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17話



 優雅な管弦楽の旋律。

 細やかな金細工が施された天井、そこから下がる燦然と輝く幾つものシャンデリア。

 その下には国中の上流階級の人々が集まっていた。


 群衆の中、ティナは姉の隣で周囲を眺めていた。

 王宮で催される舞踏会とあって、今まで参加したどの舞踏会よりも遥かに華やか。

 会場は興奮と熱気が色濃く、何人かの紳士や淑女はしきりに時計を気にしている。

 鐘の音が鳴れば舞踏会が始まる。彼らが今夜をどれほど楽しみにしているのかが窺えた。


 特にそれは令嬢たちのドレスに顕著に現れていた。

 彼女たちの身に纏う色とりどりの鮮やかなドレスは王宮の庭園に咲く花のように舞踏会場を彩っている。

 デコルテに流行りのレースがあしらわれたドレスは彼女らの瑞々しい肌をより一層艶やかに惹きたてた。ネックレスやイヤリングなどの装飾品もシャンデリアの輝きに負けないくらい眩しい。




 ティナは令嬢たちから目を離し、再び周りをじっくりと観察する。歓談する人々の声に耳を傾けるとそれから小さく息を吐いた。


 昨日の今日ということもあり、会場内はブロア公爵の話やカナルの廃嫡の話で持ちきりになるのではないかと不安に思っていた。

 社交界の噂話は拳銃の弾よりも速いスピードで広まる。

 話に尾ひれがついて、悪意ある噂話になることはよくあること。仕方がないと割り切ってはいても、今回それらに関わった自分としては根も葉もない話を聞くのは心苦しかった。


 しかし会場にいざ足を踏み入れると、誰もそのことについては話してはいなかった。

 王家から各家に手紙が届いて釘を刺されたからというのもあるが、きっと今はとある人物に話題が集中しているからだろう。



 密集している舞踏会場のある一角に、さらに人集りができている。令嬢たちは盛んに秋波を送り、紳士たちは彼に取り入ろうと躍起になっている。

 彼らの中心にいる人物、それはダンフォース公爵家嫡男であるリヴィだった。



 隣に立っていた姉がその光景を眺めながら肩を竦めてみせた。


「予想はしていたけど彼、モテモテね。今まで療養中で社交界に現れなかったから余計に注目の的だし……これじゃあ可愛いティナを見せられないわ!」


 頬に手を当てて溜息を漏らす姉に、ティナは微苦笑を浮かべた。

 今日のティナはリヴィにプレゼントされた薄紅のドレスと、それに合うようにパールのネックレスとイヤリングをしている。

 薄く化粧をして、髪はサイドを編み込んで纏め上げ、耳のあたりに小ぶりな白い造花を挿している。


 自分で準備したと思われるだろうがそれは違う。

 今日のティナは全て姉プロデュースによるものだった。

 ティナは遠い目をしながらここに来るまでのことを思い出した。



 リヴィが帰るなり、姉と侍女にバスルームへ連れていかれると、身体の隅々まで綺麗に洗われ、髪には念入りに香油を塗り込められた。

 彼女たちの気合の入りようは凄まじかった。

 何故か下着は全て新調され、フリルがいつもよりも多いものを着せられた。


 姉様ったら、いつもはあんなことしないのに。今日は自分をドレスアップするのも忘れて私に付きっきりだったわ。……それでもいつも通り完璧で綺麗だけど。



 姉は自分の魅力を分かっている人で、どこをどうすれば自分を美しく着飾れるか心得ていた。今日のために入念に準備をしていたこともあり、いつもより美々しい。

 やけに令息たちの視線を感じるのはこのせいだろうとティナは思った。





 姉は喉が渇いたと言うので二人で飲み物を取りに行こうと場所を移動する。と、目の前に人懐っこい笑みを浮かべた男性が一人現れた。


「こんばんは。私の婚約者は今日も例えようがないほど綺麗だ!」

「ふふっ。それは貴方の語彙力が少ないからよ」


 くすくすと笑う姉。その前に立つのは姉の婚約者だった。

 彼は「やっと君を見つけたよ」とずっと探していたことを伝えると、さり気なく手を取って姉をエスコートする。

 二人の仲睦まじい姿を見ていると、こちらも嬉しくなり自然と頬が緩む。と、婚約者は視線をティナに向けた。


「ティナは舞踏会で会うのは久しぶりだね」

「はい。ええ、その……」


 不意に話しかけられ、なんと応えていいのか分からず言葉を詰まらせる。

 彼は何気ない一言を言っただけだ。しかし、ティナには「なんで今まで舞踏会に来なかったの?」と尋ねられているように聞こえた。


 姉は慌てて「私、彼と飲み物を取ってくるわね」と告げると半ば強引に婚約者の腕を引っ張って群衆の中へと消えていった。

 一人残されたティナはくるりと踵を返し、夜風に当たろうとテラスへと向かった。





 熱気に包まれる会場と違って外は涼しく、時折吹く風が心地良い。まだ舞踏会が始まっていないため、休憩の場になっているテラスには誰もいない。

 ティナは手摺に手を乗せると深く溜息を吐いた。


「はあ。あんな態度じゃ失礼よ……私はもう恋愛不感症じゃないのだから」


 不安がることは何もない。言い聞かせるように何度も頭の中で繰り返す。

 深呼吸をして漸く心が落ち着いた時だった。


「ティナ」



 聞き覚えのある低い声を耳にして、途端に身体が強ばった。

 ティナは恐る恐る声のする方へ顔を向ける。

 黒のタキシードに身を包んだ、タレ目が特徴的な甘いマスクの男性が立っている。


「…………ダグ」


 初めての舞踏会でのできごとを嫌でも思い出してしまう。

 ティナは顔が引きつりそうになるのを、下唇を噛んで耐えた。

 ダグは柔和に微笑みながらこちらにやって来る。


「やあ。暫くぶりだね。会っていないうちに前より綺麗になったんじゃないかい? いつもは可愛らしいけど今日はどことなく大人びてとても色っぽい」


 幼馴染ということもあり、ダグは気取らない態度を取ってくれる。だが、今日の彼は少々不躾だし、会うなり舐め回すようにこちらを見ると口の端を吊り上げた。


 ――嫌な予感がする。

 ティナはダグから顔を逸らすと口早に言った。


「そろそろ会場に戻らないと。姉様が探してるかもしれないから」

「まだ会ったばかりじゃないか。もう少し付き合ってくれないかい?」


 ダグは寂しげに笑うと自然とティナの手を取り、流れるように口づけをした。

 昔の自分ならきっとここで舞い上がっただろう。しかし今は全身が粟立った。

 手袋の上からとはいえ不快感と恐怖で身が竦む。



「……やめて」


 消え入るような小さな拒絶はダグには聞こえていなかった。


「あっちに二人きりになれる場所があるから行こう? 久々にティナと二人きりになりたいんだ……いいよね?」


 いつの間にかダグの視線は熱く、厭にねっとりとした声に聞こえた。

 ティナは嫌だと首を何度も振る。それでもダグは笑ったまま、ティナ腕を強引に引っ張った。


「きゃあっ!」


 無理に引っ張られたせいでティナはバランスを崩し、スカートの裾を踏んづけて前のめりになる。

 このままでは全身強打は免れない。

 覚悟してぎゅっと目を瞑れば、何故か身体は後ろへと傾いた。



「大丈夫か?」


 頭上から声がして見上げると、心配するリヴィの顔があった。

 強ばっていた身体が緩んでいく。ティナは安堵するとこっくりと頷いた。

 そして慌てて自分の状況を理解すると離れようとする。けれど肩を掴む彼の手は離れるなというようにさらに力が篭った。


「早くこうしたかった。いつも可愛いのに今夜のティナはどんな花や宝石よりも綺麗で……誰にも見せたくないと思ってしまった」


 耳元で囁かれたティナは顔だけでなく耳の先まで真っ赤に染まった。ダグに聞かれないように耳打ちしてくれたのに、自分のせいで気遣いが台無しだとティナは思った。

 寸の間、ダグは顔を歪めるもすぐにいつもの笑顔を取り繕った。


「ダンフォース様。幼馴染を助けてくださってありがとうございます」

「問題ない。当然のことをしただけだ」

「久々の社交の場とあって挨拶回りでお忙しいでしょうし、彼女は俺が連れて行きます。先に会場へお戻りください」

「それはできない」


 リヴィは爽やかな笑みできっぱりと断るとダグに見えないようにティナを庇った。

 その態度にダグは顔をムッとさせ、やれやれといった様子で肩を竦めた。


「ティナは俺の幼馴染です。それに彼女は俺のことを好いてくれている。人の恋路を邪魔するなんて、大人げないと思いません?」

「なるほど。お子様には分かるようにすれば良かったのか。それはすまない」

「なんだと!」


 怒るダグを無視してリヴィは身体をティナに向ける。と、優しく抱き締めて彼女の頭に口づけをした。

 本日二度目の人前での行為にティナは恥かしさのあまり両手で顔を覆った。


「ひ、人前でこういうこと、あまりしないで下さい!」


 涙目で怒るティナに、リヴィは「悪い」と言ってぽんぽんと頭を叩く。

 ティナは指の間からダグを盗み見ると、彼はぽかんと口を開けていた。どうやら理解が追いついていないらしい。

 リヴィはそんなダグへ不敵な笑みを向けると口を開く。


「いい加減分かったらどうだ? これ以上おまえにティナの可愛い姿を見せるわけにはいかない。恋しいのなら会場で侍らせていた女たちの元へ帰ればいい」


 それでもダグは間抜けな顔を晒し、固まっていた。やがて、現状を理解すると口元に手をあて「いつの間に男を……」と呟き驚いていた。




「話は変わるが、先ほど挨拶をしに来られたクレア伯爵。彼の娘のベティ嬢が婚約者もいないのに子供を身籠ってしまったそうだ。相手が誰か分からないらしく大変困っておられた」

「……っ! へ、へえ。それは大変そうですね。俺には関係ないですけど」


 目を泳がせるダグを見てリヴィはフッと笑う。


「ではここからは独り言だ。今日その相手に関する有力な情報が伯爵の元に届いたそうだ。舞踏会に姿を現すと知ってこの群衆の中、報復のために血眼になって探しているらしい」


 話が進むにつれてダグの顔がみるみるうちに青くなっていく。

 額には脂汗を滲ませ、心なしか小刻みに震えているように見えた。


「どうした? 顔色が悪いぞ?」

「…………少し具合が悪いので失礼します」


 ダグはそう告げるなり、足早にテラスから去っていった。


 ティナは二人が話している間、どう反応して良いか分からず静かにそれを聞いていた。

 リヴィの話す内容やダグの表情からして、ベティ嬢の相手はダグに違いない。

 否定していたけれど、自分のした行動には責任を取って欲しい。

 ダグはちゃんとクレア伯爵に謝りに行った方がいいわ。


 ティナは彼が去っていった方向を見つめ、心の中で呟く。と、不意に頬を撫でられた。



「来るのが遅くなってすまない。あいつに何か変なことはされなかったか?」


 ティナは少し考えた後、手にキスをされたことを話した。

 勿論手袋をしているから直接キスされたわけではない。だから平気だと答えた。

 しかし、リヴィはティナの手を取って同じように口づけをする。


「手袋とはいえ上書きはさせてくれ。……エドガの言う通り、焼くなり燃やすなりするしかないか」

「リヴィ様、選択肢が同じですよ。それにそこまでしなくても…………手袋は替えがありますから大丈夫です」


 真顔のリヴィにティナは控え室の鞄に替えの手袋があることを告げる。


 一瞬、彼はキョトンとした顔をみせたが直ぐに優しく笑った。

 それと同時に、王宮の時計の鐘が鳴る。舞踏会場から上がる歓声がこちらまで響いた。


「……行こうか」


 そっとリヴィの手が目の前に差し出される。

 ティナはふわりと微笑むとその手を取った。



 王宮の舞踏会が今、始まる。

 ティナは初めて感じる高揚感を胸に、リヴィと共に会場へと向かったのだった。



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