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異界帰りの(元)第二王女専属給仕係  作者: 白火
1. VSエリート官僚
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第2話 靴音と懐かしい香り



「ねえ、見て? 有栖川様よ?」

「本当だわ! いつ見ても素敵……え? 隣にいるのって……」

「──ねえ、あの人じゃない? 政府絡みの案件をすべて駄目にしちゃった人って」

「──うちの会社の株価に影響与えるほどの大損害だったのよね。その尻拭いを有栖川様がさせられているらしいわ」

「どうしてそんな人と有栖川様が一緒に……」



「よく会社にいられるよな。俺だったらとてもじゃないが残れねぇよ」

「ちっ! あいつのせいで俺の部署も予算爆上がりで散々な目に遭ったぜ」

 

 オフィスビルのロビーでの会話は、貫千と有栖川の耳にも届いていた。

 しかし貫千はそれらの声に反応を示すことなく、普段通りの態度で出入り口に向かう。

 一方、有栖川は貫千に並んで歩きながらも、声の主を特定しようと周囲に視線を配っていた。だが、昼どきのロビーはあまりにも人が多く、それらを探し出すことができずにいる。

 貫千は、鋭い目つきをしている有栖川の気を紛らわそうと、今から向かう鰻屋の話を始めた。


 俺は味がわからないから一番安いのでいいぞ。

 いや、僕が出すんだから遠慮しないでほしい。

 喉を通ってしまえば千円の鰻も五千円の鰻も同じだ。

 同じじゃない、満足感や幸福度は値段に比例する。


 などとやり合っていたが、


「一家で首括って保険金で損失を補てんしろよ」


 誰かが言い放ったその一言に、有栖川が足を止めた。

 貫千も立ち止まり、有栖川を振り返る。

 貫千は有栖川の性格をよく知っていた。一緒にいる期間は十年以上になる。

 お互いが十三歳、中学一年の春からの付き合いだから正確には十一年。


 だから貫千は


「今の言葉を発したのは──」

「有栖川、俺は気にしていない。それより俺、鰻めっちゃ楽しみなんだけど」


 いつも自分より先に怒ってくれる友人の肩を叩き、白い歯を見せた。

 貫千の満面の笑みを見て毒気を抜かれた有栖川が


「……カンチ。そう……だね。よし、今日は一番高いのを頼もう」


 貫千に笑顔で返すと、二人揃って歩き始めた。



 二人がロビーの中程までやってきたところで、ロビーの空気が一変した。

 空気がピンと張り詰め、無駄口の類が一切聞こえてこなくなったのだ。


 貫千と有栖川の二人はお互い談笑しながら歩いていたので気がつかなかったのだろう。

 前方から来る一行にギリギリまで近づいてしまった。


 最初に気がついたのは有栖川だった。

 表情を強張らせた有栖川が貫千の腕を引く。

 貫千は「どうした?」と有栖川を見るが、その視線を追うことですぐに何事か判断することができた。


 背広を着込んだ十数人の集団。

 先頭を歩く厳めしい男が二人のことを──いや、有栖川のことを見ている。


 重厚なオーラを放つ団体は、この会社の社長と役員、それに取引先である政府の関係者だった。


 しん、と静まり返ったロビーに靴音が響き渡る。

 有栖川が脇によけようと、掴んでいた貫千の腕を引く。

 腕を引かれた貫千が周囲を見やる。と、両端に整列した社員が揃って頭を下げていた。さながら大名行列のようである。


 その光景を見た貫千がひっそりと笑みを漏らした。

 貫千が刹那浮かべた懐古に浸るような表情は、隣の有栖川にも気づかれることはなかった。


 カツ、カツ、と複数の靴音が貫千の前に迫ってくる。

 低頭している貫千の視界には磨き上げられた大理石の床しか入っていない。

 そこには、三階部分まで吹き抜けにされた天井から吊り下がるシャンデリアが美しく映り込んでいた。

 貫千は煌びやかな光の奥に、ある女性のことを思い出しながら一行が通り過ぎるのを待っていた。


 しばらくして──貫千が眺めていた大理石の床の上に、大理石よりも綺麗に磨かれた革靴が乗せられた。

 貫千はそれが社長の靴と理解する。

 その靴は大理石を通り過ぎ──てしまうことなく、貫千の隣で止まった。と同時、規則正しく響いていた靴音の重奏もピタリと止んだ。

 冷房の利いたロビーに緊張が走る。

 貫千の耳に、周囲の社員の息を呑む音が聞こえてくる。

 隣に立つ有栖川の緊迫した空気も伝わってくる。

 そのような状況の中、不謹慎にも貫千はひとり笑いを堪えるのに必死だった。


「二階堂さん、後ほど正式な挨拶の場を設けますが、この男が先ほど話した有栖川です」


 静けさを打ち破ったのは社長の低い声だった。

 すると団体の中からひとりの男が有栖川に歩み寄る。

 靴音を聞いた有栖川がサッと頭を上げて姿勢を正す。


「有栖川君、こちらが外務省の二階堂さんだ」

「君が有栖川君か。噂は聞き及んでいる。今日はよろしく頼むよ」


 そう言い、有栖川に向かって右手を差し出した二階堂という男はまだかなり若くみえる。三十代前半だろうか。

 細身の身体にぴったりとフィットした黒いスーツ。白いシャツにネイビーのネクタイと装いはシンプルだが、五十代後半の社長と並ぶと二階堂の若々しさが際立ってみえた。縁のない眼鏡を中指でくいと上げる仕草が癖のようだ。


「有栖川です。二階堂さん、本日はよろしくお願いいたします」


 有栖川は二階堂の差し出した手を握ると小さく頭を下げた。

 二階堂は有栖川を品定めするかのように、眼鏡の奥の黒い瞳を輝かせる。


「有栖川君。例のプロジェクトは総理も期待していらっしゃるそうだ。抜かりのないよう頼むよ?」


 社長が有栖川の肩に手を置く。


「はい。前任の貫千君のおかげですべて整っております」


 有栖川は社長の目をまっすぐに見据えると、自信たっぷりに答えた。

 二階堂が僅かに目を細める。

 社長がちらと有栖川の隣で頭を下げている社員に一瞥をくれた──ような気がした。 

 

「──うむ。では十四時に会議室で」

 

 一瞬の間の後、一行は再び靴音を鳴らすと重役専用のエレベーターホールへと向かっていった。

 列の最後を歩いていたスーツ姿の若い女性が、有栖川に微笑みかける。

 有栖川は刹那戸惑うような表情を浮かべたが、すぐに笑顔でそれに応じた。

 女性は有栖川の前まで来ると立ち止まるが──


「北条君、急ぎなさい」二階堂から声をかけられると、なにも声を発することなくエレベーターホールへと向かっていった。



 貫千は頭を下げたまま、視界に入ってきた女性の靴をぼんやりと見ていた。

 靴のつま先は社長や二階堂と違って、有栖川ではなく自分の方を向いている。

 その女性が、自分に対してなにか言いたいことがあるのだろうということがわかった。

 女性から漂う懐かしい香りにも気がついた。学生時代、暇さえあれば有栖川を含め数人で遊んでいたことが、遥か遠い思い出として脳裏に浮かんだ。

 しようと思えば、顔を上げて「よう」と気軽に挨拶することもできた。

 だが貫千は、靴が視界から見えなくなり、エレベーターの扉が、チン、と音を立てて閉まりきるまで顔を上げることはなかった。




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