2話
鼻筋の通った顔立ちで、長い睫毛に縁どられたアーモンド形の目は水底の様に澄んだ青色。長く伸ばした淡黄色の髪は三つ編みにして片方の肩に垂らしている。一見女性かと見間違えるほど、中性的な美しさを持つ男性だった。
これがカナルジーク王弟殿下。騎士団長にまで上りつめた方だから、てっきりがっしりとした体躯の人だと思ってたわ。
目の前に現れたのはティナの想像とかけ離れた細身の美丈夫だった。
カナルジークはティナの前に立つと覗き込むようにしてこちらを見つめてくる。
舞踏会でいつも令息たちから距離を取っていたティナにとって、至近距離で見つめられるのは目のやり場にとても困った。
どうすればいいのか分からず、思考が完全に停止する。やがて、自分の置かれた状況を思い出すと慌てて王族にする礼を取った。
「お初にお目にかかります。セレスティナ・アゼルガルドと申します。以後お見知りおきを」
監督官は鋭い視線をティナに向けたが、すぐにカナルジークへ戻した。銀縁眼鏡を指で押し上げながら一息吐くと口を開く。
「殿下、こちらは今日から貴方様の身の回りのお世話をする侍女のセレスティナです」
すると、今まで無表情だったカナルジークはティナに微笑んだ。
「来るのが遅いと思ったら。なーに? 古だぬきに捕まって連れ回されてたの? 大丈夫? 貴女顔、死んでるわよ」
ティナは優しく話し掛けてくるカナルジークにどう応えて良いのか分からず戸惑った。と言うのも、女性的な言葉遣いと高めの声で、初めて出会うタイプの男性だったからだ。
対して、古だぬき呼ばわりされた監督官はぴくりと眉を顰めると、小鼻を大きく膨らませた。
「なっ、古だぬきなどと……まだ監督官になって一年しか経っていません! はあ、私はセレスティナに王宮の中を案内していたのですよ。……って、殿下! 最後まで話を聞いてください!」
カナルジークは監督官の話を無視して、ティナの身体を軽々と抱き上げる。
「良い子ねえ、少しの間大人しくしててね」と、ティナに柔らかい声で告げると、漸く視線を監督官に向けた。
「はいはーい小言はもう充分だから。お勤めご苦労さーまっ!」
最後にばちりと気持ちの良いウィンクを監督官へ投げ、カナルジークは踵を返して棟へと戻った。
ティナがカナルジークに連れて来られた部屋は天井や壁面、柱など至るところに美しい絵画や装飾品が配されている。それは目が眩むほど煌びやかで、まさに『豪華絢爛』という言葉が似合う壮麗な空間だった。
「歩き回って疲れたでしょ? 監督官は仕事熱心過ぎよねー」
カナルジークはベルベットのソファに腰を下ろすと繊細なものを壊すまいとするような優しい手つきでティナの頭を撫で始める。
ティナはさっと身体を強張らせた。
これは一体どういう状況なの? カナルジーク王弟殿下は男性が好きなのに。どうして私を膝の上に乗せて頭を撫でているの?
「あの、殿下……」
ティナは恐る恐る口を開いた。
「仰々しい言い方はやめてよー。カナルで良いわ」
「では……カナル様、下ろしていただけますか?」
カナルはティナを膝の上に乗せていることに気がついていなかったらしい。
アーモンド形の目をぱちくりさせてから状況を理解すると解放してくれた。
「あら、私ったら! あんまりにも軽いからうっかりしてたわ。ごめんねティナ」
ティナはカナルに愛称で呼ばれて面食らった。
以前、公爵家で奉公していた時は愛称ではなく『アゼルガルド嬢』と呼ばれていたし、仕草や喋り方一つ一つチェックされてとても厳しい環境だった。
それに対して今はどうだろう。王家に奉公しに来た身なのに公爵家と比べてかなり気兼ねない扱いを自分は受けているのではないだろうか。
王族なら威厳を保つためにも侍従や侍女と一定の距離をとった方がいいんじゃないかしら? でもそんな差し出がましいことは言えないし。もしかしたらこれがカナル様にとって侍従や侍女との最適な距離感なのかもしれないわ。
口元に手を当ててあれこれ考えていると、扉を叩く音がした。
カナルが返事をすると青年が一人現れる。濡烏の髪に灰色がかった紫の瞳の彼は気怠げな顔をしている。恐らく二十代半ばだろう。
「いいところに来たじゃないエドガ! ハーブティーとお菓子持ってきてー!」
「そう仰ると思ってもう準備しています」
エドガと呼ばれる青年は廊下に控えていた数人の侍従を呼ぶとお茶の準備をさせ始めた。運ばれて来たワゴンの上には数種類のお菓子が乗ったケーキスタンドと鮮やかな花の文様が描かれた陶器が並ぶ。
それらがテーブルの上に運ばれ、準備が整うとエドガ以外の侍従は下がった。
カナルは座り直すと手を差し出してティナに向かいのソファに座るように促す。
「さ、前に座って。一緒にお茶を楽しみましょー」
ティナは慌てて口を開いた。
「えっと、あの。私はカナル様に仕える身でありますので、一緒にお茶はできません」
「ティナの仕事の一つは私と楽しくお茶をすることよー。ちゃんと奉仕して」
ティナはじっと考え込んだ。
正直なところ、侍女の仕事がお茶の相手だなんて聞いたことがない。女性とお茶をしたいのなら侍女ではなく貴族の令嬢を招いてお茶会を開けばいいのにと思った。
しかし、すぐにその考えは打ち消され、ティナは心の中であっと声を上げた。
そうだわ、カナル様は男性が好き。もしも王族のカナル様からお茶会のお誘いがあれば、令嬢たちはそれを無下にはできないから、必ず参加するわ。でも、それが楽しいお茶会になるかは…………別の話ね。
意図を汲み取ったティナはおずおずとソファに腰を下ろすとカナルと向かい合った。それを見て満足げに笑うカナルは「ティナは疲れてるから私がお茶を淹れるわ」と言って手際よくお茶を淹れ始める。
ティーカップに透き通った琥珀色が注がれ、白い湯気が立ち上った。茶葉がブレンドされているのか柔らかなハーブの香りがする。
「ケーキは何がいい? フルーツタルトにレモンパイ、チーズケーキもあるわよ。遠慮なくなんでも食べて」
ティナは屋敷を出てから緊張のせいでお腹が空いていなかった。しかし、余程お茶の相手が欲しかったのか、カナルはずっと目を輝かせているし、断っても遠慮しなくていいとぐいぐい勧めてくる。ついに根負けして、ティナは木苺のタルトを頂くことにした。
目の前に置かれたティーカップに視線を落とすと、手に取ってゆっくりと口をつける。鼻に抜けるハーブの香りと甘くて少しだけ苦い味が口の中でふわりと広がる。なによりも温かなハーブティーはじんわりと身体を温めてくれて、そのおかげでやっと張り詰めていた緊張の糸が緩んだような気がした。
「美味しい」
息をするように自然とついて出た言葉だった。
「ホントー? 良かったあ、喜んでくれて」
カナルは上機嫌で自分のハーブティーを啜る。ふと真顔になると、脇で控えているエドガの方へちらりと目をやった。
「エドガの淹れるお茶なんて死ぬほどまずくって飲めたもんじゃないの。殺人レベルの味なんだから」
嫌味を言われている当の本人は表情を変えないまま口を開いた。
「お茶は誰が淹れても同じです」
それを聞いてカナルはわざとらしく深い溜息をする。
「もう、だからエドガとお茶をしても楽しくないのよ……。あっ、紹介が遅れたわね。こちらはエドガ。本職は私の護衛だから侍従の仕事はそこそこってところね」
ティナは紹介された青年をまじまじと見た。
どことなくエドガは侍従の黒い制服が似合わない。何がと訊かれるとうまく答えられないが、騎士の制服姿のエドガを想像すると、そちらの方がしっくりとくるのだ。
「はじめまして。セレスティナ・アゼルガルドです。これから宜しくお願いします。エドガさん」
席を立って礼をするとエドガから「ああ、宜しく」という気怠げな返事が来た。
それからはカナルとの他愛もない話が続いた。ティナは美味しいハーブティーと木苺のタルトを食べながら、頃合いを見てカナルに今後のことを質問する。
「カナル様、私はどんな仕事をすればよろしいのでしょうか?」
カナルは口をつけていたティーカップをソーサーの上に置いた。
「基本的にティナの仕事は私が暮らしている部屋の掃除とお茶の相手。それ以外は好きに過ごしてくれて構わないわ」
カナルは人差し指を口元に添えて考える様に上を仰いだ。
「んー、ティナ以外に侍女はいないけど。分からないことがあれば全部エドガに訊いて。お茶の淹れ方以外なら何でも教えてくれるわー。そうそう、これはティナだけの規則になるけど夜の八時から朝の六時までは一人で出歩かないこと。出歩く場合は必ずエドガを付けること。約束してくれる?」
言われてティナはピンときた。
その時間は男性を寝所へ連れ込んでいるから、女の私が棟に一人でうろうろされては困るということね。
ティナは背筋を伸ばして胸を張ると、大きくと頷いてみせた。
「はい、カナル様。約束します」
こうして父と姉の企みによる侍女としての生活が始まった。