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7話




 カタカタと窓が微かに揺れる音がする。ほどなくして、雨のサー……っという音が聞こえてくると、漸くティナは顔を上げた。

 真っ暗な外は何も見えず、窓ガラスに反射する自分と目が合う。

 夜はとうに更けていて、流石に自分の顔に疲れの色が浮かんでいる。しかし、その反面、とても興奮していた。


 椅子に座るティナは今まで作業していた机の上を眺める。

 右端にはガスランプと裁縫道具の針や糸、鋏が置かれ、中心にはたった今まで作業していた丸い刺繍枠がある。

 そこには例のハンカチが張られている。ラベンダーに加えて、新たに白い小鳥が二羽シンメトリーを保つように刺繍が施されていた。


 エドガからアドバイスをもらったティナは帰って着替えるなり、黙々と刺繍を始めて気づけばこんな時間だ。

 興奮の熱が治まると、今度は心地の良い脱力感に襲われる。

 ティナは椅子の背にもたれると暫くそれに浸っていた。


 そのうち眠気に襲われて、うつらうつらし始める自分に気がつくと、席を立ってガスランプを手にベッドへと移動する。

 サイドテーブルにランプを置き、ベッドの中に潜り込むと灯りを消した。



 降りやまない静かな雨音に加え時折、軒先から落ちる雫の音が聞こえてくる。

 ピチョン、ピチョンとまるで魚が跳ねているようだった。

 さっきまであんなに眠かったのに、とティナは心の中で呟いた。


 いざベッドに入ると、不思議なくらい眠気が引いていく。ティナは何も見えない暗闇の中、ただ一点を見つめた。

 寝ようとすればするほど、夕刻のできごとを思い出して落ち着かない。

 こんなに遅くまでずっと刺繍に専念していたのも、深く考えたくなかったからという一因があった。



 カナル様は私が恋愛を避けてるだけだと仰っていたけど……本当にそうなの? あの人……ダグに恋愛不感症だと言われてそう思い込んでいただけなのかしら。


 徐に指でそっと額を撫でる。すると、カナルの唇が触れた感覚が鮮明に蘇ってきた。


「っ……!」


 ティナはきつく目を閉じると、頭まですっぽりと布団を被る。もぞもぞと布団の中で身じろぎをしていたが、じきに大人しくなった。



 静寂に包まれた部屋は外の雫音が響き渡る。

 ピチョン…………ピチョン……。

 いつしか雫の跳ねる音は速くなっていった。

 ピチョン、ピチョン――――。


「っ!!」


 ティナは弾かれたように飛び起きた。慌てて下を向いて、手で胸を押さえる。

 ずっと雫が落ちる音に耳を傾けていたはずだった。それなのに、いつの間にか心臓のドクドクという速い音に変わっていた。


『本当に何も感じないのか俺で試してみりゃいいだろ』


 低いカナルの声が蘇る。と、このままでは心臓が壊れてしまうんじゃないかというほど、今までにないくらい鼓動が加速する。


「私、今……ドキドキしてる」


 自分の口から自然と零れた言葉に、ティナは驚いて目を丸くする。

 両頬に手を添えると、顔に熱が集まっているのが嫌というほど分かった。


 再びカナルの声が蘇る。


『なあにガッカリしてるんだよ。子供にはこっちで充分だろ』


 ティナはすっと真顔になると頬から手を離して、ベッドに倒れ込んだ。


 あれは、大人のカナル様が恋愛に後ろ向きだった子供の私を勇気づけるためにしてくださったおまじない。私ったら、ちょっと舞い上がり過ぎね。


 ティナは自嘲気味に笑った。

 それから何度か寝返りを打って身体を丸めると、漸く眠り落ちたのだった。






 国王陛下との謁見が終わり、自室に戻ったカナルは渋い顔をしていた。と、いうのも護衛兼侍従の淹れてくれたお茶がいつも通りの仕上がりだったからである。

 大抵、他人が淹れてくれるお茶というものは自分が淹れたものより美味しく感じるのだが、この侍従のお茶は違うらしい。


 それに比べてティナが淹れるお茶はとても美味しい。自分の好みを分かってくれているので茶葉もお菓子も何から何までいつも完璧だ。


 顔を赤らめるティナを思い出してカナルはフッと笑った。



 ティナが侍女として来ることを知った当初、カナルは彼女を刺客か玉の輿狙いの女だと思っていた。

 ここ数年幾度となく経験しているので心の中で「またか」と舌打ちするほどだった。


 とにかく、まずはその二つのどちらかを見極めるため、最初の頃はティナにその気があるような素振りをわざとした。そして毎回お茶を淹れるように指示をする。


 刺客ならきっとお茶に毒を入れる。カナルは幼い頃より毒に耐性をつけていたのでその辺については気にしない。寧ろこれは炙り出しに使えるので好都合。


 それより厄介なのは男色という噂があるにも関わらずやって来る女。彼女たちは傾いている家を再建したいからだったり、一生豪遊して暮らしたいからだったりと目的は様々だが肝だけは据わっている。

 下手に始末できないので、刺客より質が悪い。


 女が帰ってくれないのなら、自ら帰りたくなるように仕向ければいい。

 カナルはわざと侍従を減らして二人分の仕事を割り当てて、彼女たちが音を上げるよう様々な嫌がらせをした。大抵なら諦めて家に帰る。



 しかし、今回来たティナは違っていた。

 仕事は早くて丁寧で、細かく指示を出しても文句の一つも上げない。

 王宮内に協力者がいるのか? と思ってエドガに偵察させてもそういった者はいなかった。お茶を調べても毒を盛った形跡はどこにもない。


 最終的にカナルは自分の部屋の掃除をしないか? と提案をしてみた。思惑のある女ならその言葉の意図に気づくはずだ。

 だが、ティナは目を丸くして、露骨に表情を引きつらせていた。

 動揺の色を浮かべ、うっかりスコーンをトングから滑り落としそうにする。


 ここでカナルの予想は外れ、ティナが何の目的でここにいるのか分からなくなった。

 ティナの歳なら社交界デビューしていてもおかしくない。寧ろ今頃になって奉公するというのは遅すぎる。



 カナルは今までろくに見ていなかったティナの名簿を引っ張り出した。

 読み進めていくと、注意事項のところには『男性恐怖症』という文字があった。


 つまり、男色という噂の自分に仕えることでそれを克服しようとしているのか、と納得しかけた。が、それならエドガと普通に話せているのは何故なのか。


 カナルの中でティナに対する疑念と興味が沸々と湧いて来た。

 それから毎日注意深くティナを観察し、会話の回数を重ねていくうちに彼女の人となりが分かるようになった。


 ティナは一見大人しく控えめな子だが、とても親しみやすい雰囲気があり、話しやすい。

 裏のないティナと話す度、カナルは疑念が膨らむばかりだった。


 エドガに調査をさせると、初めての舞踏会で何かがあり、それがきっかけで令息たちを避けるようになり、変なあだ名がついていることを知った。

 そこで、誕生日祝いに用意させたドレスをプレゼントした時に、軽く問い詰めてみた。

 すると、ティナの口からとんでもない言葉が出てきたのだった。



 頬を涙で濡らす彼女を思い出してカナルは表情を歪める。

 初めての失恋というのは苦いものだ。が、ティナの場合はトラウマに等しい。


「ずっと想っていた男が独りよがりのクズで、酷いこと言われたら、恋愛なんてもう一度しようとは思わないだろうな」



 カナルは眉間に皺を寄せて大きな溜息を吐くと、前髪を搔き上げた。

 丁度、扉を叩く音がするとエドガが部屋に入ってきた。


「セレスティナ嬢の幼馴染の調査報告書をお持ちしました。ダグラス・モーガン。モーガン子爵の三男坊で、家督には影響ありません。焼くなり燃やすなりしても問題ないでしょう」

「エドガ、選択肢が焼殺しかないぞ」

「八つ裂きでも構いません」

「殺しはやめておけ。ティナが悲しむ」


 報告書を受け取って、カナルは軽く目を通す。

 ティナの話からしてクズだとは思っていたが、これは相当な放蕩息子のようだな。これはこれで追々片付けるとして、今は……――。



 カナルが物思いにふけっていると、エドガが空になっているカップにお茶を注ぎながら口を開いた。


「そういえば、良かったのですか? 彼女に本性を見せて。あなたの本性を知っているのはごく一部の人間だけです」


 報告書をテーブルの脇に置き、早速淹れてもらったお茶に口をつける。

 ……やっぱり不味い。


「秘密を教えてもらったから、手の内を少しは見せないとフェアじゃないだろ」

「ですが、万が一にも向こうにバレたら……」

「ティナがばらすことはないだろう。だから本当の俺も知ってもらった方が都合がいい。万が一に備えてな」


 明日どんな形になろうとも必ず――。

 カナルはじっとカップを見つめて考え込むと、長い間そうしていたのだった。


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