ずっと貴方が好きでした
ところでこの俺も、進学した結果、大きな変化が一つあった。
それは、近所に住む昔からの知人である、飛鳥祥子という美人さんと、またしても毎日のように顔を合わせるようになったことだ。
とはいえ、祥子ねーちゃんは二十三歳の立派な成人だけどな。
ここ数年ほど顔を合わせなかったのに、まさかうちのクラスの担任として再会するとは。
海外留学とかしてたくらいだし、なにもストレス溜まりそうな教師になんかならんでも、と思うのに。
なぜか本人とばったり出会った俺は、そんなことを考える。
うちの五軒隣が祥子さんが住む飛鳥家だが、俺が通りかかった途端、待ってましたとばかりに出てきたのだな。「あら、偶然ね」とか言って。
もうなんというか、白い女性用スーツ着てるこの祥子さんを見ていると、「世の中には、美人ってのがいるもんだぜ」としみじみ思うわけである。
ご近所さんとはいえ、最後に遊んでもらったのが、俺が中一の時だから、もう三年前だ。その頃にはもう祥子さんは大学生だったわけで、ホント、思えば最初に会った小学生の時分から、この人には頭が上がらん。
ちなみに、義妹の碧は、なぜか祥子さんを避けてたけどな。「密約以外は、関係ない人」とか、わけのわからんこと言って。
「良介ちゃん」
いきなり呼ばれ、俺は「はいっ」と頭のてっぺんから声を出した。
「そんな警戒しなくても……」
祥子さんが口元に手をやって微笑する。
いちいち上品なのだな、仕草が。しかも、ふんわりと香水の匂いがして、落ち着かんし。
「ある意味幼馴染みだし、二人だけの時は昔のような呼び方でいいでしょう?」
「祥子さん……じゃなくて先生はいいけど、俺はまずいでしょうねぇ。気安く姉ちゃんとか祥子さんとか呼べたのは、小学生とか中学生だったからで」
歩きながら苦笑すると、祥子さんが横目でとっくりと俺を見た。
「じゃあ、姉ちゃんも祥子さんもやめて、祥子と呼び捨てにするのは? いいのよ、わたしは?」
「……は?」
またまた人をからかってぇ……と思って祥子さんを見たところが、アーモンドみたいに形のいい瞳は、マジもマジ、大マジだった。
「それくらいは……別におかしくないと思うけど? わたし達、知己だし。昔から仲良かったし」
「ま、まあ、それは確かに」
今は多少遠慮するようになったけど、昔の俺は物怖じしないガキだったからな。
それはもう、大人の女性に興味津々なのと、相手が気心の知れた近所の姉ちゃんということもあり、「いやぁ、祥子さんはおっぱいでかいなー」などと言いつつ、さりげなく触ったりしたものである。……今思えば、大胆過ぎる面もあるが。
「えーと」
どうも返事を待っているようなので、俺は困ってしまい、無闇に頭をかいた。
「さすがに今の俺が、担任になった昔の知人を『祥子』と呼び捨てするのは、ちょっと」
「……昔は、あんなに大胆だったのに」
つややかな唇を尖らせ、怨ずるように言う。
いや、大人女性がこういう表情見せると、威力が半端ないなっ。
「ねえ、良介ちゃんは覚えてる? わたし達が最初に会った時のこと」
最初に会った時? それは確か、俺がまだ十歳だった頃だよな。その頃、もう祥子さんは高校三年生だったような。
川の土手に座り込んで泣いているのを、俺が見つけて慰めたんである。
「覚えてますとも」
俺は力強く述べた。
「だって、祥子さんが泣いてるのを見たのは、後にも先にも、あの時だけですからねー」
その理由というのが、親に婚約者を勝手に決められたとかいうものだが、当時からして、「どこの貴族世界だよ!」と思ったよな。
恋愛くらい、自由にさせろやと憤った覚えがある。
「あの時、良介ちゃんは、自分のことのように腹を立ててくれたわねぇ。『ふざけんなよっ。どこにそんな親がいるんだっ。俺が怒鳴り込んでやるっ』とか言って」
お洒落な鞄を後ろ手に持って、弾むように歩く祥子さんは、遠い目をしていた。
多分、その時のことを思い出しているんだろう。
「そ、そんなこと言いましたか、俺」
うわ、冷や汗が。
「まあ、昔は大胆不敵かつ、割と素直に腹立てる方だったからぁ……ははは」
誤魔化し笑いなどしてみる。
「あの時、たまたま良介ちゃんと出会ってよかった。大人しかったわたしは、泣きながらも『もう親の言う通りにするしかないのかな』なんて思い込みかけてたもの。今から考えたら、とんでもない話だわ」
「そうですとも!」
こればかりは、俺も大いに同意する。
何処の馬の骨としれぬ優男に、祥子さんを攫われるわけにはいかん。
「自分の相手くら、自分が決めずにどうしますかっ。あの時に断ったのは、大正解っすよ」
だいたい、祥子さんだってまだ高校生だったしな!
「……そうね」
しばらく置いてから、祥子さんはあえて立ち止まり、なぜか眩しそうに俺を見た。
春風が長い髪を微かになびかせ、また祥子さんが上品に手で押さえる。
学校まではあと少しの距離なのが、ちょっと惜しかった。
「当時と同じことを言ってくれて、これでわたしも決心ついたわ。……と言っても、決心なんて最初に出会った瞬間についていたのだけど」
「えっ」
ま、まさかポシャった縁談話が、また――
などと戦慄する俺に、祥子さんが「はいこれっ」といきなり何かを押しつけた。
これがまた、桃色の小さい封筒で、表には「伊達良介様」としか書いていない。
「ま、まさか、早速なにかの赤点答案がここに――」
「待っていますから」
俺の馬鹿なセリフを、祥子さんが遮った。
「中身を読んで、ぜひお返事をください……お願いします」
……なぜそこで敬語?
戸惑う俺に、祥子サンが素早く近づき、おでこに口付けした。
「ええっ!?」
「じゃあ、先に行くわね」
赤い顔でぷいっと明後日の方向を見ると、祥子さんはそのまま足早に遠ざかる。
と思ったら、数歩先で振り返った。
「遅刻しないでね、良介ちゃん。あと、出来れば、その封筒開けるのは一人の時で、しかも放課後にしてほしいかも」
それだけ言い残すと、今度こそ足早に去った。
……ちなみに俺は、好奇心旺盛な方である。
従って、こんな意味深な封筒、読まずに放課後まで待てるはずない。
遅刻などなんのその、速攻で近くの公園まで走り、封筒を開けて便せんを出した。
中身は便せん一枚しか入ってなかったのだが、内容のインパクトはそれこそ核兵器クラスである……少なくとも俺にとっては。
「最初に会った時から、ずっと貴方が好きでした。年齢の離れたこんな女でよければ、どうか祥子と付き合ってください」
「えぇええええええ」
素で声が出た、声がっ。
あと、寝ぼけたかと思い、三度も頬をつねっちまった。
しかし何度読み返しても書いてあることは同じであり……そのうち、俺は身体が震えてきた。
「ど、どうするよ……」
見苦しいほどうろたえまくりの俺の脳裏に、なぜか義妹の顔が浮かんだ。
多分、次で終わりです




