表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

最近のヤンデレには愛が足りない

作者: 池田哲次

 ヤンデレとは対象に愛情を抱いた故に病んでしまった人間を表す言葉である。えてして流血沙汰やストーカーといった反社会的な行動に繋がるため、そういった場面がクローズアップされやすい。

 そういった行動をとりたがるキャラクターがヤンデレのテンプレとして語られるようになって久しい。だが、自分はこれがどうしても受け入れられない。

 ヤンデレと呼ぶためにそれらの病んだ行為が必要なことは確かだが、それらだけでヤンデレと呼べるわけではない。それだけならばただのヤンだ。デレが無い。


 ヤンデレにはデレが必要だが、そもそもデレとは何だろうか?

 ヤンデレという言葉はツンデレの派生語だ。少しツンデレの発祥を見ていこう。

 ツンデレという言葉はとあるゲームのキャラクターがツンツンデレデレと評されたことによって生まれた。彼女は冒頭ではツンツンしているがゲームを進めて関係性を深めることで角が取れてデレデレしてくれるようになる。

 初対面ではツンツン、好意を持った後は人目を憚らずデレデレ……彼女の与えた影響は大きく、こういった特徴を持つキャラクターをツンデレと呼ぶようになった。

 彼女がデレデレし始めたのは恋愛対象に好意を持ってからである。そこから転じて、デレは恋愛対象に好意を持つことも指すことになった。これはクーデレなど他の派生語にも受け継がれている。

 ヤンデレもツンデレの派生語である以上、ヤンデレキャラクターの行動からは恋愛対象への好意が透けて見えなければならないというわけだ。


 ややこしいのは、ツンデレとヤンデレは呼び方が似ているだけで性質がまるっきり異なることだ。ヤンデレは面倒な性質の持ち主で、ただ好意を見せていればよいというものでもない。

 ツンデレはツンツンとした態度の人間が、恋愛対象との関係を深めることにより角が取れてデレデレとした態度へと変化する様を形容したものだ。最近では恋愛対象と対面する際には素直になれずツンツンとした態度をとるものの、独りになれば恋愛対象に対してデレデレになる様を指したりもするが、似たようなものだ。どちらにせよ、キャラクターの態度の二面性がそのキャラクターをツンデレたらしめている。

 だが、ヤンデレは違う。病んだ人間が恋愛対象との関係を深めることで病みが薄れてデレデレすることを指すのではない。むしろ逆だ。健全だった人間が恋愛対象との関係を深めていくことで病んでいく、表裏一体の複雑な感情、それがヤンデレだ。

 病みは対象への好意を表現するための方法の一つでしかない。ヤンデレの病んだ行動は愛に突き動かされたものであることを描かなければならない。


 行動を描く、これは実に簡単なことである。しかし、行動の裏にある心情を描く、これが難しい。

 ヤンデレの病んだ行動ばかりに注力すると、俯瞰で見たときに筋が通っていない、ということが起こりうる。そうなればヤンデレ以前にキャラクターとして失格だ。 


 作品名は忘れたし覚えていたとしても名前は出さないが、このような作品をなろうで見つけた。

 主人公はごくごく普通の高校生。ヤンデレの呼び出しにノコノコついていった結果彼女に殺され、ヤンデレも自殺。例によって女神に導かれ、異世界にヤンデレと共にそのままの姿で転生(実質的に異世界転移)した。

 送り出された先は人気など存在しない森の奥深く、とりあえず街を探してうろうろしていると第一異世界人(女性)を発見。街までの道を訊こうとする主人公を、ヤンデレは「あなたの人生に私以外のヒロインなんて必要ないでしょ?」と止めるのだった。


 この作品を読んでまず思ったことは「なんでこいつら街を探してるんだ?」である。なんせ主人公の意志を無視して心中という凶行に及んだ前科のあるヤンデレだ。転生直後にまた心中となってもそれほど不思議ではない。

 心中の動機が「死後の世界で二人きりになりたかった」というものならばまた心中を試みることはないだろうが、そうなると今度は人気のない森の中という絶好のシチュエーションを捨てて街を探していることに説明がつかなくなる。

 ひとまず「生まれ変われたんだから恋人らしい生活をしたい」と心変わりをしたということにする。とんでもなく説明不足だが少なくともこれで筋は通る。だが、その直後に発現したヤンデレの独占欲はどう頑張っても擁護できそうにない。余裕が無さすぎる。街ゆく女性全てに同じことを言うつもりなのだろうか。人口の半分が女性であろう街へ行くことを了承しているという点と、主人公に女性を近づけさせたがらないという点が完全に矛盾してしまっている。

 一から十まで筋を通せとは言わない。我慢できると思っていたが実際にそのシチュエーションになったら我慢できなくてつい殺っちゃった、というパターンならば一貫はしていないが、納得はできる。「やっぱり駄目!」の一言でもあればそう解釈しただろう。だが、その小説のヒロインはそう解釈するには余裕がありすぎた。


 自分は病んだ人間が見たいのではなく、病的に愛されたいのだ。ただ病んでいれば良いわけではない。

 テンプレート化することでヤンデレを書きやすくなり作品が作られやすくなることは認めるが、そのせいで本質を見失われるような結果になれば換骨奪胎もいいところだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 『自分は病んだ人間が見たいのではなく、病的に愛されたいのだ。ただ病んでいれば良いわけではない。』 激しく同意。
[一言] 成る程、目的と手段が入れ替わっているヤツですね。 ヤンデレに限らず、物事のルーツを疎かにすると、いつの間にか変な所にいってしまうのはよくある事で、物事の裏側に隠れている部分を考えるのって、…
[良い点] ヤンデレをよくわかっている人が書いた素晴らしいエッセイ [一言] 確かに最近では適当に包丁を持たせておけばヤンデレというような間違った作品が多いような気がする。 ヤンデレというものは相手を…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ