2-11 貫千の秘密
「お……兄様……?」
「こちらが電話で伝えておいた会社の後輩で蓮台寺小百合さん。小百合、妹の貫千明楽だ」
「始めまして。あきらさん。蓮台寺と申します。貫千先輩とは先週の木曜日にお会いしたばかりなのですが、その後、何度もお助けいただいて──本日は突然お伺いしてしまい申し訳ございません。ご迷惑ではなかったですか」
「は……い……い、いえ、そのようなこと……あ。い、妹の貫千明楽と申します……あ、兄がいつもお世話になっております……」
貫千の家を訪問することができて感激している小百合。
電車の中で何度も練習していたのにその通りにできなかった明楽。
そして、そんな二人を他所に夕飯をどうしようか考えている貫千。
日曜日の昼下がりは、それぞれそんな思いを抱きながらのスタートとなった。
◆
「驚きました! だって先ほどニュースで流れていたばかりですから! 婚約発表が延期になったと! お兄様も一緒においでになる方が蓮台寺様と一言いってくだされば!」
リビングのソファに明楽、貫千、その向かいに小百合といった並びで腰を掛けると、紅茶を用意する間に気持ちを立て直すことに成功した明楽が小百合と貫千を交互に見る。
「やはりそうでしたか。驚かせてしまってごめんなさい」
「小百合が謝る必要はない。ここは俺の家だ。それにどのような来客があっても、冷静にもてなすことができないのでは一人前とはいえない。たとえ報道で知っていたとしても、客人のプライベートなことに触れるなどホスト失格だ」
小百合は申し訳なさそうに明楽に頭を下げるが、貫千は紅茶をひと口啜ると明楽に厳しい言葉を投げかける。
「先輩、なにもそこまで……」
「い、いえ! お兄様の言われる通りです! 蓮台寺様が頭をお下げになる必要などございません。配慮が足りなかったのは私の方です。申し訳ございませんでした」
今度は明楽が頭を下げる。
明楽もこの家で世話になるからには、家長である貫千の求めるところの先を行かなければならないと努力しているようだ。
事実、苦手だった炊事も洗濯も掃除も頑張って取り組んでいるのだろう。
美しかった両手は赤く荒れており、指先には絆創膏が張られ、薄っすらと血が滲んでいた。
「あきらさん……でもその報道がすべてです。婚約は流れて──といいますか、もともと父が一人でアライド家との縁組を推し進めていただけなのです。母が病に伏せっているのをいいことに、好き勝手に事を運ぼうと」
「そうだったのですか……」
「あきらさん、お化粧室をお借りしてもいいかしら。ついでに家にも連絡をしてきます」
小百合が席を立つと、そのタイミングで貫千が朝方に本家であったことを明楽に話して聞かせた。
◆
「三つの条件と交換に立ち合われたのですか?」
雅と戦ったと聞いて、明楽が目を丸くする。
「ああ。雅の思いがわからないでもなかったからな。以前とだいぶ印象も変わっていたよ」
「印象……でも、その三つの条件というのは、お伺いしても……?」
「一つは結果に関して貫千は関与しない。つまり勝っても負けても恨みっこなしってことだ。二つに、ある情報を雅が責任を持って消去する。まあこれは俺が少しやらかしてしまった、まったくもって個人的なことだ。そして三つに、条件付きで貫千の裏の力を俺に貸し出すということになった。条件とは可能な範囲内で俺が雅に力を貸すこと。あくまでも私的な事のみだが。とまあこんなところだ」
「貫千の裏の力……それを雅様が……でも条件に条件を付けてでは……」
明楽が心配そうに海空陸を見る。
人のいい海空陸が雅に唆されたのでは、と推測したのだろう。
「まあその辺りはお互いに利があるから問題ない。すでに三つ目の条件は使用させてもらったしな。俺の名で使うのは面倒なことになりそうだから、あくまでも雅の名でだが。なんだかあいつも変わったな。以前は俺を毛嫌いしていたというのに。まあとにかく、雅とはあくまでも表向きだが、協力関係にあるといっていいかもしれない」
「協力……あの。その使用した三つ目というのは──」
「あまり大きな声では言えないが、ある組織を壊滅状態に追い込む餌を蒔いたんだが、その刈り取りを頼んだ」
貫千がにやりと笑う。
「お兄様……」
そこへ小百合が用を済ませて戻ってきた。と、同じくして、来客を告げるチャイムが鳴った。
そのことに「蓮台寺様。お兄様。少し失礼いたします」明楽がそれに応じようと席を立ち、インターフォンのある場所まで移動した。
「あら? 清華さまです。お兄様」明楽はモニターに映った訪問客を確認して貫千を振り返る。
「早かったな。もう来たか」貫千は小百合に断りを入れると席を立ち「アキラ、紅茶をもうワンセットお願できるか」──そう頼んでから玄関へと向かった。
「あれ? 蓮台寺さん?」
貫千とともにリビングに入ってきた有栖川が、小百合を見るなり驚いたような声を出した。
「有栖川先輩。こんにちわ。本日はわけありまして貫千先輩のお宅にお邪魔しています」小百合が立ち上がり挨拶をする。
「そうなんだ。じゃあ貫千の話というのも、蓮台寺さんにも関係することなのかな?」
有栖川は「外出先から飛んできたよ」と小百合の隣のソファに座った。
さすがは有栖川といったところか。
外出中でニュースを見ていなかったとしても、有栖川ほどの立場にいれば蓮代寺家の情報は入ってきているはずだ。だが、特にその件について触れるようなことはせず、貫千からの返答を待っている。
「忙しいところ悪かった。今からする話は、小百合が関係するというか、俺と小百合に関すること、といったほうがいいかもしれない」
そのとき、キッチンでなにかが床に落ちる音がした。
小百合が気を利かせて様子を見に行こうと立ち上がりかけたが「申し訳ございません! 大丈夫です!」カウンター越しに明楽の声が聞こえると、再び腰を下ろした。
小百合の隣では、貫千が小百合のことを名前で呼んだことに自分の耳を疑ったのか、有栖川が面食らった様子で「え?」と貫千と小百合を見ていたが、
「──なるほど。それはたぶん僕が訊きたかったことかもしれない。ひと月前からずっとね」すぐにそう応じた。
「相変わらず勘が鋭いな。本当は有栖川にはもっと早く打ち明けるべきだったんだが、エースに余計な心配をかけたくなかったんでな。すまない。それで今になった」
「いいさ。結果として話す気になってくれたのなら。で、どういった話なんだい? 僕で力になれるなら──え!? ええ!?」
そう話していた有栖川だったが、紅茶を持ってきた明楽の姿を見て
「あ、あきらちゃん!?」素っ頓狂な声を上げた。
「ご無沙汰しております。清華様」
明楽がお淑やかに有栖川の前にカップを置く。
「あ、あきらちゃん!? ど、どうして!? どうしてここに!?」
「数日前よりお世話になっているのですが……そんなに驚かれなくても……」
普段あまり取り乱すことのない有栖川だったが、明楽が視界に入った途端、気が動転したように落ち着きを失ってしまった。
明楽から少しでも距離を取ろうと、のけ反るようにしてソファの背に身体を押し付けている。
「有栖川。アキラはもう十八だぞ? 昔みたいにおまえを練習台にしたりなど、さすがにもうしないさ」
「清華様! あれはもう十年以上前のことです! お忘れください!」
動揺している有栖川に貫千と明楽はそう言うが
「う、うん。それはわかっているけど、身体は素直というか、条件反射というか……なんかごめん」
有栖川はなんとも覇気のない声で返事をする。
「お知り合いでいらっしゃるのですか?」三人のかけ合いを見ていた小百合が、誰にするともなく質問する。
すると貫千がそれに答えようと
「有栖川は昔、俺の家によく遊びに来ていたんだ。で、その際、当時はやんちゃな性格だったアキラが、なよなよしていた有栖川を鍛えると言って、有栖川が遊びに来るたびにうちの道場で有栖川のことをぶん投げていたんだよ。それが今でもトラウマになっているらしいんだ」
過去の話を聞かせた。
「だって六つも年下の女の子にいいように投げられるんだよ? 僕が中三であきらちゃんは、たしか小学校四年生くらいだったよね。そりゃあトラウマにもなるよ。僕は貫千に会いにいっただけなのに、毎回稽古着に着替えさせられて……」
「ふふ。そうだったのですね。あきらさんはなにか武道をされていたのですか? あ、家に道場ということは……」
「はい。実家が小さな道場を開いていたので、物心ついたときから門下生と一緒に鍛練をしていたのです」
貫千の隣に座った明楽が小百合の質問に答える。
「さあ、みんな揃ったところで話を始めようか。アキラ。おまえも一緒に聞くといい。いまからする俺の話を理解してもらったうえで、今後俺と生活をする際の注意点を伝えなければならない」
貫千が表情を引き締めてそう話すと
「はい。承知いたしました。お兄様」明楽も姿勢を正して返事をした。
◆
そして貫千は三人に、いや、一度小百合には簡単に話しているので正確には二人にだが、一カ月前に貫千の身に起きたことを、時間をかけて丁寧に話した。
突然見知らぬ世界に放り出されたこと。
それから何度も死にかけて十年を過ごしてきたこと。
一カ月前に帰って来たのはいいが、こっちの生活に馴染めなかったこと。
そのためミスを連発して左遷されてしまったこと。
こっちの食事を美味しいと感じなくなってしまったことも話した。
今は向こうから定期的に送ってもらっている食材でどうにか対処しているということも。
小百合も一年間向こうにいたことも、小百合から許可を得た上で打ち明けた。
貫千と同様、食事に興味を失ってしまっていることも、あのレストランの秘密も。
そしてシャルティアと小百合の関係についても、現在わかっている範囲で話した。
食堂の一件から今日の昼に至るまでの作戦と結果も、順を追って話して聞かせた。
していないのは、貫千の向こうでの十年に及ぶ生活ぶりくらいだ。
それに関しては長くなるので、『機会があったら話す』としておいた。
時刻は五時過ぎ。
紅茶もすでに四杯目となっていた。
「それでカンチは様子がおかしかったのか……」
話を聞き終えると有栖川は「蓮台寺さんも大変な思いをしたね」隣の小百合に同情の声をかけた。
やはり有栖川は少しも疑うような態度は見せなかった。
貫千の話を全面的に信じているようだ。
そのことに貫千は「話せて良かったよ」と、改めて感じた友の有り難みを声に出した。
一方、
「……お、お兄様が三十四……俄かには信じられない話です……魔法なんて特に……」
明楽は難しい顔をしたままそう呟いた。
そんな明楽の様子を見た貫千が小百合に視線を送る。
それに気づいた小百合が、
「よろしいのですか?」尋ねると
「数はある」貫千が頷く。
すると小百合は手提げバッグから小瓶を取り出し、それを開封すると中の液体をコクッと飲み干した。
「有栖川先輩。少し席を交換していただけますか?」
そう頼んだ小百合は席を移動して明楽の正面に座る。
「あきらさん。両手をテーブルの上に乗せていただけますか?」
明楽は言われた通りに、紅茶のカップを脇に避けてテーブルの上に両手の甲を上に向けた状態で乗せた。
何をするつもりだろう──明楽も、そして有栖川も固唾を飲んで小百合の様子を見ている。
小百合は、明楽の荒れて絆創膏だらけの手を、両手で包むように持ち上げた。
そして目を閉じる。
そして次の瞬間──
「えッ!?」
明楽が甲高い声を上げた。
「な、治っています! わ、私の手が! 傷が一つもありません!」
明楽が両手を前にかざすと、それを見た有栖川が目を見張る。
「ほ、本当だ! 蓮台寺さん! これってまさか!」
二人から視線を受けた小百合は貫千と目を合わせた。
説明は先輩に任せます、といった感じだ。
すると明楽と有栖川の二人は、バッ、と同時に貫千を見る。
「ああ。これが魔法。そして今見せたのは、シャルがもっとも得意としていた治癒魔法だ」
貫千は興奮気味の二人にそう説明した。
「ということは、お兄様も……?」
明楽がゴクッと唾を飲む。
「条件はあるが、俺も使える」
貫千は明楽にそう返すと
「一応向こうでは勇者などと呼ばれていたからな」と付け加えた。
「白銀の勇者様です」さらに小百合が補足する。
「ゆ……」
「はゃ?」
だが、有栖川と明楽のポケッとした顔を見た貫千は、
今のは余計だったか……
少しだけ後悔した。
微妙な空気を、オホン、と咳払いをすることで誤魔化した貫千は、続いて小百合がもっとも聞きたがっていたイマジナリボックスの説明と実践に移るのだった。




