第14話 少女と不思議な世界 2
「ここか……?」
「はい。そのようですね」
会社から三十分ほど歩くと、立派な石門が貫千と小百合を出迎えた。
「いや……これはすごいな……」門を見上げた貫千が感嘆の声を漏らす。
門の奥に目をやると、木々に囲まれた白亜の洋館が美しくライトアップされており、オフィス街であるのにこの一角だけまるで別世界の様相を呈していた。
◆
貫千はこの店までタクシーで移動せず、歩いて向かうことを選んだ。
タクシーの中でいろいろと質問されるのが厄介であったのと、タクシーに乗り込むところを他人に見られることを避けたかったためだ。
質問されることに関しては『食事をしながらにしよう』と、はぐらかせばまだなんとかなる。が、タクシーはまずい。二人で一台の車に乗り込むところを会社の誰かに見られようものなら、明日には、いや、今日のうちにでも小百合に変な噂がたってしまうだろう──と考えたのだ。
ちなみに貫千のなかで地下鉄という選択肢はなかった。
しかし、そうはしたものの、ただ歩くだけでは三十分も間が持たない。
二人並んで歩いてはいるが、貫千が話しかけてほしくないというオーラを発していたため、不自然なほどに会話がなかった。
だが、そこへタイミング良く妹から電話がかかってくると、これは好都合、とばかりに貫千は小百合にひと言断り通話を始めた。
用件はすぐにも済む内容だったが無意味に引き延ばし、店の近くの交差点まで妹に道案内をさせ、門が見えてきたところで貫千から一方的に電話を切ったのだった。
◆
貫千のスマホが再び着信を報せる。が、貫千は先ほど切ったばかりの妹だとわかると電話に出ることはせず、さっさとスマホを上着のポケットに戻した。
「お電話、よろしいのですか?」
小百合が貫千を気遣う。
「あ、ああ。たった三カ月の一人暮らしで泣き言をいってくるような妹だ。甘やかさずに少しくらい厳しくしたほうがいい」
さっきは微妙な間を助けてもらったというのに偉そうに兄貴ぶると、貫千はもう一度門を見上げた。
そうか、懐かしいと感じたのは、なんとなくシャルの私邸と趣が似ているからか。
東京にこんな場所があったとは。
およそ店らしくはないが……
有栖川が予約したという店は、一介のサラリーマンが会社帰りにふらっと立ち寄っていいような店構えをしてはいなかった。
今から晩餐会が開かれてもおかしくないほど荘厳かつ豪奢な、それでいて品があり格式の高さを感じさせる佇まいをしていた。
まるで貴族のお屋敷。普段であれば決して近寄らない建物だ。
「いらっしゃいませ。……当店をご利用でいらっしゃいますか?」
貫千が圧倒されていると、黒服を着た案内係が近寄ってきた。
一瞬戸惑ったように見えたのは、貫千がだらしなく口を開いていたからか。
それともただの見学者、もしくは、おのぼりさんだと思われたのかもしれない。
「はい。そうなんですが、素敵な建物なので見惚れていました」
貫千が黒服に応じる。
「ありがとうございます。本日はご予約はいただいておりますでしょうか」
「有栖川でお願いしていると思うのですが」
「──有栖川様でございますね。お待ちしておりました」
黒服が内ポケットから独特な細工が施してある大きな鍵を取り出す。と、それを門の鍵穴に差し込んだ。
すると、門が音もなくゆっくりと開き、敷地の中から今度は黒服の女性が姿を見せた。
「ご予約の有栖川様です」黒服の男が引き継ぐ。
「かしこまりました。──ようこそおいでくださいました有栖川様。どうぞ、ご案内いたします」
女性が丁寧にお辞儀をすると、建物に向かって歩きだした。
どうやら男の方は門番だったらしい。
貫千と小百合が女性について歩いていくと、門番は二人の姿が見えなくなるまで深く頭を下げ続けていた。
有栖川のヤツ、なんて店をとってんだよ……
スーパーの総菜で十分だってのに……
貫千の正直な思いだった。
貫千以外の多くの男であれば(有栖川も例外かもしれないが)、小百合のような美女とこのような店で食事ができるのであれば、天にも昇る思いだろう。
しかし貫千はこれから数時間に亘り堅苦しいマナーに縛られる──などと考えてしまい、心底うんざりしていた。
無論、そのような感情などおくびにも出さないが。
案内された席は一階の個室だった。
白一色の壁紙。天井から吊り下がる幾本ものキャンドルが、室内を柔らかいオレンジ色に灯している。
造りはとてもシンプルだが、歴史を感じさせる調度品と新鮮な生花が部屋を彩っていた。
外に面した大きな窓は開け放たれており、そこから庭に出られるようになっている。
その窓から見える庭には豪華な噴水があり、透き通る水が夕陽を浴びて茜色に輝いていた。
席に着いた貫千は目を細めてその光景に見入っていた。
驚いた……
中まであの部屋に似ているとは……
この時間、この景色がシャルはお気に入りだったな……
なにもかもが懐かしい。
ここまで視覚が惑わされると、自己暗示がかかったかのように漂う風の薫りからもあの日を思い出させた。
『──様。わたくしはいつまでもお待ちしております』
夕陽が差し込む室内。
黙ったまま見つめ合う二人。
王女の頬が朱色なのは夕陽のせいか──。
遠くには噴水の音。
草の薫りに混ざって優しく漂う紅茶の香り。
近づく王女の小さな唇。
伝わる熱い吐息。
そして──
「貫千先輩……?」
小百合の声に貫千はハッと我に返った。
「あ、ああ。どうした?」
貫千は向かいに座る小百合に焦点を合わせ、深く椅子に座りなおした。
「お飲み物は……」
横を見ると、この部屋の担当が立っている。
どうやら飲み物をなににするか聞いているらしかった。
「あ……すみません。蓮台寺さんはなにを?」
「私はお酒があまり得意ではありませんので、アルコールの入っていないものをいただきました」
「──では俺も同じものを」
係が部屋から出ていくと、
「先輩、とても……遠い目をしておいででした」小百合が少しだけ寂しそうな表情を見せる。
「いや、ごめん。ちょっと昔を思い出してね」そう言いながら
「ここから見る景色。初めて来たっていうのになぜだかとても懐かしい感じがするんだ」
貫千は暮れなずむ庭に目を移し、優しく微笑んだ。
「そうだったのですか」
貫千が見せた表情に納得した小百合は言葉を続ける。
「実はこの邸宅なのですが、私の記憶を頼りに十年ほど前に叔父に造っていただいたものなのです」
「──えっ!?」
心地よく雰囲気に浸っていた貫千は間抜けな声を出し、小百合の顔をまじまじと見た。
「え!? こ、ここって蓮台寺さんの家、なの?」
「家、といいますか……蓮台寺家に違いはないのですが、正確には叔父、父の一番下の弟が所有する建物です。それを数年前から食事ができるよう解放しているのです」
なんというブルジョワ……
そうか、それで従業員がみな蓮台寺さんを見て一瞬動きを止めていたのか。
男連れだから下手に声もかけられなかったということか……?
さすがプロ意識が高い──
「って! 俺と一緒にいるところを見られたら拙いんじゃないのっ!? 家の人にばれたら──」
「ふふ。先輩でもそんなに慌てることがあるのですね。意外な一面が見られたので、黙っていて正解だったようです」
小百合が一本取ったような顔で貫千を見る。
「っていうか、蓮台寺さん? 個室に二人って、婚約者が──」
「ですからあれは違うのです。ご心配には及びません。私も二十三になりますから。会社に親しい方がいると、かえって叔父も喜ぶと思います」
「いや、そうじゃなくて……っていうか、有栖川のヤツ知ってたろ! 知っててこの店を……ったく、いったいなにを考えてんだ、あいつは……」
「私もここに近づくにつれ、もしかして、などと思いましたが……有栖川先輩の粋な計らいのようですね」
なにが粋だよ。
アイツはただ面白くてやってるだけに違いない。
もしくは、日本経済界重鎮の愛娘であり、会社のアイドルでもある蓮台寺さんに俺の様子を聞き出させようとでも企んでいるんだろう。
アイツのしたり顔が目に浮かぶよ……
「ん? この建物、私の記憶を頼りに造ったって……どういうことなんだ?」
「はい。そのことも白銀の髪の勇者様に繋がるのですが──」
「ゆ、勇者!?」
貫千が目を見開き、小百合に訊ね返したが──そのとき係が飲み物を持って入室してきたことに、質問の答えはいったんお預けとなった。




