苦いコーヒーと甘い罠1
※花、咲き誇るときより時系列は前です。
それはアゼルガルド家の居間で、姉と二人で寛いでいる時だった。
お互い読みたい本を読み、時折話をするこの一時は二人にとって一つの楽しみとなっている。
「――最近コーヒーが百年ぶりにブームになり始めているのね」
女性雑誌の広告欄を眺めていた姉が不意に呟いた。
「コーヒー?」
ティナは読んでいた本から顔を上げると首を傾げる。
シルヴェンバルト王国民の愛飲はもっぱらお茶である。コーヒーやコーヒーハウスが流行っていたのは百年も前の話だ。当時は高価な飲み物とされて、嗜んでいたのは上流階級の人間だけだ。国民全体には浸透しなかった。ところが流通の発展によってコーヒー豆が安く手に入るようになり、近々王都に新しくコーヒーハウスができるらしい。
「でも姉様、コーヒーハウスって女人禁制だったっていうけど」
百年前に人気を博していたコーヒーハウスは女人禁制だった。男性が議論の場として、情報の交換や商談の場として使っていたという。
「今で言うクラブに近いわね。だけど今回は誰でも楽しめるみたいよ」
手前に広げていた雑誌の向きを変えると姉はそれをティナの前へとスライドさせた。載っている広告には『誰でも歓迎、コーヒーハウスは開かれた場所』という謳い文句があり、老若男女問わず利用できるようだった。
単語だけなら文学書や歴史書で読んだことはあったけど実際どんな飲み物なのかしら?
ティナが知っていることといえば、透き通っているお茶と違って真っ黒な液体ということと、コーヒー豆を挽いてそれを専用の器具で抽出するといった浅い知識だけだ。どんな香りや味がするのかは知る由もなく、そしてまったく想像もできない。
「再びブームになっている理由が、国王陛下が王妃様にフレーバーコーヒーを贈ったかららしいわ。どんな味がするか興味があるわ。三日後にオープンするから一緒に行ってみない?」
姉は一週間後に侯爵夫人が開くお茶会に招待されている。話題が見つかってほくほくと嬉しそうだ。
「ごめんなさい、姉様。その日は都合が……」
ティナは申し訳なさそうに眉を下げた。その日はティナにとってとても大事な日なのだ。
自然と頬を赤く染めていると、それを見た姉は「ああ」とにやにや笑った。
「そうね、その日はダンフォース様との大切なデートですものね。コーヒーハウスどころじゃないわ」
茶化されてティナはさらに顔を赤くさせた。
王宮での奉公も夢のような舞踏会も終わって早二週間。その間ティナはリヴィと一度も会ってはいない。リヴィはカナルだった頃の事後処理やダンフォース家の次期公爵としての仕事で忙殺されている。
毎日手紙でやりとりしていたが、この度漸く会えることになったのだ。
王都最大の中央公園には丁度各国を回っている有名な大道芸人たちと移送遊園地が来ているらしく、二人で見に行くことになっている。彼に会えることはもちろん嬉しいし、これまでサーカスを見たことがないティナは胸を躍らせる。
三日後が待ち遠しい。とっても楽しみだわ。
ティナは自然と笑みを浮かべるとティーカップに口をつけた。
◇
空から途切れることなく銀糸のような雨が降り注ぐ。
窓際のテーブル席に座るティナは、恨めしい目つきで窓の外を眺めていた。昨日まであんなに快晴だったはずなのに、今日は早朝からずっと雨が降っている。
折角の計画は台無しになってしまい、密かに楽しみにしていた奇術師の芸が見られなくてとても残念だ。ついでに言うとジャグリングの芸も見てみたかった。
そういえば、前にもこんな風に現実逃避していたことがあったわね……。
ティナには窓の外を眺めて現実逃避を続ける理由があった。
「今日は雨が降って残念だ」
「はい。本当に」
「次に晴れたらもう一度公園へ行っていろいろと見て回ろう」
「はい。とても楽しみにしています」
「それで、そろそろこちらを向いてくれないか?」
「うっ……」
そう切なげに言ってくるのは、白銀の髪に水底のような澄んだ青の瞳を持つ青年――リヴィだ。恐ろしいほど整った顔がじっとこちらを見つめている。
仕方ないじゃない。こうやってリヴィ様の姿で、昼間に二人きりで会うのは初めてなんだもの。それに――。
ティナはちらりとリヴィへと視線を向ける。
カナルの時の様な女性的な雰囲気は消え、精悍な顔立ちは以前よりも彼の男性的な面を滲ませている。ただしその顔はこれまで以上に蕩けた微笑みを浮かべていた。
甘さと凜々しさを併せ持った表情で見つめられては胸のドキドキが収まらない。自分でも分かるほど顔に熱が集中している。もし顔を向かい合わせれば、さらに大変なことになってしまうだろう。
ただでさえ綺麗な方なのに、こんな顔で見つめられたら私がどうにかなりそうだわ! 気を確かに持っていないと!
ティナは小さく息を吐くと、努めて冷静にリヴィへと顔を向けた。