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心が晴れるとき2

 



 次の日、下級騎士の服に身を包んだリヴィは腰に手をあてて真っ直ぐ廊下の先を見つめていた。

 この先を進めば、ティナが侍女として働いている。


 できるだけ接触は避けたい。何か思惑があってそれを秘密裏に進めているのなら、そっと動向を調べた方が良い。

 隠し通路に繋がる入り口が少し歩いた先にある。そこから彼女が何をしているのかそっと観察しよう。


 リヴィは手を握り締めると、ゆっくりと歩き始めた。

 今は茶色のカツラを被り、同じ色の付け髭を口の周りにつけて変装している。眉も睫毛も染め粉で茶色にし、ある程度化粧を施している。もし接触しても、自分だと気がつかないだろう。

 歩みを進めているリヴィだったが程なくして足を止めた。


 どうも髭の具合が悪い。糊の接着力が弱いだけでなく、肌に合わないみたいで痒いのだ。

 不安になって腰に下げていた剣を取り、鞘から少し抜く。そこに映る自分の顔を確認すると、蕁麻疹ができて酷くかぶれていた。しかも口の周りのみならず頬や額にまで広がり、目も当てられない程になっている。

 これはまずい。

 そう思った矢先、付けていた髭は廊下の白の大理石の上にはらりと落ちた。

 鞘に収めた剣を腰に戻して、付け髭へと手を伸ばしかける。が、背後から悲鳴が上がった。


「きゃああっ! こんなところに大きな毛虫が!」


 声の主は小走りでやって来る。深緑のドレスに白いエプロンをした侍女――ティナだ。

 彼女は慌てて箒と塵取りを使って付け髭を取ると、それを窓から放り捨てた。

 リヴィは「それは毛虫ではなく俺の付け髭だ」と心の中でツッコミを入れるだけで、呆気に取られて見つめるしかできなかった。

 やがて彼女が此方を向くと、リヴィは反射的に腕で顔を隠した。

 数年間カナルとして過ごしてきたリヴィは自ずと美意識が高くなっていた。こんな醜い有様を見られたくはない。



「どうしてここに騎士様が?」


 箒の柄を固く握りしめ、困惑しながらもティナは尋ねた。

 初っ端からティナに接触してしまい、面食らったリヴィは苦し紛れな言葉を口にした。


「……俺は団長に手袋を取ってくるよう頼まれてここへ来たんだ。まさか女人がいるとは思わなかった。頼むから此方を見ないでくれ! 俺の顔は慢性的にかぶれていて、それは醜く恐ろしい。ご令嬢やご婦人が悲鳴を上げるくらいだから、きっと貴女も怖がらせてしまう!」


 我ながら即興で作った設定だが、これはこれでうまく行きそうだ。現に腕の間からティナを盗み見ると、彼女は僅かに動揺している。


「わ、分かりました」


 ティナはそこで一度言葉を切り、やがてまた、その先を続けた。


「少しお待ちになってください!」

「あ、いや……」


 リヴィが制止の言葉を口にする前に、ティナは急いでどこかへ走って行く。すぐに戻って来てリヴィの前に立つと、ふわりと何かを頭の上に被せた。


「良かったらタオルをお使いください。気休めでしかありませんが、少しは顔を隠せると思います」

「……ありがとう」


 リヴィは一度ティナに背を向けて目元以外をタオルで覆うようにして巻いた。それから再び向き直ると、今度は手袋が差し出された。


「カナル様の手袋は常備品なのでいつも居間の引き出しにあるんです。こちらを持って行って下さい」

「仕事が早い侍女だ」


 リヴィは視線を彼女に向けたまま手袋を受け取る。

 接触してしまったのなら、やり方を変えて情報を引き出すしかない。


「団長は変わった趣味の持ち主だから女人が仕えるのは大変だろ。嫌にならないのか? 私でよければ悩みを聞くぞ」


 ティナは桃色の瞳を瞬かせて此方を見る。やがて、目を伏せると首を横に振った。


「大変だなんて思った事ありません。カナル様はいつも疲れていらっしゃるのに、必ず私のお茶を飲みに足を運んでくださいます。お優しい方なんです。どんな趣味をお持ちだろうと関係ありません。カナル様はカナル様なのです」


 そう言ったティナは陽だまりの様な笑みを浮かべていた。

 リヴィは思わず息を呑んだ。

 ……こんな笑みを見たのはいつぶりだろう。

 カナルとして最初から全てに疑いを持って生きていたからなのか、彼女の笑みがここまで温かいものだと知らなかった。


「……誰かの素直な笑顔を見たのは久しぶりな気がする。今の俺になってから、周りの目は逐一気にしてしまう。そのせいで自分の存在が何なのか分からなくなってしまった」


 いつの間にか即興で作った設定ではなく、自分自身の心の内を吐露してしまっていた。

 我に返ったリヴィは慌てて撤回する。


「すまない。今のは忘れてくれ」

「あの……」


 ティナは何かを言いたそうにもじもじしていた。やがて決心がついたのか重たい口を開いた。


「とても辛い目に遭ったのですね。でも、どんな貴方だろうと貴方を必要とする人、想っている人は必ずいます。だって初対面の私を気に掛けて下さるとってもお優しい方ですから。……貴方はそのままの貴方で良い、と思います」


 そう言ったティナは、ぱっと頬を赤らめて「初対面の私が偉そうな事を言うものではないですね」と言って顔を下に向けた。

 リヴィはティナの言葉を何度も噛みしめた。



 そのままの自分で良い……。俺は無理に何かになろうしていた。でもそんなことしなくて良かったんだ。


 長年感じていた焦燥感が不思議と取り払われていく――。


「ありがとう。なんだかとても楽になった」

「いえ。……私も、周りが怖くて踏ん切りがつかない事があるので。なんだか、今の自分と重なって応援したくなったんです」

「重なった?」


 尋ねた途端、ティナの表情に暗い影がさした。その瞳には恐怖が滲み、唇は小刻みに震えている。


「ごめんなさい。そろそろ戻らないといけませんので。……失礼します」


 ティナは探りを入れられたくないのか、逃げるように元の持ち場に帰っていった。

 残されたリヴィは彼女の意図が分からず、首を捻るしかなかった。






 夜更けになり、寝室に現れたエドガに本日の成果を伝える。

 リヴィはソファに腰を下ろし、肘掛けに肘をついていた。目の前に立つ、いつもより一層気怠そうな顔をする彼を見上げる。


「……つまり何の成果も得られなかった、と」

「そういう事になるな。だから仕事の合間にティナの調査をしてくれ」

「給料は弾んで下さいね」

「ああ、分かってる」


 エドガは顔のいたるところに湿布を貼ったリヴィを見つめた。

 その表情は今までとは違い、生気に満ちている。


「仕方ありませんね。息抜きになったのならそれはそれで良かったと思います。……彼女に興味を持ってくれて此方は好都合ですし」


 最後にぽつりと呟いたエドガの言葉はリヴィに聞こえる事はなかった。そして、彼は灰紫の目を細めて声なく笑うのだった。




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