良い子の魔法練習
◇ ◆ ◇
アムブリエルの月、水曜日の早朝。
アムブリエルの月は、地球でいう五月に相当する。この世界の暦も、一月から十二月のサイクルを繰り返す方式になっている。
いつもは散歩に出かけている朝の時間。その時間を利用し、現在アリアと俺とで、村から少し外れた人気のない場所に居る。
目的は、アリアから魔法の教習を受けるため。どうせ勉強をしたのなら、実技で試してみたいのが人の常である。
「まだ難しいとは思うけどー」とアリアも少しためらいがちではあったが、俺が珍しく自分から興味を持った事柄をむやみに否定するのも気が引けたのか、こうして付き合ってもらうこととなった。
「体の成長に伴って魔力量も資質の限界まで増加していくので、本来なら三歳の子への魔法の使用はオススメできないのだけど。今日教えるのは基本中の基本である土属性の初歩魔法だから、体の負担は大丈夫だとは思うわ」
成長に伴い、人間の体という魔力タンクは大きくなって行く。魔力が空になるまで魔法を使うと、体に不調が出てくるということで、今回は三歳の俺でも負担になりにくい魔法を練習していく。
魔法を操る際に用いる指輪や杖といった道具ーー魔法具は、体内に存在する魔力を効率的に運用するための潤滑油のようなもので、必須の道具ではない。魔法の練習をする初心者は、魔力の体内運用を体で覚えるために必ず道具なしから練習を重ねる。
よって今の俺もハンドフリーの状態だ。一応安全を考えて、何があってもいいように厚着をして怪我には備えているが。アリアは微妙に過保護な気がする。
「今回練習する魔法は土属性の〈テラ・フォーム〉という呪文よ。地面にある土を集めて球体にする呪文。これを十秒以内で綺麗な形の泥団子ができたら、ひとまず合格ってところね」
「泥団子?」
「そう、泥団子。一定量の土に魔力を循環させて操る。基礎中の基礎ってこと」
自然の要素に自身の魔力を循環させる。そして手中におさめた土や水、風をイメージ通りに操る。大部分の魔法はこの操作を応用したものらしい。土を球体にすることができれば、水を球体にも、風を球体にもすることができるということらしい。操る対象が変わっているだけと聞くと、何となく理解はできる。
泥団子を作る魔法ということで、エンハイの攻撃魔法である〈テラ・フォール〉という泥の弾を数個射出する魔法を思い出す。おそらくはそれも、この〈テラ・フォーム〉という魔法を発展させたものだということだろう。
「それじゃあお手本を見せるわね」と、アリアが指輪を外して地面に触れる。
「『ヌール・テラ・エンジェ〈テラ・フォーム〉』」
すると五秒も経たない内に、地面にある柔らかい土がアリアの手元に集まりだし、それらが生き物のようにもこもこと動き出す。そしてアリアが手を横切らせると、そのまま球体の形を成し、土のボールが、手に触れぬまま完成に至る。
「さらにここから工夫すると。『アインス・アクア・エンジェ〈ストレイ・ウォーター〉』」
今度は水属性の魔法が詠唱される。すると綺麗な球体を形どっていた土のボールから、小さな水の球体が分離する。そして残された土のボールはカサカサの砂に変わって、そのまま風に流れていく。
「今のは、一定の質量の物体から水分を分離させる魔法。こういった感じに、魔法ひとつひとつは役立たずなものなんてないの。ひとつの魔法でいろいろな方法で応用が効くから。大事なのは確固たるイメージ」
「先生みたいだね」
「全部、魔法学の先生の言葉を丸々真似たものだからねぇ」
たはは、とおどけた笑顔をこぼすアリア。先生の言葉を覚えているということは、魔法学が好きなのか、先生がお気に入りなのか。水属性の魔法が使えているので、一般人の中ではまぁまぁ優秀な部類だと推測もできる。
見本は一通り観察できたので、次はそれを実践する番だ。
魔法とは正しい詠唱と、頭に浮かべる強いイメージが大事になる。
魔法の詠唱は一定のルールが決められている。たとえば今回の『ヌール・テラ・エンジェ〈テラ・フォーム〉』。この場合、詠唱の頭に来る、決められた文句が必要になる。
詠唱の頭は、属性によって決められている。
土属性は『ヌール・テラ・エンジェ』。
水属性は『アインス・アクア・エンジェ』。
風属性は『ツヴァイ・エア・エンジェ』。
火属性は『ドライ・イグニス・エンジェ』。
一番目のワードは組み合わせられる属性の数。二番目のワードは属性の名前。そして三番目のワードは世界を形作る神の使いへの賛美を表す。
そして具体的に使用される魔法の名前を最後に加える。しかしいくら詠唱が綺麗であっても、何回も経験することによってできる、魔法へのイメージが重要となる。
魔法の発動の仕方や、エレメントーー土や風といった自然の物体ーーの動き方も、個人のイメージによって変化することがある。そのため、他の人とまったく同じように魔法が発動していくことはあまりない。
アリアのように、土が生き物のように動き土のボールを作るのも、アリアがそう強くイメージしているから。他の人は、土の中から生えるように土のボールが作られることもあれば、作られるボールが綺麗な球体でなく楕円形であるケースもある。イメージに左右されるとはそういうこと。
そのため、同じ魔法でも、人のイメージによってカスタマイズされ、十人十色な特色を見ることができる。それが面白いところだ。
なお、これは全てアリアからの(正確にはアリアの先生の)受け売りである。教科書にも書いてないようなことを嬉々として話してくれるので、よほど好きなのか。
閑話休題。
それでは早速、土のボールを作り出してみよう。
球体といっても様々だ。バスケットボールのように大きめなものもあれば、野球ボールのように片手で持てるものもある。ラグビーボールのように、綺麗な球体から外れることもある。俺はまず、球体と聞いて、最初に思いついたのが丸く膨らんだ風船だった。
風船のように、歪みがなく綺麗な丸をイメージしながら、地面に手を触れる。ひとつ深呼吸をして、目を錘って外の情報を一時的にシャットダウン。イメージ、強く確固たるイメージだ。
「『ヌール・テラ・エンジェ〈テラ・フォーム〉」
すると、地面の中がもごもごと動きだし、一定の時間が経過すると、中からひとつの小さな土のボールが出現。そしてそのボールは空気が入り込むように膨らみ、膨らみーーそのままあっけなく崩れる、いや、弾ける。
「惜しい! 多分イメージがはっきりしてなかったか、変なイメージが入ってきたのかなぁ」
「変なって、どんな?」
「魔法を使う時は、イメージをひとつに絞らないといけないんだ。でないと、複数のイメージがごっちゃになって、変なことになる。さっきみたいに、魔法が完成しなかったりとか」
アリアの指摘に合点がいった。ボールが弾けたのは、おそらく俺が『膨らんだ風船のような球体』をイメージしたからだろう。風船が弾けるイメージも余計にプラスされたからああなったわけだ。
原因が分かれば改善するのみ。今度は余計な要素は加えず、純粋な球体を思い浮かべる。地面の中から生まれる、ピカピカに磨かれた綺麗な泥団子。ただそれだけをイメージする。
呪文を詠唱。今度は指先を地面の中に埋めて、直接的に魔力を循環させるように。『魔力を循環させる』という感覚が未知数なので、あくまで手探りでの作業になる。
が、これがうまくいったのか、地面の中でもごもごと土が動いた後、地面からツルツルの表面を持つ泥団子が生まれる。サイズはおよそ、俺の握りこぶし大といったところ。
時間はおおよそ二十秒。表面を輝かせるための工程で時間を食ってしまっただろうか。昔、公園の遊具の下で作っていた泥団子を思い出したのがいけなかったか。
だがアリアは予想以上の結果に、真面目な顔で関心をしていた。
「簡単な魔法だけど、二回目で成功するなんて……今までこう、魔法の練習をしたことは?」
「ない」
「だよねぇ……体の疲れとかはある?」
軽く体を動かして、疲労感がないアピール。最初は息切れするものかと構えていたが、いざ試してみると意外と簡単で、かつ特に大変というわけでもなかった。
自慢になるが、もしかして魔法の才能があるのか、俺は。
「もしかしたらほんとに貴族の子かも。すごいよ、魔法の天才だ!」
子供は褒めて伸ばすタイプのアリア。おしげなく俺を褒めながら頭を撫でている。
前にもいったが、こう、近しいスキンシップに照れる。特に頭を撫でられる時には顔も近くなるので、実にこそばゆい。
何より気になるのはーー
(近いがな! 見えそうがな! リアルぽろり五秒前や!)
この村、特に孤児院は特段裕福というわけでもなく、この地方は一年中温暖な気候にあるため、住人の服装は通気制性の良好な植物元来の半袖服が好まれている。
そのため、原価の安い半袖の服をアリアが着ているわけで。薄い生地と少し控えめの布地量で、しゃがんでいる姿勢から胸の谷間がーー
(いかん、久しぶりに素が出た。平常心平常心)
童貞二十一年の元・岡崎翼。自分好みな美乳女子のぽろりしかけにおとなげなく食いつきかける。
幸運なのは、三歳時の体であるため、しゃがまれて頭を撫でられると、何をしなくても谷間が見えてしまうこと。故意で視線をくぎづけにしていたら白い目で見られるのはもちろんのことだ。良い子は絶対真似しないよう。
体の体温が熱くなってきた。アリアと面を向かい合っていると心の内でかつての俺が顔を出してきそうなので、それとなく顔をそらす。
たかが褒められた、それだけのことで妙な反応だと思う人もいるかもしれない。
(……純粋に人から褒められたのって、いつ頃だったかなぁ)
こうやって、自分の何かを褒められることなど、ほんとに昔の話だった気がする。
前世時代では、幼い頃に両親が離婚して母親の方に着いてゆき、片親で夜までの仕事である母親を家で一人待つ鍵っ子生活が続いた。そのせいか、母親と話した記憶が薄い。
人に褒められることなど、覚えているのは数えるぐらいだ。俺には特別な才能も、人に褒められるような成績もなかったから。
人から「君は特別だ」と認められることが、ここまでこそばゆく、心地良いものだったのか。
「どうしたの? やっぱり少し疲れた?」
ぼーっとしていた俺を覗き込むアリア。俺はまた少し考え込んでいたようだ。
この体になってから、どうにも感情表現が不得意になっている気がする。「なんでもない」と人並みな答えを返しておいて、魔法で作った泥団子を崩して片しておく。
「もっと、練習してみたいかも」
「練習って、魔法の?」
「うん」
気がついたときにはこう言っていた。
好奇心の所業か、暇つぶしの一環か。それとも、単純にやる気が出てきたのか。
俺は口にははっきりとは出さないものの、「もっと魔法を使ってみたい」と思っていた。
「よし! それじゃあ学校が始まるまで、あの教科書は貸したままにしておくね! 魔法の練習には私が先生として付き添うから。あ、でも魔法の練習をするときは、私の目が届くところですること。わかった?」
「わかった」
淡泊ながらもはっきりと返事をしておく。
もしかしたら、俺はただ単にアリアから褒められたいから魔法を練習するのかもしれない。
だが、それでもいいか。何もしないまま、自分の境遇にうんうん唸っているよりは。
こうして子供らしいきっかけで、俺は魔導師としての歩みを始めた。