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1話



「セレスティナ、お前は今日から行儀見習いとして王宮で奉公してもらう」


 アゼルガルド伯爵家の当主である父から告げられたのは、ティナが十八歳の誕生日を迎えた日の朝だった。

 まだ少女の面影を残すあどけない雰囲気の顔に戸惑いの色が滲み出る。


 これは何かの冗談なの? とティナは確認の意味も込めてその場にいた姉と執事を交互に見た。しかし、二人はそのことに何の反応も示さなかった。寧ろそれが至極当然といったような真剣な顔つきだ。


 執事をよく見ると彼の両手には自分の荷物が入っているだろう旅行鞄が握られている。

 拒否権がないのだと頭の中で理解していても、ティナは姉に縋るしかなかった。


「姉様、どうして私が王宮へ行かなきゃいけないの? こんなの酷いわ……」


 くりっとした桃色の瞳に涙を浮かべて訴えるティナに、姉は肩を竦めて困った表情をするだけだった。



 行儀見習いとは社交界デビュー前の令嬢が礼儀作法を学ぶ為に身分の高い貴族や王族へ奉公することを指す。

 勿論ティナは十六歳の時に社交界デビューを果たしていたし、十五歳の時に公爵家で行儀見習いとして半年間、既に奉公に出ていた。

 それなのにどうして再び奉公しなければならないのか。思い当たる節は一つだけあった。

 姉はティナの両手を優しく握ると、諭す口調で言う。


「私も父様も、ティナが不躾だから奉公させると決めたわけじゃないのよ。私たちは貴女が心配なの。だって舞踏会へ行ってもちっとも男性と親しくならないし、恋の話も聞こえてこないから。……男性恐怖症のままじゃ嫁ぎ遅れになってしまうわ」

「それは……」


 口を噤むティナは、真剣な面持ちの姉から逃れる様に視線を逸らした。



 ティナが男性恐怖症と言われる所以、それは舞踏会に参加しても誰とも踊らず壁の花に徹しているからだった。

 年頃の令息たちが何度かティナにダンスを申し込んだが、怯えた瞳で断られるので、そのうち誰も誘わなくなった。そして、令息たちの間でついたティナのあだ名は『小心者の兎さん』。

 噂を耳にした父や姉はティナに男性恐怖症を克服してもらいたいと思うようになった。その結果、ティナには内緒で王宮での行儀見習いを決行したのである。




 廊下から慌ただしい足音が聞こえてくると、侍女が扉を叩いて部屋に入ってきた。


「ティナお嬢様、王宮から迎えがいらっしゃいましたわ」


 窓の外を見ると、晴れ渡った青空の下で眩しいほど輝く豪奢な造りの馬車が一台、玄関前に到着していた。執事は従僕を連れて荷物の積み込みを始めてしまい、侍女も忙しなく屋敷と馬車を行ったり来たりしている。

 もうここまでされては逃げ道など残されていない。

 諦観の表情を浮かべるとティナは深い溜息を吐き、重たい足取りで王宮の馬車に乗り込んだ。



「言い忘れたことがあったが」


 出発する寸前に窓からひょっこりと顔を出した父。どこか茶目っ気のある明るい笑顔をした彼は続けざまにこう言った。


「お前がお仕えするのはカナルジーク王弟殿下だよ」


 一瞬の沈黙。

 ティナはくりっとした桃色の瞳を瞬かせる。

 そして漸く父が何と言ったのか理解するとぎょっとした。


「…………ええええっ!?」


 驚きの叫びは出発した馬の蹄鉄と車輪の音で掻き消されてしまった。






 カナルジーク王弟殿下。

 シルヴェンバルト王国を統べるフェリオン国王陛下の弟君であり、王位継承権は一番目。しかし、彼は王位になど端から興味がないらしく、フェリオンに息子ができるとこれを好機と捉えてその座をあっさり譲ってしまった。その後、幼少期から剣術に長けていた彼は王宮騎士団に入団するとめきめきと腕を上げ、一年も経たないうちに団長にまで上り詰めた。

 二年前のエレスメアとの戦争では、戦場での豪胆かつ剽悍(ひょうかん)な姿は多くの騎士に勇気と希望を与え、たちまち彼らの憧憬と厚い信頼を獲得した。

 そんな偉業を成し遂げた彼は現在二十七歳。結婚しても何らおかしくない年齢だ。



 ここまで聞くと王位継承権の破棄を除いても、かなりの優良物件である。だが、令嬢たちが絶対近づこうとしないのは数年前からカナルジークに、ある噂が流れ始めたからだった。

 それは、彼が男色で自分好みの男を夜な夜な寝所に連れ込んでいるというものだった。

 最初は誰も信じなかった。しかし、その噂の信憑性を高めるように、カナルジークは舞踏会に一切現れなくなり、たまに姿を現しても誰ともダンスは踊らないのだ。

 さらに、彼の身の回りを世話するのは侍従ばかりらしい。


「……父様も姉様も女性に興味がない王弟殿下のもとで奉公させることで私の男性恐怖症を克服するように企んでいるのね。私を想ってしてくれるのはとても有難いけど。……そんなことをしても無駄なのに」


 ――原因は男性恐怖症じゃないもの。

 表情に暗い影を落とすティナは誰もいない馬車の中で胸の内を吐露するのだった。




 太陽が空高く昇った頃、王宮に到着したティナを出迎えたのは銀縁の眼鏡を掛けた品の良い男性だった。

 彼は侍従や侍女を取りまとめている監督官で、形式的な挨拶から始まると流れる様に王宮の規則や仕事内容について様々なことを説明してくれた。


「奉公する以上、身分は関係ありません。公爵だろうと男爵だろうと皆平等に扱われます。良いですね?」

「はい、監督官」


 説明が終わると次に王宮内を案内してもらった。

 王宮は主に四つの棟から成っていて、政務や娯楽、王族の居住エリアなどに分かれている。広大な王宮に初めて足を踏み入れたティナは一度では覚えられそうになかった。

 監督官はティナが目を回しているのに気づいたのか、銀縁眼鏡を押し上げながら平淡な声で話す。


「殿下はあまり出歩かれないので、必要な部屋だけ覚えるのが良いでしょう」


 ティナはほっと胸を撫で下ろすと改めて顔を引き締める。自分が侍女として仕事しそうな場所は把握しようと思い、監督官の話を熱心に聞きながら王宮内を歩いて回った。




 カナルジークが住んでいる棟に案内されたのは夕闇がすぐそこまで迫っていた頃だった。

 一日中王宮内を歩き回ったティナはへとへとだった。

 しかし、折角案内してもらっておいて疲れた表情をするのは失礼だと思い、無理矢理笑顔を作ると監督官に礼を言う。と、棟の中から長身の男性がこちらにやって来た。


「殿下」


 監督官にそう呼ばれる男性を見たティナは、思わず息を呑んだ。



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