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異界帰りの(元)第二王女専属給仕係  作者: 白火
1. VSエリート官僚
17/52

閑話 わ、私は一人暮らしができないんじゃなくて、二人暮らしが好きなんです!



 ピピピピ──ピピピピ──ピピ……


「ん……」


 規則正しい電子音で目を覚ました明楽あきらは、たっぷりと一分間、自分の体温によって最高の状態に作り上げられた寝床の感触を楽しんだ。


 至福の時間を惜しみつつベッドを出ると、床に散乱した衣類を避けるように歩き、窓辺へ移動する。


「ふあ……」


 そして小さく欠伸をしながら寝室のカーテンを開けた。

 朝の真新しい日差しが半開きのまなこに飛び込んでくる。──と、明楽の脳は徐々に覚醒していった。


「……よし」


 朝日をふんだんに浴びた明楽は着ていたパジャマをベッドの上に脱ぎ捨てると、一糸まとわぬ姿で浴室へ向かった。




「んー気持ちよかった!」


 シャワーを浴び終えた明楽は、亜麻色の長い髪をタオルで拭きながらリビングへと移動する。

 一枚の下着しか身につけていない明楽の白い肌は、朝の光に晒されていっそう美しく輝いていた。

 手入れの行き届いた躰には一切の無駄がない。

 すらりとした手足、豊満な胸、くびれた腰。

 完璧のさらに上をいく明楽の体つきは、とても十八歳の肢体とは思えなかった。

 

 リビングの椅子の背にバスタオルをかけた明楽はキッチンへと移動した。

 散らかったままのシンクは、いつものように見なかったことにする。

 シリアルをカップに入れ牛乳を注ぎ、それを持ってリビングへ戻るとテレビの電源を入れた。


『──続いては特集です。今日は土用の丑の日。そこで老舗鰻店の朝の仕込みの様子を特別に──』


 鰻かぁ……

 お兄様にご馳走してもらおうかな……


 シリアルをスプーンでつつきながら荒れ放題の部屋を一瞥する。


 ついでに……


「うん! 今日講義が終わったら電話してみましょう!」


 明楽は手早く朝食を済ませると、大学へ行く支度を始めた。





 ◆





「あきらぁ! この後どう? この前話してたお店、行ってみる?」

「ごめん、ナギ! これからお仕事なの!」

「そっか! なら仕方ないね! じゃあまた今度! あ、来月も雑誌買うからね!」

「ありがとう!」


 今日の分の講義を受け終えた明楽は、春から友人になったなぎさの誘いを断り講堂を出た。


「早くお兄様に電話しないと──」


 キャンパスを最寄り駅に向かって歩きながらスマホを操作する。

 そして通話ボタンを押そうとしたそのとき──


「か、貫千かんちさん!」ふいに背中から声をかけられ、


「──はい?」明楽は後ろを振り返った。


「えぇと……?」


 てっきり知り合いの誰かかと思ったが、見覚えのない男が立っていたことに明楽は首を傾げた。


「初めまして! 俺、法学部三年の滝川っていうんだけど! いきなりで悪いんだけど少しだけ時間もらえるかな!」


 初めまして──やはり初対面だったことに明楽はホッとした。

 面識があったにもかかわらず名前が出てこないのは、相手に対してとても失礼にあたる。

 だから安堵の笑みを浮かべたのだが──

 その一瞬見せた明楽の笑みを、男はさも自分に好意的なものであると捉えてしまったようだ。


 明楽にはこういうところがあった。

 本人に自覚はないのだが、振り撒く雰囲気が男を勘違いさせてしまうのだ。


 今も、たしかな手ごたえを感じた男が目を輝かせている。

 しかし。


「申し訳ありません。この後用事がありますので……失礼いたします」


 明楽ははっきりと断った。

 先ほどの友人に対する断り方と違い、やけに丁寧に感じるのは相手がイケメンだからではない。

 人見知りが激しい明楽は、よほど親しい関係にならない以上、砕けた言葉遣いを決して使用することがないだけだ。


 だが男は先ほどの明楽の女神のような笑顔を見ている。見てしまっている。

 だから、照れているだけだろう、などと突拍子もない考えすら抱いてしまう。


「五分! いや、三分で済むから!」

「そう言われましても、電話をしなければならない用件もありますし……」


 実際明楽の右手にはスマホが握られている。

 誰かに電話をかけようとしていたことは男にも理解できた。

 

「二分だけ!」


 しかし男は諦めない。

 それは無論、大学内に於いて他を寄せ付けぬほどの美貌を持つ明楽を我がものにしたい──ということもあったが、自らも大学で五指に入る頭脳と容姿を持ち合わせている──という絶対の自信からくるものでもあった。


 俺に声をかけられて喜ばない女はいない──。


 甘いマスクの下ではそう思っているに違いないだろう。

 その証拠に男は──


「申し訳ありませんが、とても大切な用事ですので──」


 駅に向かおうと振り返った明楽の──


「じゃあ一分でいいから!」


 手をぐっと掴んだ。


 男はなにか格闘系のスポーツをやっていそうな体型だ。

 そんな男の太い腕で掴まれたら、明楽のような華奢な女性は堪らないだろう。


 明楽の足が止まる。

 そして明楽の整った顔が苦痛に歪む──ことはなく、男の身体がふわりと宙に浮かんだ。

 

 そして──


「グハッ!」


 次の瞬間、男の身体は石畳に叩きつけられていた。


 激痛と戦いながらも必死に肺に空気を送ろうと喘いでいる男は、なにが起きたのかわかっていない様子だ。

 

 しかし、なんということはない。

 貫千流闘術、たい、裏手返し──。

 幼少のころから何千何万と繰り返したことにより、明楽の身に染み付いている闘術が不作法な男に炸裂しただけだ。


 背を抑えて苦しんでいる男を、明楽はその辺に転がった石ころを見るような冷たい視線で見下ろすと


「女性の身体に触れるのであれば、もう少し慎重になされた方がよろしいかと」


 そう言い捨て、何事もなかったかのように駅へと歩き出したのだった。





 ◆





「はぁ~い! 今日の分のカットはこれで終了~ぅ! 撤収の準備ぃ始めて~ぇ!」


 カメラマンの男が指示を出すと、周囲のスタッフは一斉に作業を開始した。

 アシスタントたちが手際よく撮影機材を車に運び込み、周囲が片付けられていく様子を明楽は上着を羽織ながら見ていた。

 

「あきらちゃぁん! 今日も最っっっ高に可愛かったわよぉ!」


 先ほど撤収の指示を出した男が明楽の傍に近寄ってきた。

 厚く化粧をしているためはっきりとした年齢は不明だが、四十後半だろうか。

 上下ともにぴったりと身体にフィットする素材の服を着ている。そのため、女性らしい口調からは想像もつかないほど筋肉質な身体のラインが丸見えになっていた。


「ありがとうございます。でも、それも高塚さんが私のすべてを引き出してくれるからですよ?」


 明楽が笑顔で応じる。


「もぉ~! この子ったらぁ! もう食べちゃいたい! ねえ、あきらちゃん、このあと食事どぉお?」

「ごめんなさい! 今日は兄のところに転がりこもうかと……私の部屋には足の踏み場が……」

「まさかあきらちゃん、まぁた汚部屋状態なの? ついこの間うちの女の子を片付けにいかせたばかりじゃないのよぉ」


 筋肉男が手首をくいっと動かし、「やだぁ~」と眉をしかめる。


「そ、それがなぜか散らかる一方で……。両親と兄を必死に口説いて憧れの一人暮らしを始めたまではよかったんですけど……」

「あなた早く家事のできる男見つけないと大変よぉ? モデルだけじゃなくて女優さんの話もきてるんでしょぉ? これからもっと忙しくなるわよぉ?」

「さすが高塚さん……情報が早いですね……でも私、女優になる気はないんです。今のモデルのお仕事だけで満足していますので」

「あら、そうなのぉ? もったいない~。あきらちゃんなら今すぐにでもハリウッドに行けるのにねぇ~」

「そんなに甘くないですって! あ、それじゃあ高塚さん、次の現場で」

「はぁい! ちゃんと部屋掃除しなさいよぉ! ファンが幻滅するからぁ! あとお兄様にもよろしく伝えてねぇ! 超いい女が会いたがってるってぇ!」

「はい! 伝えます! お疲れさまでした」


 明楽は高塚とスタッフに挨拶を済ませると、現場を後にした。

 そして大学で変な男に絡まれたためにし損ねていた、兄への電話をしようとスマホ取り出した。

 時刻は17時50分。

 ここ一カ月、寄り道というものを一切しなくなった兄ならば、今頃自宅のある駅に着いたころだろう──そう見当をつけ、兄のアドレスをタップした。


『──なんだ、どうした』

「あ、ミクお兄様! 明楽です!」

『んなのわかってる。おまえだとわかっているからどうしたと聞いているんだが』

「もう。もう少し優しく接してください。まだ私が一人暮らしを始めたこと怒っているのですか?」

『ったりまえだ。昨日もお袋から電話がかかってきて──』


 まずい。

 このペースでは今からのお願いを聞いてもらえなくなる。


 そう判断した明楽は急いで話題を変えた。


「ね、ねえ、お兄様。今日はなんの日だか知っていますか?」

『話を逸らしやがって。まあいい。俺も手持無沙汰だったからな。ええと、今日? おまえの誕生日は……たしかまだだったよな」

「たしかって! まさか可愛い妹の誕生日を忘れたのですか! いくらなんでもそれは酷いですっ!」

『い、いや! 憶えてる! 憶えてるに決まってるだろ! それより用事はなんだよ』

「本当でしょうね……まあいいです。あとでテストしますから。ええと、今日は土用の丑の日です」

『ああ、それか。当然知っているとも』

「お兄様、今日は鰻は食べましたか?」

『い、いや。食べてはいないが……鰻は当分見たくない』

「なんですかそれ……用件というのはですね。可愛い妹がうな重を所望しているのです。少し高価たかめの」

『おまえ……台所汚いだろ』

「え? き、綺麗です! ピ、ピカピカです! ど、どうしてそんなことを──」

『じゃあ昨日の夜、なに食べたか言ってみろ』

「はぇ!? き、昨日の夜ですか!? き、昨日はたしかお湯を沸かして……それで……」

『まさか三分でできるやつじゃないだろうな。おまえそんなのばっか食ってるとだらしない身体に──』

「さ、最近のは美味しいのです! それにヘルシーですし健康にも気を使っています! 毎朝の鍛練だって……今朝はたまたま行っていませんけど……でも体型は毎日チェックしています!! 今日も大学でお父様ほどの体格の男の人を投げ飛ばしました! だからだらしなくなどなっていません!」

『おまえ……いったい大学でなにをやっているんだよ……』

「それよりお兄様、今どちらですか?」

『ん? 今は……飯を食いにいく最中だが?』

「外食するのですか……珍しいですね……!! ま、まさか女の人と一緒ですかっ!?」

『ああ。そうだが……あ、そうだ。アキラ、ちょうどよかった。ちょっと今いる場所から店までの行き方を教えてほしいんだが──』


 明楽は茫然と立ちすくんだ。

 鰻が食べられなくなってしまったことと、兄が女性と一緒にいるということにショックを受けて。


『アキラ、聞いてるか?』

「き、聞いています。その店なら──」


 そんな高級な店、誰と……

 今の部署では接待はなくなったと……

 女性……


『……っていうわけだから、たまには家に電話しろよ? おい、聞いてるか?』

「……は、はい。聞いています。あの、お兄様?」

『なんだ?』

「今夜、お兄様の家に泊まりに行ってもいいですか?」

『だめだ。さてはおまえ、寝室も汚いだろ』

「き、綺麗です! なんですか、もう! みんなして! そ、そうではなくて、たまには朝の稽古をつけてもらおうと──」

『だめだ。お? あの門がそうか? ふむ。どうやらそうらしいな。じゃあ、店に着いたから切るぞ? 案内ありがとうな』

「お、お兄様! もしもし! もしも……」


 強制的に通話が終了される。

 何度かかけ直すが、もう電話に出てもらえない。


「いいです。合鍵は持っていますから勝手に忍び込むだけです。──最近様子がおかしいお兄様の具合を確認するのも妹の役目ですから!」


 ふん、と鼻を鳴らした明楽はそう決めて駅へと歩き出した。





 そして──



 でも、もしもお兄様が女性を連れてきたら……

 そのときは……

 ええと、そのときは……

 どうしたら……



「こ、こんばんは! 今日からここに住むことになった貫千海空陸の妹の貫千明楽と申します!」



 兄の家に向かう電車の中で、幾通りかのパターンを想定したシミュレーションを繰り返すのだった。




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