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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

生贄と先生

作者: カオル
掲載日:2017/02/09

「先生、見て。」


女が指差す先には青く小さな花が一輪だけ咲いている。


「うん、綺麗だね。」

「先生、私、、、」

「分かってるよ。大丈夫。」


先生と呼ばれた男が優しく笑い、女の頭を撫でてやる。

女は満足そうにため息を吐き出した。




月が満ちるまであと10日。

拾い集めた貝殻も1つ1つと減っていき、もう10しか残っていない。手のひらに収まるほどの美しい二枚貝だ。

徐々に体積を増していく月を見上げながら崖の下の海へ貝を投げ入れるのは、女の役目だった。


「水神様は、名前の通り水を司る神様だから、海に由縁のあるものは喜ばれるんだよ。」

「だから、貝をあげるの?」

「そうだよ。水神様が待っていらっしゃるから、毎日欠かしちゃいけない。」

「貝は元々、海のものなのに。」


女は毎日欠かすことなく繰り返す。来る日も来る日も同じ事を繰り返す。

崖の上からは海まで遠すぎて、何処まで届いたのかは見届けられない。


「水は、あらゆる生き物が必要とするものだ。動物も植物も水がなければ生きてはいけない。知ってる?私たちの身体の六割は水で出来ているんだ。」


村では水神様を大切に祀る。雨は天の恵みで、日照りは天からの罰だ。

水神様への忠誠の証に100年に一度、村で選んだ娘を水神様に捧げる。供物として選ばれた娘は、生まれてからずっと村とは隔絶された場所で月が満ちるその日まで大切に大切に育てられる。

その日にほど近くなると娘に水神様のことを教えるための人が村から送られる。

月が満ちるまで、2人で水神様を想い、娘は身を捧げる準備をするのだ。

これが、この村の伝統だった。




「水神様は、何色がお好きかしら?やっぱり青なのかしら。」

「さて、残念ながら、水神様の嗜好までは僕には分からないな。」

「そうなの?青がお好きなら、あの一輪の花を手折ってお土産にするのも悪くないかしら?きっと、海には花なんて咲かないもの。」

「とても良い考えだと思うよ。水神様は必ず喜んでくださる。必ずだ。」

「先生は、花は好き?」

「好きだよ。」

「何色が好き?」

「、、水色。」


それは、女の瞳の色だ。

いつでも真っ直ぐ男を見つめる女の瞳の色。

希望に満ち溢れたキラキラした瞳ではないが、思慮深く彼方を見つめる穏やかな瞳。


「先生、手を。」


差し出された手を躊躇うことなくそっと握る。

女は美しく、綺麗に笑う。

その顔に、空いた手を優しく滑らせると女の笑みが深まった。


「帰りましょ、先生。」


なんて穏やかなで、苛酷な日々か。

なんて美しく、残酷な日々か。


「先生、明日は山に行って花を探しましょ。」

「構わないけど、無茶はしないように。」

「それ、1日何度言えば気がすむの?」

「さあ、多分、何度言ったところで気がすむ日は来ないだろうな。」

「困ったわね。」

「全くだ。」


男が見つめる中、女が貝を放る。

女はそのまま膝をつき、両手を胸の前で合わせ、祈りを捧げる。男もそれに合わせて黙礼する。

想いは異なっても、願いはいつでも同じであった。それは、終ぞ明かされる事はなかったけれども。



残念ながら、次の日もその次の日も雨が降り、2人が山に行くことは叶わなかった。

雨が降った日は外には出ることができない。2人しかいないにしては大きな屋敷でこもって静かに過ごす。1日の大半は水神様に祈りを捧げ、ほんの少し会話をして屋敷中の掃除に精を出す。次にこの屋敷が使われるのは100年後だ。大切に、綺麗な状態で使わなければならない。

掃除と言っても、物は殆ど存在しない。女が生まれてからずっと暮らしているとは思えないほど、屋敷には生活感がなかった。水神様を祀る大きな祭壇と、女の衣服、それに眠るための布団。大雑把に言えば屋敷にはそれしかない。

女は、村の子供たちが喜んでするような遊びも全く知らなければ、日々の退屈を紛らわす方法も知らない。水神様に想いを馳せ、水神様との生活を夢見ることだけが女の楽しみであった。


「海の中では雨は降らないでしょう?雨が草花を濡らして光るのも、もう見れない?」

「、、、海の中は、僕たちには想像もつかない素敵な景色に満ち溢れているよ。貴女はきっと幸せになれる。」

「先生、私今でも幸せよ?緑はとても美しいし、先生は優しいし、水神様も優しいわ。」

「そうだね。貴女の前ではどんな悪人も必ず優しくなる。この僕も含めて。」


男が自嘲気味に笑う。女は、男のそんな表情を初めて見た。抱き締めて、頭を撫でて、大丈夫だと囁きたくなる。

女は素直で純真で、躊躇いがない。思った通りに行動した。


「大丈夫よ、先生。先生もきっと幸せになれるわ。とてもとても優しいもの。先生が悪人だなんて可笑しな話だわ。」

「そんなことを言うのは貴女だけだな。僕は最初、貴女にとても冷たかったのに。」

「そんな事なかったわ。」


女が驚いたように男を見つめる。

女は人と関わったことがないから知らないだけだ。男は最初、女にとても冷たかった。話しかけることもせず、女が日々を過ごすのを黙って見つめるだけ。女に対して憎しみすら抱いていたのだ。


男は善人ではなかった。それどころか、世間では悪人とされている。村人を1人、殺めてしまった。理由など語る気も起きない。女を前にして思うのは、とても些細なことだったというだけだ。

男が女のもとに先生として送られたのも、処罰に困った村の住人たちによる厄介払いにすぎない。

村人の多くは贄の存在をしらない。知っているのは、一部の権力者だけだ。だから男は、罪を犯すまで女の存在を知らなかったし、ここに来た当初も、女に心を砕くことが出来なかった。自分をこんな所に追い込んだのはこの女だと逆恨みをした。


男は、村の権力者たちの下卑た笑いを思い出す。彼らは、あろうことか男に対して羨ましいとニヤニヤ笑ったのだ。彼らは水神様の存在を鼻から信じていなかった。ただただ伝統に従っているだけ。贄には純潔が望まれるが、信じていないなら意味もない。広い屋敷に、何も知らない無垢な女がたった1人。あの下卑た笑いの意味も察せられる。

伝統に従って、何百年もの間彼らの先祖は欲望を贄に押し付けてきたのだ。


美しく、素直な女。男は、女の髪を撫で、水色の瞳を覗き込み、安堵の息を吐く。自分は悪人だけど、目の前の綺麗な女は守れた。世の中を何も知らない優しい女だ。


「僕は貴女に優しかっただろうか。」

「ええ、とても。離れがたくなるくらいに。」


女が男の胸に顔を埋め、両手を背に回す。

男の手はいつでも優しく、そして髪をそっと撫でるだけだ。

女はそれで満足だし、胸には希望も絶望も存在しない。毎日幸せに満ちていると信じている。


たとえ、残った貝が残り1つであったとしても。




その日はいつもと何ら変わることなく、空は晴れわたり、清浄な空気に満ちていた。

女はいつも通り祈りを捧げていたし、男はそれをずっと見つめていた。

貝はもうない。今夜は欠けのない丸い月が昇るだろう。今夜起こることは誰の記憶にも残らないし、次の日はほんの少しだけ欠けた月が夜空に昇る。そして再び月は満ちていく。


女が差し出す手に男が躊躇うことはない。手をしっかり握ると女の小さすぎる足をひと撫でし、慎重に抱え上げた。女は嬉しそうに男の首に手をまわす。

女の足には赤子が履くほど小さな靴がはまっている。その靴が地面を踏みしめたことは一度もない。不便だと思ったことはない。いつでも男が優しく運んでくれた。

日々繰り返してきたように、男の足が崖に向かう。女の手に貝は握られていない。雲ひとつない夜空に丸い月が煌々と輝く。

女は月を見上げる振りをして、そっと男を見つめる。その顔はひどく苦痛に満ちていて、女にはその理由がわからない。女は今夜、貝のようにその身を崖から投げ出すのだ。水神様に会うために。


「先生、私、やっと水神様に会えるのよ。こんな幸せな夜はないわ。」

「その代わり、僕と二度と会うことはなくなる。」

「でも、見てるわ。先生のこと。海の中から、ずっと。」

「僕からは見えないだろう。」

「先生はきっと誰よりも幸せになるわ。絶対よ。」


男が女を地面に降ろし、女は膝をついて海を見つめて祈りを捧げる。

女が男の方を振り返る。女が一歩膝を進めればその身は真っ逆さまに海に落ちていくだろう。


「貴女は分かっていない。」

「何を?」

「あらゆることを。」

「だって、必要ないもの。」


その言葉に顔を歪めたのは男の方で、女はただ静かに海を見つめるだけ。女は最初から、この身が水神様に捧げるためだけに存在することを知っている。それは悲しむことでも喜ぶことでもなくて、単に当たり前のことだ。

男は唇を強く噛みしめる。悔しくて悔しくて仕方がなかった。


「水神様なんて、いないよ。」

「え、なに?」

「貴女は、伝統と欲深い奴らの犠牲になっているだけだ。水神様なんて、本当は存在しない。」

「そんなはず、、、ない。だって、私は、今日水神様に会うために、、、」

「今日ここから落ちても水神様には会えない。貴女の命が儚くなるだけだ。」

「でも、だって、生まれてからずっと、私は水神様のために、お祈りもしたし、貝だってあげたわ。」

「それでも、水神様はいないんだ。」


女が両手で自分の顔を覆う。

男はそのすぐそばに膝をついた。


「水神様が、いない、、?」


呻くように呟く女の両手を優しく顔から引き剥がす。男は今にも泣き出しそうな女の顔をすぐそばから覗き込んだ。


「僕が信じられない?」


その言葉に、女が驚いたように首をふる。それでも、泣き出しそうな顔は変わらない。


「先生のことは、全部、信じてる。でも、、じゃあ、、私は、今まで、、、、何のために生きていたの?」


男がはっとしたように目を見開く。次いで現れたのは恐怖と後悔。


「それが役目だと、そのために生きるのだと、教えられたわ。私、先生のことは信じているのよ。」


女の水色の瞳が潤み、真っ直ぐに男を見つめる。真摯に、そこには何の疑いも読み取れない。

男はそっと女を抱き寄せる。後悔なんて、どうしようもない。それでも、男は何度だって告げるだろう。


「水神様なんて、存在しない。」


女が生きるのを見届けたい。


「だから、貴女には生きて欲しい。出来るなら、僕の隣で。」


女の瞳が雫が零れ落ちる。一度溢れたそれは、止め処なく流れ落ちる。


「先生、私、水神様に会うよりも、ずっと、先生の側を離れたくなくて。でも、そんなの許されないし、きっと先生も迷惑だと、」

「そんなはずないだろう?僕の方が、それを望んでいる。貴女よりずっと。」

「先生、私、先生の側にいたい。ずっと。」


女がその望みを告げるのにどれほど勇気がいるのか。男はきっと一生かけても分からないだろう。

しかし、その瞬間、互いの願いは叶ったのだ。




女の足が地を踏むことはない。

だから、男が女を背に乗せて山道を下る。

丸い月が2人を見つめている。

女の軽やかな重みが男には愛おしい。きっと、互いに一生、この晩のことを忘れることはないのだろう。

女は薄れいく意識の中でふと呟く。険しい山道を見つめる男には聞こえないか細い声で。


「でもね、先生。私、本当は水神様に会ったことあるのよ。」






その後の二人の行く末を知る者は存在しない。

そして、水神の加護を失ったその村の行く末を知る者もまた存在しない。

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