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5話



 顔を赤くして小さな咳払いをするティナはその場をやり過ごそうとした。が、カナルは既に口元に手をあててクスクスと笑っている。余計に顔を赤くする羽目になった。


「喜んでくれたみたいで嬉しいわ」


 カナルは目を細めてひとしきり笑い終えると、続いて真剣な顔つきになる。


「ずっとティナの恰好が気になってたの」

「何か問題でもありましたか?」


 ティナは粗相をしてしまったのかと思って不安な表情を浮かべる。

 今着ているのは王宮の侍女が着る制服で、深緑の足首まであるドレスに白いエプロン、髪は床に落ちない様にまとめ上げて白いキャップ帽を被っている。


 初日に監督官から服装について説明は受けていたし、教わった通りに着こなせているとティナは思っていた。

 何か聞き漏らしたことがあって、できていなかった部分でもあるのだろうか。




 カナルは額に手をあてると、溜息混じりに前髪を搔き上げた。


「私が気になってるのは貴方が着ている悪趣味なそのドブ色のことよ」

「っ!!」


 ティナは絶句した。

 ――ドブ色。この綺麗な深緑に染まったドレスをそんな辛辣な名で表現するなんて……。

 けれど、カナルの物言いからティナは彼が言わんとすることが何か分かった。


「もしかして……私にはこの制服が似合ってない、と言いたいのでしょうか?」


 ティナが恐る恐る尋ねると、カナルは大きく頷いた。


「ええそうよ、似合わなすぎよ。栗色の髪と桃色の綺麗な瞳をしてる貴女にはね。だから今すぐにそこのフィッティングルームで着替えてきて」


 カナルはトルソーからドレスを脱がせてティナに渡すと、奥にあるフィッティングルームへ押し込んだ。




 返事をする間もなくフィッティングルームに押し込められてしまったティナは、手にした薄紅のドレスをしげしげと見つめた。

 王宮専属の仕立て職人に作られたドレスは普段ティナが行く仕立て屋とは比べ物にならないほど隅々まで手が込んでいて、素晴らしい。


 ちゃんと着こなせるかしら。それに気に入っていただけなかったらどうしましょう。でも、カナル様からプレゼントを頂けるなんてとても嬉しいわ。

 ティナは不安を抱える一方で、カナルからプレゼントされたという実感が湧いてくると、嬉しさでいっぱいになった。

 身体にドレスをあて、姿見に映る自分を確かめると頬が緩んでいる。

「馬子にも衣裳ね」とおどけながら言うと、ティナはエプロンの紐を解いた。




 着替え終えてフィッティングルームを出ると、途端にカナルは相好を崩した。


「やっぱりティナにはこの色が良いわね。とっても可愛いし、似合ってるわー! 髪型もドレスに合わせて変えたのね。シニヨンもいいけど、今みたいに編み込みをまとめた方が素敵だわ!」


 絶賛の言葉を並べられてティナは、恥ずかしくなって頬に手をあてる。


「私には勿体ないお言葉です」

「こんなに可愛いんだから胸を張ってもいいのよー? それに舞踏会にだって自信を持って行けるわ!」


『舞踏会』という言葉でティナの表情が一瞬で曇った。

 努めて冷静さを装っているが、その奥には不安と恐怖がくすぶっている。

 カナルはそう読み取ると、怪訝そうに尋ねた。


「どうして舞踏会に行きたくないの? ダンスが苦手なら練習相手になるわよ?」

「いえ、ダンスはできます」

「じゃあどうして?」


 ティナは何かを告げようと口を開きかけたが、言葉どころか声すら発せられずに閉じてしまった。


 言えないわ、こんな恥ずかしい悩み。姉様にも打ち明けられなかったのに。

 ティナは毎日お茶の時間を過ごすうちに、カナルが何事にも前向きで寛容な人柄であることを理解していた。

 きっと打ち明ければ受け入れてくれるし、優しい言葉を掛けてくれる。

 しかし、そんな彼だからこそ、ティナは自分の薄汚れた部分など見られたくないと思った。

 ティナはスカートをきつく握りしめて顔を伏せる。

 二人の間に我慢比べのような沈黙が続いた。

 やがて、カナルが折れたと言わんばかりに長い溜息を吐いた。


「言いたくなければ言わなくていいわ」


 諦めた声色を聞いて、ティナは胸を撫で下ろして顔を上げる。と、忽ち背筋がゾッとした。

 カナルは声色とは反対に、腹に一物ありげな笑みをみせていた。

『言いたくなければ言わせるだけ』。

 そんな本音が聞こえてくるような笑みだった。

 恐ろしくなったティナは後ずさりしたいのに、肝心の足は床に縫い留められたようにぴくりともしなかった。




 カナルは思案するような素振りを見せると、ティナを軸にして部屋の中を歩き回り始めた。


「気になることがあるわ。最初の頃に貴女の名簿を読んだの。注意事項に男性恐怖症と書かれていたからわざと侍従を減らして貴女だけにしたわ。慣らして増やすつもりだった。でも、貴女とお茶の回数を重ねれば重ねるほど、不可解で仕方ない。……本当は男性恐怖症じゃないわね?」

「……はい。男性恐怖症というのは父と姉の勘違いで。実際はそうではありません。黙っていて、申し訳ございませんでした」


 ティナは深々と頭を下げた。いつの間にか室内には張り詰めた空気が漂って、息が詰まりそうだ。


「ふーん。別にそれはいいわ。私もお茶の相手が欲しくて知らぬふりをしていたから」


 カナルはティナの前で足を止めると、顔を上げるように言う。

 兎のようにびくびくと震える少女は言われた通りに真っ青な顔を上げた。


「でも――そろそろ伯爵の元へ返してあげなくちゃ。年頃の娘が男性恐怖症じゃなかったんだものねえ。大事な娘が嫁ぎ遅れでもしたら大変だもの。早く社交界で素敵な殿方を見つけて甘い恋の一つやふた……」

「やめてください!!」


 ティナは半ば叫ぶと、両手で耳を塞いで激しく(かぶり)を振った。


「どうして? 一般的なことを言っているだけよ?」

「おねがっ……やめて……くださいっ……」


 蚊の鳴くような声で言うティナの桃色の瞳からは、大粒の涙が零れた。

 カナルはギョッとして目を見開く。


「ごめんね。嗚呼、責めるような言い方になっちゃって。本当にごめんなさいティナ」


 狼狽えながらカナルは周囲を見渡してタオルを見つけると、優しくティナの涙を拭く。次に椅子を引いて持って来ると、そこに座らせた。

 ティナは泣くのを止めようと必死で歯を食いしばってみるが、涙の雨は止まらない。


「いいのよ我慢しなくて。全部毒だと思って出しちゃって」


 カナルは隣で膝立ちになると、ティナが落ち着くまで優しく背中を摩った。

 そのうち治まると、ティナはスンと鼻を鳴らして息を吐いた。


「取り乱してしまって申し訳ございませんでした。お気遣いありがとうございます」


 ティナは椅子から立ち上がると、カナルに謝罪と礼の言葉を口にする。

 カナルは頭を掻くと、バツの悪い表情を浮かべて立ち上がった。


「いいえ、ティナは悪くないのよ。言いたくないのに私が無理強いしたから。……てことで、居間に帰ってお茶にしましょ! 今日は私がうんと美味しいの淹れるから」

「れ……う……なんです」


 ティナは何かをぽつりと呟いた。

 しかしあまりにも小さな声で、カナルは聞き取れなかった。

 首を傾げるカナルに、ティナは震える唇からもう一度声を絞り出した。




「私……恋愛不感症なん、です」

「は?」

「聞き慣れない言葉ですよね。つまり、私は誰とも恋愛できないんです。ドキドキしないんです。何も感じないんです。…………だから、出会いの場である舞踏会に行くのはとても辛いんです!」


 自分で打ち明けておきながら、恥ずかしくなる。

 これ以上堪えられないティナは、すっと顔を伏せた。


 私はカナル様になんてことを打ち明けているの。はしたない娘だと呆れられてしまったわね。


 自嘲していると不意に頭に温かな何かが触れる。

 それがカナルの大きな手だと気づくとティナは目を見開いた。

 変なことを打ち明けても変わらない優しい手つきに、再び涙が溢れてくる。


「……そんなこと誰が言ったの?」


 頭の上にあったカナルの手がいつの間にか顎に触れる。

 ゆっくりと持ち上げられると、親指の腹で涙を拭われ、彼の穏やかな青い瞳とぶつかった。

 ティナは一度唾を飲み込むと、堰を切ったように話し始めた。


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