重なる影を探した日
透理って、年上好き?なんて聞かれたのは数日前のことだけれど、別にそういうわけではないはずだ。
最近は年下もいいな、とは思う。
例えばほら、少しサイズの大きいセーラー服を着て、俺を見つけるとトコトコとこちらを向かって来るあの子とか。
「チビちゃーん」
「誰がチビですか、誰が」
形のいい眉を顰めて俺を見るチビちゃん。
チビちゃんはよくこの公園に来る。
学校帰りとか、休みの日とか、まちまちだけれど、何故か公園に入り浸っている中学生だ。
もっと遊びに行くところ、あるんじゃねぇのかな。
今日は学校帰りらしく、大きめのリュックサックを背負ったチビちゃん。
少し長めの前髪を左に流していて、後ろ髪は一本にまとめられ、細身の眼鏡をかけているチビちゃんは、酷く野暮ったい印象を与える。
制服も一切着崩さずに、膝もしっかりとスカートで隠されていた。
「うーん、俺からしたらチビだよ?」
「……男女差舐めないでもらえますかね」
はぁ、と溜息を吐いたチビちゃんは、三人掛けのベンチの右端に座った。
俺は左端で、人間一人分の空間が俺達の間にある。
それを詰めることはせずに、俺はチビちゃんに話し掛け続けた。
学校はどうだった?普通です、何で公園に来たの?何となくです、とか他愛もない話。
律儀に答えてくれるチビちゃんは、公園で遊ぶ子供達に視線を向けていた。
愛おしそうに頬を緩めるでも、眩しそうに目を細めるでもなく、ただ無表情にぼんやりと。
「……チビちゃん、チビちゃんって呼ばれるの嫌?」
その目を俺に向けさせたくて、俺は体を少しだけチビちゃんの方に向けて、顔を覗き込むようにしながら問い掛けた。
すると、体を揺らしたチビちゃんは、ゆっくりと俺の方に首だけ向ける。
眼鏡の奥の目は、どちらかというと茶色っぽい。
それでいて光の少ない死にかけな感じ。
その目が俺に向けられて、パチ、パチ、と瞬きを数回した。
何で、とでも言いたげな顔だ。
「……私を犬か何かだと思っている訳じゃなければ、それでもいいですけど」
ぶはっ、吹き出した瞬間に、チビちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。
その上少しだけ体を俺から遠ざける。
ちょっと傷付くけど、笑いが止まらない。
犬って、犬って……。
ふわふわと風に遊ばれているチビちゃんの髪の毛は、生まれ付きの癖っ毛らしく、くりくりふわふわしていて犬みたいだけど。
目も大きめの二重だから愛玩っぽいけど。
自分で言うかなぁ、そんな卑屈なこと。
何笑ってんだよ、みたいに顔を歪めるチビちゃんの頭に手を伸ばして、髪を結ってあるのも気にせずに撫でる。
くちゃくちゃにすると、ちょっと……なんて抗議の声が聞こえたけれど、俺は笑い続けた。
***
『透理』
俺を呼ぶ声。
低くもなくて高くもない。
決して媚びない声。
初恋は小学校四年生の頃で、相手は五つも上の高校一年生の同じアパートに住んでた人。
変な笑い方とごちゃごちゃの口調が印象的で、容姿だって悪くなかった。
あの人が俺を呼ぶのが凄く嬉しくて、同時に凄く擽ったかったのを思い出す。
その頃の家の事情はあんまり良くなくて、その人のところが俺の居場所で逃げ道だった。
好きになったりするのは当然ってか、子供らしく酷く単純な思考回路だと思う。
チビちゃんは何となくその人に似てる。
その人は今あのアパートにはいないけれど、たまに連絡取ったりはしてるけど。
チビちゃんを見た時に、あっ、と思ったんだ。
何でだろうなぁ、なんて考えてみても分からなかったけれど。
俺の名前を呼んでくれた声は、すぐ傍にあったはずなのに、なくなっていて、それが凄く悲しいことな気がした。
チビちゃんは俺の名前を知らないから、そんな風に呼んではくれないけれど、似たような感覚で「お兄さん」と呼んでくれる。
俺が年上だからそう呼んでいるだけだろうけれど、そんな些細なことが俺は嬉しい。
見た目とかは似てないんだけどなぁ。
ただ、声が少し似てる気がする。
並べて二人で発声してくれないと、絶対なんて言い切れはしないけれど。
俺の心を揺さぶっているのには、変わりない。
***
懐かしのあの人を思い出していると「お兄さん?」とチビちゃんが声を掛けてくる。
至近距離で目が合って、まつ毛が長いことに気付く。
こんな至近距離で見るのは初めてかもな。
怪訝そうな顔をしているチビちゃんに、デコピンを一つ。
「いっ……」
「ひゃはは、ごめんごめん」
額を押さえたチビちゃん。
基本的に無表情だけれど、こういう時に一瞬崩れて年相応になる。
そういうところ、好きなんだよなぁ。
「相変わらず、見た目に似合わない笑い方ですね」
前髪を上げて額を指先で撫でるチビちゃんを見ながら、俺はそうかぁ?なんて首を傾げる。
あの人から移った笑い方は、今も昔も変わらずに健在らしい。
俺としてはあまり気にしてないが、周りからよく言われるので、やっぱり変なんだろうな。
俺の微妙な雰囲気の変化を、いち早く読み取ったチビちゃんは「別に変じゃないですよ」とフォローをくれた。
本当、中学生なのかよ。
大人びたその態度は、俺が中学の時とは違っていた。
俺の中学時代は、髪を脱色してから綺麗に金髪に染めたりしていたのに。
ちなみに今も名残で金髪のままだ。
きっとあの人が悪くない、と言っていたせいだ。
勿論最初は戻せと怒られたが。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
すくっ、と立ち上がったチビちゃんのスカートが翻る。
丁寧にお尻を払う辺り女の子だなぁと思う。
素直にここでいつも通り、またな、と手を振ればいいのに、数日前の変な質問が俺の中に残っているのか、俺はチビちゃんの腕を掴んでいた。
ヤバ、細。
元々色も白いし、存在感も希薄だし、細くて小さいのも分かってたけど、触ってみたら予想以上だった。
何か悪いことをしてるみたいな気分になって、意味もない罪悪感が生まれ出す。
チビちゃんは不思議そうな首を傾けて――相変わらず無表情だけど――俺を見ていた。
なって言えばいいんだろう。
手を離してやり直せばいいのか。
それとも笑って誤魔化すのか。
口を開いて閉じてを繰り返す俺を見て、先に声を発したのはチビちゃんだった。
あの人よりは若いからか少し高めの声。
だけどあの人よりうまく感情が乗り切らない声。
あの人と同じような媚びない声。
「作ちゃんでもいいですよ。そう、呼ばれてますから」
俺に掴まれていない方の手が伸びて来る。
くしゃり、不器用に撫でられると、俺の方が年下みたいじゃないか。
口元に笑みを浮かべるチビちゃんは、チビちゃんって呼ぶのが失礼なくらい大人びている。
年下にこんな顔させるのかよ、俺。
「ヒャハハッ」
「……?」
「じゃあ、作ちゃん。またな」
突然笑い出した俺に、瞬きをしたチビちゃんこと作ちゃんの腕を離して、俺はいつも通りに手を振った。
年の差を気にしてか、頭を下げて立ち去るチビちゃんは、やっぱりチビちゃんだ。
作ちゃんなんて呼ぶのは今回の一回だけ。
俺とあの人の関係もあれだけど、俺とチビちゃんの関係も名前もない宙ぶらりんだ。
年上年下どころの話じゃねぇよ。
ひゃはっ、夕日色に染まる公園で俺は一人笑った。




