第16話 月と勇者とお姫様と
──な、なんだとっ!
蓮台寺さんの名がシャルティア!?
シャルティア=アドリアーレだと!?
俺の知るシャルティアなのか!?
ま、待て、いったいなにがどうなってやがる!
同姓同名……?
しかし王室の、しかも第二皇女殿下の名を持つ者など他にいるはずが……
騙れば死罪は免れない……
いや、だが蓮台寺さんの話は実際に十年前のこと……
そうだ、それだと時系列が……俺の十年はたった一カ月前に経験した十年だ……
俺の知るシャルだとするなら時間的な矛盾が……
しかしこの館、見れば見るほどシャルの私邸をそのままに再現されている……
つまり──
「蓮台寺さん──」
貫千が小百合にもっと詳しく訊ねようとしたとき、そこへまた係が次の料理を運んできた。
くっ!
貫千は堪らずに席を立った。
ナプキンを荒々しくテーブルの上に置くと、
「先輩? どうされました──え!?」
目を丸くしている小百合の腕を引き、
「外に行こう!」
小百合を連れて大窓から庭に出た。
「せ、先輩! いったいどうされたのです!」
動揺を見せる小百合だが、抵抗はすることなく貫千に身体を預けている。
「すまないがゆっくり話を聞きたい。食事は後回しにしよう」
貫千は険しい顔つきのまま、小百合と芝生の上を足早に進む。
そして噴水のある場所までやってきた。
小百合と向き合った貫千は
「ご、強引なことをして申し訳ない……さっきの話、詳しく聞かせてくれるかい?」
自分のとった行動を省みて不器用な笑みを浮かべた。
「あ……」
一瞬、小百合の呼吸が止まる。
そして──
「な、なぜ涙を……? い、痛かったかい?」
小百合の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「違うのです! 嬉しいのです!」
小百合は首を左右に振る。
そして潤んだ瞳で貫千を見上げると、
「あの日と同じなのです! 『私はシャルティアではなく小百合という日本の学生なのです』とリクウ様にお伝えした日、リクウ様は今のように私の手を引き、庭に出て、噴水の前まで来るとこうおっしゃいました。『強引なことをして申し訳ない。さっきの話を詳しく聞かせてくれるかい?』と」
昔を思い出したのか、小百合の涙は止まらない。
「私にはわかります。やはり先輩はリクウ様だったのですね……」
「お、俺はそんな名の男では──」
「ではなぜッ!」
小百合が感情を昂らせ、声を荒げる。
「なぜアドリアーレと聞いて王国とおわかりになったのですか! なぜ総理大臣や大統領とおっしゃらずに国王とおっしゃったのですか! それはアドリアーレをご存じだったからではないのですか!」
小百合が詰め寄ると、貫千は下唇を噛んだ。
「まだ中学生だった私でも恩人の手の温もりは忘れません! 待ち焦がれたリクウ様の温もりをどうして忘れることができるでしょうか!」
噴水の水が勢いを増し、強く高く、しぶきを上げる。
それはまるで小百合の激情に共鳴するかのようだった。
「私は! 私は! 私は! 私はどれだけリクウ様に助けられたか! 私は! 私は……」
小百合が声を詰まらせる。
頬を伝い、落ちた涙が夜風に舞う。
小百合の涙を見て心を打たれた貫千は静かに口を開いた。
「蓮台寺さん……すまない。たしかに俺は彼の国を知っている。さらにシャルティア=アドリアーレという名も知っている。それだけではなくリクウという名でしばらくの期間を過ごしていた。」
「で、ではやはり──」
小百合の瞳が刹那、歓喜に染まる。
「だが──」貫千は一歩、小百合から距離をとると
「君を助けたリクウが本当に俺なのかはわからない」
困ったような笑みを浮かべた。
「え……それはどういう……」
先ほどとは一転、小百合の表情が曇る。
「記憶がないんだ。俺は向こうに十年間いた」
「じゅ、十年も……」
「ああ。十年だ。だがそれはこっちの世界では一秒にも満たない時間だ」
「私が向こうにいたのは一年でしたが、戻ると登校した日の朝、車を降りようとしているまさにその場面でした……」
「そうか。君は一年……戻れてよかった。話を戻すが、俺はその十年の月日の中で、最初の二年ほどの記憶が欠落してしまっている。もしかしたら君の話はその間のことかもしれないが……憶えていないんだ。精神的なショックからだと思っているが……だからすまない。君を助けたのが本当に俺なのかわからない以上、君の待ち人を名乗るわけにはいかない」
「そ、そうだったのですか……」
小百合は悲しげに目線を落とすが、すぐに貫千の目を見据える。
「先輩に記憶がなくても、私には記憶があります。──だから断言できます! あの日私を、シャルティアを助けてくださったのはリクウ様──貫千先輩で間違いはありません!」
貫千は小百合のまっすぐな視線が耐えられずに、僅かに目を逸らした。
「王家と交わした契約上、俺が日本人であることや本名は明かしていないはずだが……それに、ほかにリクウという男がいた可能性も──」
「ありえません! 私のすべてが先輩がリクウ様であると教えてくれていますから!」
小百合は力強くそう言いきった。
貫千はわかっていた。
シャルティアの傍にいたリクウなど自分以外にいないということを。
つまり、小百合の話はすべて事実で、今ここにいる小百合と貫千が、シャルティアとリクウとして向こうですでに出逢っていた、ということを。
時間的概念について考察する必要が出てくるが、受け入れるしかない。
「先輩もきっと思い出します」小百合が少女のような笑顔で貫千に微笑みかける。
貫千は覚悟を決めたように小百合と目を合わせると、それに答えるべく笑顔を返した。
だが──。
そうなると、今、向こうにいるシャルは──
そのことを考えると、貫千の笑顔はどうしてもぎこちないものになってしまうのだった。
◆
「ほかにももっと聞きたいことはあるんだが……」
貫千がそう切り出すと、
「私もです! 先輩のこと、もっと知りたいです! 先輩がいつ、どのように向こうに行かれたのか、ですとか、どうしてあれほどにお強いのか、ですとか! それにどうして私がシャルになってしまったのか、その後シャルはどうなったのかなどもご存知でしたら教えていただきたいのですが!」
小百合が切実な眼差しで貫千を見る。
貫千としても確認したいことはいくつもあった。
「とはいえ……」
いつまでも外でこうしているわけにはいかない。
そろそろ部屋に戻らないと店の人が心配するだろう。
性格上、自分が知りたいことだけを聞いて、自分のことをあまり話していない、というのは気が引けた。
だが──
まあ、ここは日本だ。時間はたっぷりとある。
今日は事実上初対面なのだから、少しでも親睦を深めよう。
そう結論を出した貫千は
「店の人が心配するといけない。さあ、食事に戻ろう」小百合に声をかけた。
「でも……私、食事はあまり……こうしてリクウさ……先輩とお話している方が……」
やはり小百合は貫千と同じくして食事が楽しめないようだ。
「それなら少しだけ助けてあげられるかもしれない」
そう言うと貫千がポケットから小さな包みを取り出した。
そして「口を開けてごらん?」と、小百合に促す。
「口、ですか?」
小百合は不思議そうな表情を浮かべるが、言われるがままに少し上を向いて小さな口を開いた。
貫千はそこへ、包みから取り出したモノを、ぽい、と放り込んだ。
「ん、……?」
小百合は貫千の手から放り込まれたものを口の中で転がす。
「噛んでごらん?」
貫千がそう言うと、小百合は貫千の言葉を疑いもせずにそれを噛み砕いた。
するとそれは、カリッと小気味良い音を立てて──
「お、美味しい! 美味しいです! なんですかこれは! ん~美味しい! なんですか! これ!」
小百合はぴょんぴょんと飛び跳ねながら、貫千に種明かしをせがむ。
貫千はそんな小百合を愉快そうに見つめ、「これさ」と、袋の中身を手のひらに出した。
貫千の手のひらには、真っ赤な木の実のようなものが乗せられている。
「こ、これはテリュカの実! ど、どうしてこれを!」
「詳しいことはまた後日。少しは元気になったかい?」
「ん~幸せ! まさかこっちでもテリュカの実を食べられるなんて!」
「そうか。それは良かった。ほら、これはあげるから少しずつ食べるといい」
貫千は袋に木の実を詰めると、袋ごと小百合に手渡した。
「こんなに! いいのですか! 嬉しい! ありがとうございます!」
小百合が頬を上気させて貫千に礼を言う。
そして袋から一粒取り出すと、それを口に入れた。
「美味しい……」
「シャルの私邸の庭に一本だけテリュカの木が生えていたろう? 俺もこの実が大好物でよく食べていたよ」
「ふふ。やっぱり本当になにからなにまでリクウ様です。あの日も日本に帰りたくて泣いていた私の口にテリュカの実を放り込んで……あのときと同じ味です」
「そ、そうなのか……?」貫千が照れくさそうに頭を掻く。
「まあ事情は後で話すが、これからも魔力を含む食材を分けてあげるよ。それなら食事も楽しくなる」
「ほ、本当ですか!?」
貫千の提案に、小百合は全身で喜びを表した。
そしてその勢いのまま、小百合は貫千に抱きついてしまった。
「うお!」
「ぅあ! す、すみません!」
貫千が反射的に叫ぶと、小百合は慌てて飛び退いた。
「シャ、シャルはよくリクウ様に甘えて抱きついていたので……つ、つい……も、申し訳ありません……」
「い、いや、少し驚いたが……」
二人の顔がテリュカの実より赤く染まった。
◆
「決めました! 私、先輩の専属秘書になります!」
まだ少し顔の赤い小百合が大きく深呼吸をしたかと思うと、姿勢を正し、唐突に宣言をした。
「ひ、秘書!? と、突然なにを言って──」
貫千が目をむく。が、小百合は貫千の言葉を遮り、
「私は今、一流の秘書となるべく勉強中です。リクウ様、いえ、先輩にできる恩返しとして、私ができることと言ったら、先輩の秘書となって先輩をお支えすることくらいです! ですから先輩の専属秘書になることに決めました!」
一方的に言葉を発し「頑張ったときにはご褒美として私の口にテリュカの実を放り込んでください」最後にそう付け加えた。
「いや、秘書って……俺は秘書を必要とするほど忙しい男じゃないんだが……」
「プライベートでのお話です。これから忙しくなりますよ? きっと。──なんといっても白銀の勇者様なのですから」
「蓮台寺さん……」
「その蓮台寺さん、って呼び方、よそよそしくて好きではありません。私たちは知らない仲ではないのですから」
「はぁ……知らない仲じゃないって──」
実際、蓮台寺小百合の情報はインターネットで調べた程度の知識しかない。
だが貫千はここで小百合のことを突き離すことはできなかった。
「──じゃあどうすればいいんだ」
「そうですね。先輩は私のことを小百合とお呼びください。それとも……リクウ様のように、シャル、の方が、い・い・で・す・か?」
貫千を見上げた小百合が艶っぽい瞳で、ふふ、と笑う。
「い、いや! さ、小百合で!」
ある夏の夜。
他人同士のままで終わるかと思われた二人はこうして出逢うことが叶った。
いつしか空には月が浮かび、運命の再会を果たした二人を優しく照らしていた。
噴水が静かに旋律を奏で、それを夜風が二人の耳元まで運ぶ。
遥か遠い世界。
碧い瞳の女神が深い愛のこもった笑みで二人を見守るのだった。
第一章 完
お読みいただきありがとうございます。
これにて第一章完結となります。
本当はニヒルでダンディな二階堂おじさまをもう少し前面に出したかったのですが……それは二章以降になりそうです。(VSエリート官僚という割には出番が……)
二章では貫千の秘密がもう少し明らかになります。
次は誰を虜にするのか……
民間から外務省に出向になった有栖川、同じチームの亜里沙、そのボスの二階堂、そして小百合という最強の秘書を手に入れた我らが貫千海空陸。
後にこの五人が日本最強を誇る内閣府直属の特殊外交部隊になるなど、この時点では誰ひとりとして予想するものはいなかった……みたいな感じの物語です。
二章も引き続きお付き合いいただけると幸いです。