合が素早い動きで二本あるうちの一つを手に取った。
「このままでも食べられますが、皮ごとすりおろしたものを容器に入れて十五分ほど蒸すと、ふっくらとして甘みが増して、とても美味しくなるのです!」
「柔らかい蒸しパンのような食感です!」向こうで暮らしていた小百合が食べ方の説明をする。
すると、明楽が惹きつけられるようにテーブルの上のそれに手を伸ばそうとするが──
「アキラ。危険だから触れるのは止めておきなさい」
貫千が制止したことにより、ハッと手を引いた。
「今、私無意識のうちに……」
「それが向こうの食材だ。いいかアキラ。ここからがアキラにとって、とても重要な話になる」
貫千はピエンタ芋を手に取ると
「俺の部屋に絶対に立ち入ってはいけないと言っていたのは、こういった向こうのモノを厳重に管理しているからだ。さっき言ったように俺はこっちの食材に魅力を感じない。それはなぜかいうと、向こうの食材。アースクラインの食材には魔力が含まれているためだ。──この芋にも」
「魔力……」明楽はそう聞いて、視線を貫千から芋へと移す。
「正確には食材だけではない。どんなものにも、人間にも、昆虫にも、植物にも、鉱石にも、含有量こそ様々だが、ほぼすべての物質に魔力が含まれている。話を戻すが、魔力を含む食材を摂取すると、その食材が持つ魔力は体内のある器官に蓄積されるようだ。ようだ、というのは実は俺にも向こうの人間にもよくわかっていない部分が多いからだ」
貫千が、そのあたりは了承してほしい、としたうえで話を続ける。
「でだ。その器官、仮に魔臓と呼ぶとすると、魔臓は人によって魔力を蓄積できる量が異なる。酒の弱い人間と強い人間、いや、胃袋の大きさで説明した方が適当か。魔臓の大きな人間はそれだけ多くの魔力を蓄えることができる。そうでない人間はその逆だ。つまり、魔臓の大きな人間ほど魔力を含む食材を大量に摂取する必要がある、ということだ」
「……はい」
明楽は貫千の話す内容は理解できるが、それと危険性を結びつけることができずにいるようだ。
「大事なのは、魔臓はどんな人間も持っている、ということだ。もちろん地球に住む人間は気づいていないが──アキラ。おまえがこの芋を摂取するとどうなるかというと、まず休眠していた魔臓が目を覚ます。活性化した魔臓は魔力を欲するようになる。すると脳がそれに反応して魔力を含む食材を旨味として認識し、それ以外はどうでもいいものとしてしまう。俺が地球の食事を美味いと感じないのはそのためだ。それ以外にも理由はあるが、恐ろしい副作用を招く」
「そんな副作用が……」ようやくすべて理解したのか、明楽の顔が強張る。
「まあ、脅かすようなことを言ったが、実際これ一本食ったところで魔臓が活性化するようなことはない。最低でも一カ月は魔力を摂取し続けないとそうはならないだろうな」
貫千は明楽の緊張を解そうと、そぼろ弁当のことを例に出して説明した。
「会社に入りたての頃、二階堂さんという人と仲良くなって、その人の家に招待してもらったことがあるんだが……そこでそぼろご飯をご馳走になってな。なにが足りないのか説明を求められたことがあるんだ。なんでも完璧なそぼろご飯を求めているとか。それを思い出して二階堂さんに給したんだ。まあ、一食分食べたところで魔臓が活性化することはないとはわかってはいたが、でも効果は絶大だったようだな」
そのことを知っている小百合は「私も食べてみたかったです」と口を尖らせている。
そのときの貫千は小百合とはほぼ初対面だったので、そう言われてもどうすることもできなかったのだが。
「そんな裏話があったとは、驚きだよ。カンチが言っていた二階堂さんの人間らしさって、そのことだったのか。どうりで……二階堂さんも亜里沙もあの弁当を気にしていたわけがようやくわかったよ」
「ああ。実は亜里沙からも何度か連絡が来ているんだが、忙しいタイミングが続いてまだ話ができていないんだ」
貫千が種明かしをすると、有栖川は合点がいったように大きく首を縦に振った。
明楽も劇薬ではないと知って多少は安心した様子だ。
「まあここからは余談だが、魔臓の大きさは魔法の強さに直結する。大きければ大きいほど魔力を多く蓄えられるんだから当然といえば当然だが。そして俺は魔臓がものすごくでかいらしい」
「なるほど。つまり、魔法を使うには、こういったモノを食べなければいけないということか」
「そうだ。先ほど小百合が飲んだ液体。あれはその魔力だけを抽出して液体化した薬だ。ポーションといえば耳に馴染みはあるだろう。ちなみにあの小瓶一本分のポーションを生成するのに、この芋だと──そうだな、トラック五台分は必要になるか」
有栖川の問いに貫千がそう答えると
「そ、そんなに! だとしたらとても危険な薬なんじゃ……蓮台寺さんも副作用が……」有栖川は焦った顔をして小百合を見る。
「私はもう活性化していますから問題はありません。一年間向こうにいましたから」
小百合は「安心して下さい」と有栖川に返す。
「ちなみにシャルほどの高位の魔法使いがあの小瓶一本分のポーションを服用すれば、瀕死の人間をほぼ全快に回復できるまでの魔力が一瞬で蓄えられる。だが、逆に低位の魔法使いであれば、先ほどの回復魔法すら発動できずに終わる」
「そんな貴重な魔法を私に……」明楽がテーブルの上にある空になった小瓶を見て申し訳なさそうな顔をする。
「百聞はなんとやらだ。小百合の魔法の試験もしたかったからな。気にするな」
「約十年ぶりの発動でしたが、身体は憶えているものですね」
貫千と小百合が目を合わせて頷き合う。
「あの、お兄様。仮にですが、そのポーションを飲めば私にも魔法は使えるようになるのでしょうか」
今までの話を聞いていて気になっていたのか、明楽が貫千にそう質問した。
有栖川もそのことには興味があるようだ。前傾姿勢になると耳を傾けた。
「無理だな。魔法は誰にでも使えるものではない。恒常的に魔力を摂取している向こうの人間でも、魔法の使えない者は多く存在する。ましてや魔臓が発達していない今の地球人では魔法を行使することはおろか、魔力含んだモノを摂取することによって中毒症状を引き起こしてしまう恐れがある。俺はたまたま適性があった、と思っているが」
「中毒症状、ですか? 食事が美味しいと感じなくなる以外に……?」明楽が再び眉をしかめる。
「さっき言ったもうひとつの副作用だ。おそらく、だが、麻薬のような効果があるのかもしれないな。俺も初めは向こうの食材を飽きることなく食べ続けていたが、後になって考えればそれが原因だったのかもしれない。そしてその症状は魔臓が安定するまで続くことになる」
「つまり……」有栖川も険しい表情になる。
「安定的に摂取することができない地球でその症状に罹ってしまえばかなり面倒なことになる。俺や小百合は魔臓が安定しているから、どれだけ摂取しようと美味い食事と思う以外にない。まあ、魔力は貯まるが、副作用などとくに表れない」
「魔法使いになることは諦めた方がよさそうだね」
「そうですね……」
有栖川と明楽が同時に頷く。
「今の段階では、な」しかし貫千がそう続けると
「どういうことですか?」小百合が質問する。
すると貫千は「あくまでも仮説の域は出ないが」と前置きしたうえで話を続けた。
「地球とアースクラインはとてもよく似ている。細かいことは省くが、本来、地球も魔力を持つ星だったと俺は考えている。人類が誕生する前、もしくは直後、地球は魔力を持たない星になってしまったのではないかと。いや、魔力を制御されている、と言うのがが正しいか」
「……どういうことだい? カンチが言いたいのは太古の地球では自然界にこういったものが存在していた、ということなのかい?」
有栖川が芋を指差すと
「俺はそう考えている」貫千はそう答えた。
「それなら聞くが、なぜ今は存在しないんだい?」
「それはわからない。もしかしたら──地球上には魔力を生成できないようにする制御装置のようなものがあるのかもしれない。俺の魔法も、こっちで使うと向こうにいたときよりも大量の魔力が必要になる。制御装置以外にも理由はあるだろうが、俺はそれを疑っている」
有栖川の指摘に貫千は真面目な顔で自説を述べる。
「さすがにそれは……」有栖川が息を吐きながら背もたれにもたれる。
「だからあくまでも仮説にすぎないと言っている。まあ、今の話は忘れてくれ。とにかく俺が話したかったことは以上だ。長い時間付き合わせて悪かった」
貫千がそう言ったことでひとまず難しい話は終了となった。
その後、小一時間ほど向こうの話を中心に雑談をしていたが、小百合のスマホに何度も着信があったことで会はお開きとなった。
◆
有栖川が小百合を車で送っていくことになり、自宅に残った貫千は、部屋で一人考え事をしていた。
そのとき部屋の扉がノックされ、貫千が扉を開けると、リビングの片付けを終えた明楽が立っていた。
「どうした」貫千は先ほど部屋の事情を説明したので、もう問題ないと、明楽を中に招き入れた。
明楽は部屋にある鍵のかかった冷蔵庫や金庫などを一通り見回した後、
「──先ほどお聞きできなかったことなのですが、お兄様は、その、シャルティアという女性にどのような想いをお持ちなのですか?」
勧められたイスには座らず、立ったままそう尋ねた。
それに対して
「俺の命と代えてでも護らなければならなかった人物だからな。それくらいには大切に想っている」
貫千はそう答えたが、
「そうではなく、男と女としての感情です」明楽はそう問い直す。
「なぜそんなことを?」
「それは……もう逢えないかもしれない女性と……」
明楽は最後までいうことなく口を噤んでしまった。
貫千は呆れたように肩をすくめると
「まあ、そうなるな。だが、俺はシャルと約束したんだ。それを叶えるために努力は惜しまない。大賢者は一生に一度という魔法で俺を向こうに転移させた。だが、俺はそこまで労せずに帰ってくることができた。だから、条件さえ揃えば俺がシャルを呼び出すことも可能性としてはあるのでは、と思っている」
今頭の中にあることを正直に話した。
「それはそうかもしれませんが、地球では難しいとお兄様が」
「制御装置のことか。それならすでに考えはある。俺の仮説が正しければ、その影響が及ばない場所で術を行使すればいいだけの話になる」
「……そのような場所があるのですか?」
「おまえもよく知っている場所だ」
明楽はしばし考えた後
「それは海の中では?」そう答えるが
「いや、そこはダメだ。そこにも装置はある」
貫千が首を横に降る。
「では……南極とか……?」
「残念ながら不正解だ。そこにもある」
「では……」明楽が顎に指を当てて考え込むと
「俺の会社と関係する」貫千がヒントを出した。
そこでようやく閃いたのか、明楽はポンと手を打つと
「宇宙ですか!」大きな声でそう答えた。
すると貫千は笑顔で頷いた。
「ここだけの話だが、宇宙空間に迎賓館を建造する計画が進みつつある。仮にそれがうまく進めば……あるいは……まあ、どちらにせよ楽ではない道のりだがな……」
貫千の運命はすでに決まっていたのかもしれない。
強くなることを諦め、宇宙を目指すことを決意した高三の夏に。
この一カ月、何度も諦めかけた夢。
何度も手から零れ落ちかけた夢。
だが、貫千はシャルティアと約束を交わした。
天啓を受けたかのように突如頭に浮かんだあのプロジェクト。
あれが運命の歯車の一つとして廻っていたというのなら、立ち止まっている場合ではない。
シャルティアとの約束を果たすために──。
「まあ、そればかりは、神のみぞ知る、だ」
貫千はそう呟くと、窓から星空を見上げるのだった。
第二章 完
これにて第二章の完結となります。
お読みいただき、ありがとうございました。
第三章は外務省キャリア二階堂と亜里沙が登場する予定です。