英雄たち
カロリング王国の王都カロラインから南に下り10キロほどのところには、カロリング王家直轄の土地がある。だが、何があるというわけではない。
近くには大きな街道もなく、あるのは生い茂った緑豊かな森とその奥には小さな池があるだけで、王家直轄というわりには何も手をつけられていない土地がそのままにされているだけであった。
かつて、この辺りには妖精たちが住んでいたという伝承が残ってはいたが、現在はそう言った伝承も語り継ぐものは少ない。
今、この地を一人の壮年の男が、しっかりとした足取りで森の中心へ向かい歩いている。
この男の身なりは軽装と呼べるものだったが、その身に装備している長剣、またはアイテムはこのオルガノ大陸で言われる神器級の代物である。
男は慣れた道を行くように森の獣道を抜けると、前面には澄んだ水を溜めた池が姿を現した。
「……久しぶりだな、ここに来るのは」
その男は懐かしそうに池から反射する太陽の光に目を細めると、その池のほとりにあるみすぼらしい小屋の扉に手をかけた。
中に入ると、魔導士然とした白髪の老人と目が覚めるような美しい容姿をした女人がテーブルに腰を掛けている。
「やあ、久しぶりじゃな、アルベルト、何年ぶりじゃ?」
「はい……お久しぶりです、ミロシュラフさん。そうですね、以前、お会いしてもう7年になりますかね」
アルベルトと呼ばれた男は腰の長剣を外すと、ミロシュラフ前に座る女性の横に腰を下ろした。
「フィーネ殿も変わりはないようですね」
「うむ、アルベルト坊やはいささか老けたな」
アルベルトはフィーネの鷹揚な態度に懐かしさを感じながらも、苦笑いをする。この自分を坊やなどと呼ぶのはこの女性ぐらいだ。
フィーネは先端のとがった長い耳にシルクのような黄金の髪をかけて、ティーカップを傾けた。
エルフ族の純粋種であるプリモーディアル・エルフのフィーネは人間から考えると、見た目通りの年齢ではない。
アルベルトもその実年齢は聞いたことはないが、もしかすれば坊やと呼ばれているだけ、マシなのかもしれない。
「いや、呼びだてしてすまんな。お主も忙しいとは思うがどうしても皆に直接、伝えておきたいことがあってな」
「イザックはどうされました? 呼んでいないのですか?」
「ああ、あいつはちょっと立て込んでいるみたいでな、ここには来れんとのことだ。何でもまた部族間でのいざこざがあったようでの。まあ、あいつにはあとで儂から伝えておこう」
現、獣人族の長であるイザックとは唯一、ため口で語れるアルベルトは久しぶりの友人に会えないことに少々残念そうに息をもらした。
だが、獣人族はそれぞれの部族で気質も違うことが知られており、部族すべてをまとめ上げるのは相当に難しいと言われている。
事実、獣人族が一つにまとまったのは、20年前に人族同士が入り乱れて争った大戦、オオルガノ大陸全土を巻き込んだこの大戦直前が歴史上初めてであろうとのことだった。
そして、それはイザックの力によるところが大きい。
「それでミロ爺、わざわざ我らを集めてとは一体、何の話か」
このメンバーにこのような物言いで話せるのはフィーネぐらいであろう。何故ならミロシュラフは大陸で唯一の『大天位』を授かった魔導士なのだ。
「おお、すまんな。それでは早速だがの……“あ奴”が旅に出た」
「!」
「……! まさか、あいつがですか?」
「そうじゃ……って、どこに行くフィーネ」
「探してくる」
「ちょっと待て、どうするつもりだ」
「あの子が旅に出るにはまだ早い」
「まあ待て。そうはいっても、あ奴も、もう二十歳になる。旅に出るのに早いというわけではあるまい」
「いや、まだ教えねばならないことが終わっていない」
「待てと言っておろうに……十分に修行は積ませたろう。それにお主が出回っては目立ちすぎる」
ミロシュラフにそう言われ、フィーネは眉を寄せながら、不承不承に席に戻る。
「ははは……フィーネ殿は過保護ですな。ですが、何故、あいつは突然、旅に?」
「……母親が亡くなったらしい」
フィーネとアルベルトは目を大きくする。
「……そうですか。それで……あいつがあそこに留まっている理由も……」
「やはり探してくる」
「待て待て……フィーネ。あ奴は我らの弟子でもある。それを見守ってやるのも師としての役割であろう」
「……」
アルベルトは真剣な眼差しで上空を見つめた。
「あいつの息子が世に出るか……。あいつは終ぞ、世にその名を轟かすことを嫌った。我らは大戦後、4英雄としてその名を世界に綴られたが……あいつはその名を歴史に刻むことはなかった……」
「……そうじゃのう。真の英雄の名は……知られることもなく、か。まあ、あの者らしいの。じゃが、その血筋は絶えてはおらん、そして、その才能もな」
「はい……さすがは、あいつの息子です。獅子の子は、まさしく獅子でした」
「何を言う、我から言わせれば、まだまだ子供だ」
「お主から見れば……全部そうじゃろうが。まあ、とりあえず皆には伝えておこうと思っての。愛弟子の状況ぐらいは知っておきたいじゃろう?」
イライラした感じのフィーネに、どこか期待を含んだ目をしているアルベルト。
その二人の姿を見て悪戯好きな子供のように笑いつつ、ミロシュラフはそれぞれの顔の反応を楽しんだ。
「フフフ、用件はこれだけじゃが、これはどうしてもお主らの顔を見ながら伝えたかったのじゃ。ははは……そうじゃ、我らは4英雄と大層な名を冠したが……それ故、素の自分を出すことが難しい。だからの、今のお主らの顔を見たかったのじゃ、懐かしいのう……」
20年前……魔族の侵攻に始まり起きたオルガノ大陸全土を巻き込んだ大戦を終息に導いた英雄は四人。
大天位の称号を持つ大魔導士 ミロシュラフ・ハーバステン
精霊王との契約をしていると言われているエルフ フィーネ・ガラハウ
万夫不当と謳われた聖剣使い アルベルト・リュール
獣人族をまとめ上げた初代獣人王 イザック・ヴァイグール
現在も生ける伝説として存在しており、それぞれは各国家に身を寄せ、もしくは隠居し、いまだにその名声を大陸中に轟かせている。
そして……この四人は知っている。
歴史の影に隠れた五人目の英雄の名を。
その今は亡き五人目の英雄の息子が旅に出た。
生き残った四人の英雄たちの手ほどきを受けたその若者が、世に足を踏み出したことを、それぞれが、それぞれの想いで考えを巡らし座っている。
すると……
この英雄たちの中で最も長命で表情の最も乏しいはずのエルフが、しかめっ面になる。
「お前ら……感慨深いのは我とて同じだが、あいつに関して、一つだけ言っておくぞ……」
「何じゃ? フィーネ」
「あの子はな……必ず失敗する」
「何故です? 戦術、実戦は我々が徹底して叩き込みました。まだ未熟なところはあるでしょうが、その実力は大陸でも指折りの……」
「……戦いについてのことではない、アルベルト」
「うん? では、何じゃ……?」
アルベルトだけではなくミロシュラフも眉を顰める。
二人の視線を受けるとフィーネは彫刻の女神ように美しい顔を深刻なものにし、眉間を険しくして目を閉ざした。
すると、その目が……カッと開いた。
「女子だ! 我らが弟子のあの大うつけは女で失敗するぞ……間違いなく!」
フィーネが拳を作りテーブルを叩く。
このエルフのことを知っている人間であれば、このような発言と振る舞いをすることは誰にも想像できないだろう。
だが……フィーネの言葉を聞いた英雄二人は、
「……う!」
「あ……!」
と、声を漏らし……
そしてその二人の表情はというと……、
「ああ……そうだった!」
というものだった。
ミロシュラフ、アルベルト、そして、フィーネという三人の英雄は、半目で互いを見つめ合うと……無言でお茶を啜った。
「場合によっては……連れも戻そうかの……? 素性がバレたら、わしらも恥かくし」
「……」
「……」
そのミロシュラフの独り言のような呟きに……反応する者はいなかった。