図書館のお仕事?
第七話
ーー学術図書館で仕事を始めてからおよそ四時間。俺は異様な疲労感に襲われていた。
仕事が特段きついというわけではない。いや、正確には体力的にはきついとは言わない。問題は精神的なあれが色々と削れる感じがする。
というのも、やる仕事がことごとく図書館とはまったく無縁な仕事ばかり。それも奇々怪々な動物の世話といったものが多い。図書館にはほとんど人が来ないし。やることといえば、先ほどの一メートルの巨大蟻の観察記録付けであったり。動物たちへの餌やりであったり。動物の毛繕いであったり。
そして仕事をしていくごとに、騒動が付き纏った。
「ミラルドさん! 北向きの壁が半分なくなってます!」
「その子は雑食なのじゃよ」
たとえば超雑食である巨大蟻が壁を食い散らかして脱走しかけたり。
「ミラルドさん! 水槽が爆ぜました!」
「その子たちはシャイでの。見知らぬ人を見ると照れてしまうんじゃ」
急に水槽の中で泳いでいた河豚らしき魚が爆発してびしょ濡れになったり。
「ミラルドさん! すごいやばいです! というかなんか絡み方がねちっこくて嫌です!」
「ホホホ、その子はかわいい女の子が好きでのぉ」
「僕は男です!」
夜行性動物を隔離している部屋から謎の触手が伸びてきて、急に俺を拘束して補食されかけそうになったり。
とにかく、精神的に疲れた。面白いぐらいにハプニングが起こり、そして俺が例外なく巻き込まれていく。幸い、命の危機を微妙に感じたときはミラルドさんが守ってくれたものの、ならば最初からこんなハプニングらだけの空間を作り出すなという話だ。
もちろん、奇想天外動物園を作ったのにも理由がある。どうやら生物学の権威らしい。珍しい動物を発見・研究しては図鑑を書いているのだとか。ここ最近は新種の発見が多くなり、次から次へと研究の仕事に首を突っ込んでいった結果、やることが多過ぎて回らなくなり、今回お手伝いーーというよりは、助手を雇ったらしい。
ちなみに俺は助手三人目で、最初の一人目は怪我によりリタイア。二人目はストレスにより逃避行したのだとか。そりゃそうだ。こんなことが連続していれば怪我もするだろうし、ストレスでぶっ倒れそうになる。
だが、内心うだうだと文句を漏らしながらも、とりあえずは最低限の仕事はこなしてきた。ジャッキーさんの期待も背負ってこの場にいるわけであるし、個人的に今やっていることを投げ出すのは苦手だ。
扱っている生物はともかく、やっていることはペットの世話のようなもの。作業内容自体は難しいことはなく、単純で子供でもできるものばかり。俺が珍しく読み書きができる子供なので、そのスキルに合わせて書き物の仕事もある。すこし大変なことといえばそれぐらいだ。
怪我するかどうかは自己管理の領域だとも言えるし。結局は自分がハプニングに対して安全に対処できるかが重要になってくる。こういった場面こそ魔法の出番だろう。
動物相手に何かをするときは、〈リンガー〉の魔法を使うようにしてみた。〈リンガー〉は土属性の初歩魔法で、動物の持つ感情を大まかに感じとることができる。これを発展させた魔法である風属性の〈バイリンガー〉なら、動物の詳細な言葉や気持ちも理解することができるらしい。〈リンガー〉ではあくまで「喜んでいる」とか「悲しんでいる」程度のことしかわからないが、これが意外と役に立つ。
要は機嫌が悪い相手には慎重に対応すれば、ハプニングの種は減らせるわけで。こうして俺なりに仕事に従事していると、ミラルドさんから「休憩に入ろうかの」と言われて、やっと一息付く。
「……疲れた、です」
「ホホ、子供なのにうまくやったではないかね。優秀な助手を頂いたものだ」
「毎日こんな感じなんですか……?」
「今日は特段騒がしいが、あまり変わらん」
慣れるまで時間がかかりそうだ。丁度昼食の時間が近かったので、ミラルドさんからランチのパンとスープをいただく。スープは先ほど爆発していた河豚らしき魚を煮込んだものである。すこし刺激のある味がした、気がする。
ランチを食べ終えて、ミラルドさんと一緒に座りながら休む。それとなく時間がすこし空いたので、話を交えておく。
「ミラルドさんとジャッキーさんは、どういったお知り合いで?」
「ジャッキーのひいじいさんと知り合いなんだ。昔はあいつに魔法を教えたこともある」
「そうなんですか」
見た目からして、ガチガチのファイタータイプで、魔法とかそういうのは苦手だと勝手にイメージが浮かぶが。
「じゃが、あいつは魔法に関してはてんで駄目だった。その代わり、妙に喧嘩が強かったのぉ」
やっぱりそういうタイプだったのね。やはり生っ粋のファイタータイプなのだろうか。ジャッキーさんの若い頃にも興味はあるが、個人的にはミラルドさんの年齢が気になってくる。ひいじいさんの代から生きているとなると八十代は超えていそうだが。その割には元気だ。
そんな話をしていると、ミラルドさんがふと思い出したように立ち上がって、手招きをしてくる。
「そうだそうだ思い出した。ミハイル君に任せたい大事な仕事が残っておった。ちょっとこっちへ」
「? はい」
そういってミラルドさんは図書館の一番奥へと案内していく。さて今度は何が飛び出して来るか。巨大蟻に爆発河豚、謎の触手と来て、次は大物なドラゴンあたりだろうか。
何が怖いかというと、こんな冗談っぽい発言が本当になる可能性があることである。
しかし一番奥の扉が開かれると、すこし予想外な光景があった。
背の低い、小さめな本棚がいくつか。その本棚の中には、埃が被っている古びた本がいくつか眠っている。
そうだ。予想外などと言ってしまったが、ここは図書館だ。忘れかけていたが、本来は静かに本を読む場所である。決してへんてこ動物と触れ合う場所ではない。今までが異常だったのだ。
一番奥の部屋の中には、それなりの数の本が並べられており、舞い上がる埃とほんのすこしだけのかび臭さが鼻をヒクヒクさせる。
「ミハイル君には、この図書館で働いている間、この『秘蔵書館』の管理をお願いしたいのだよ。主に掃除と、本の整理になるかの」
「管理、ですか」
「見ての通り、しばらくほったらかしで、誰も手を付けたがらないものでな。ここは借り出すことができない、まぁすこしだけ希少価値がある本が仕舞われる場所なんだ。代わりといってはなんじゃが、ここの本は好きに読んでいい。それが契約内容じゃからな」
「なるほど」
契約というと、ジャッキーさんと約束していたのだろうか。それは存ぜぬ領域ではあるが、やっと落ち着いてできる仕事に安堵している俺もいるし、希少価値がある本と聞いてすこし興味が湧いている俺もいる。
この本の数の整理と、この部屋全体の掃除となるとすこし時間はかかりそうだが、少なくとも謎の生物に食べかけられるよりは数十倍マシだ。
「ある程度掃除したら今日の仕事は終わりということで。あ、早めに終わったら休憩に入ってくれて構わんよ。まぁここの本でも読んでいればいいだろうて」
「かしこまりました」
そういい残してミラルドさんは、ゆっくりと出ていって、生物学研究室の方へと歩いていく。
部屋の隅にはくもの巣が張っているモップと雑巾とバケツ。本に積もっている埃の量を見るに、まず本の掃除から始めていかないとキリがないだろう。
紙への日焼け防止のためか、本棚から離れた場所にある本当に小さな小窓を開けて換気。乾いた雑巾を持って、適当に一冊の本を取り出して埃を払っていく。
表紙には「魔法歴史の推移」と書かれている。そういえばアリアが言っていた。魔法学はここ最近、やっと全国的に広まってきたばかりで、昔は一部上流階級がたしなむものだと決めつけられていた。
そのため、昔の魔法学に関する本は貴重で、基本高値で取引されていると。
「……ん? だとすると」
本棚の列の隣の本の表紙を除いてみる。それには「魔法学の偉人伝」と書かれていた。その隣は「水属性魔法の多角的研究~聖職者と呼ばれる真意~」という本。さらにその隣は「土属性を極める」という本。
ぱっと見るに、ここにある本はほとんど魔法学に関する本だと思われる。それももちろん、アリアでも知らないような珍しいものばかりだ。基本は上級者向けな内容が揃っているが、中には魔法初心者が読みやすいように書かれている教練本も。
そういえば、先ほどミラルドさんは「本を好きに読ませるのも契約内容」だと漏らしていた気がするが。もしかして、これはジャッキーさんたちの俺への気遣いか何かなのか。
(……いや、まぁ多分考えすぎだろう。あの人たちがそこまでする理由もないし)
一瞬そう思いかけたが、自分の中で偶然と片付ける。しかし本来なら普通の人が読めないはずの本も読めるというのは、思った以上のアドバンテージだ。これから長期的にここへは通うことになるだろうし、魔法の勉強にここまで最適な環境もない。
思考がすっかり「魔法の勉強優先」となりつつある自分にすこし驚いてはいるが、これに充実感を感じているので、いい傾向だとは思う。ここで勉強ができるということは、これからここを掃除するのは、自分の勉強部屋をルームメイクしていくわけで。
そう考えると、やっと仕事に対するやる気のアクセルも回りはじめてきた。集中して、作業に取り組むとする。
前世の俺は面倒くさがりで、部屋の掃除もほったらかしであったが、あくまでやる気がないだけで、やる気が一度出来上がって来ると、どうも作業に集中して回りが見えなくなる質だと言われたことがある。
今回もそのケースのようで、本を持っては埃を拭き取り、並べる。拭き取り、並べる。その作業を繰り返していくと、いつのまにかさらに四時間が経過。
気がつけばもう終業時間になっており、ジャッキーさんが迎えに来たところで初めての仕事は終了となった。
忘れかけてはいたが、これは一応お仕事をちゃんとできるかのテストである。気になるミラルドさんの評価はというとーー
「文句なし合格。いやぁ、やっとまともに動物を相手にできる助手をもらえて何よりじゃい」
「評価基準そこなんですね……」
「とりあえず、これでミハイルも晴れて、正式にエルーレの仲間入りだな」
好評をいただいて、晴れてテストも合格。孤児院の一員として暮らすこととなった。動物の世話に関してだけはどれだけ時間をかけても慣れそうにはないが、頑張ってみようとは思う。主に痛い目を見ないように。加えて、主に動物に食べられたりしないように。
「触手に絡まれないように、見た目をすこし男っぽくしてくることじゃな」
「……そんなに男っぽくないですか?」
「すまんが、俺も最初は気づくのに時間がかかったな」
「さいですか……」
もしかしたら、村の人も俺のことを女の子だと思っていたりするのだろうか。いや、さすがにないとは思いたいが、声も声変わりする前の高い声域なので、はっきりとそう言えないのがなんとも。
今度は触手プレイされないよう、髪を短くまとめてこようと決意。そんなやり取りを交わしつつ、俺とジャッキーさんはミラルドさんと別れて、馬車で村へと戻っていく。
ジャッキーさんが買ってくれた肉まんのようなお菓子を馬車の中でつまみつつ、スクリットの町周辺の景色を眺めていく。透き通るほどに綺麗な夕焼け。その夕焼けの光に照らされる、野生の白い花畑。
この地方の夏はアムブリエルの月の翌月。地球では六月に値するムリエルの月から、長い夏季が始まると聞いている。スクリットの町の象徴である白い花のホワイトサンブレスは、夏季が始まる合図だという。
ホワイトサンブレスの花畑を馬車で進みながら、ジャッキーさんがそれとなく口を開く。
「仕事はどうだった? やっていけそうか、色々と」
成人したての息子の父親みたいなことを言っている。
「色々と」という部分に含みを感じたが、素直な返答をしておこう。
「退屈は、しなさそうかな」
季節は、初夏へと突入しようとしていた。