良い子の魔法学習
孤児院に戻ると、すぐに朝食の用意ができていた。葉野菜の青臭い新鮮な香りと、焦げた肉の臭いが鼻につく。
孤児院とは言ったものの、今は俺とアリアだけで暮らしている。本来ならばアリアの他に孤児院の院長がひとりと、二人の孤児がいる。現在はその全員が、一ヶ月前から遠方へ出稼ぎに向かっているのだという。
アリアは留守番担当。いつもは隣町にある一般中等科学校に通っているのだが、春季の長期休みを利用してしばらく孤児院に身を置いているのだとか。
子供たちの世話をしているのは院長の仕事らしくーー
「家事はおじさんの仕事だから……! だから……!」
「真っ黒だね……」
家事の腕はまだまだ未熟。特に料理は苦手なようで、今回も昨日捕獲し精肉したミッドワイルダーを炭にしてしまったようだ。
詳しい話はよくわからないが、おそらく普段の様子を見るに、家事が必要になる場面では魔法を利用していたのだろう。一人暮らしをしていた俺から見ると微妙に段取りが悪いと感じる。
結局、取り急いで作ったミッドワイルダーのガラスープとサラダ、加えて主食のパンを食べることとなった。
申し訳なさそうに食事を進めているアリアを特に気にせず、もしゃもしゃとパンを食べていく。この子供の体では大きなメインディッシュがなくとも意外と満腹になれるのだ。
今の俺は孤児院に厄介になっている身分なので、大きく文句は言わない。あくまで一時的に保護されている扱いであり、院に入れるかは院長判断を待つばかりらしい。
変な遠慮は無用だとアリアは気を遣っていたが、精神年齢がアリアより年上な俺にはさすがにそこまで遠慮も捨てることはできないわけで。
「ミルトーシュならあるけど、食べる?」
「いい」
ミルトーシュとは、乾燥させたパンを水に漬けて保存したものを炙った料理だ。
地球にも同じような料理があったと記憶しているが、うろ覚えなのでノーコメント。少し遠慮しているのを察知したのか、アリアは少し困り眉を見せている。そこまで気にすることなのだろうか。
確かに、俺自身、自分の性格を気にする節はないとは言えない。
というのも、俺は普段早朝以外の時間で外に出ることはなく、アリア以外の人とはまったく話したことがないのだが、一度孤児院にパンと小麦を運んでくれる小麦屋のおじさんと鉢合わせしたことがあった。
これまたガタイが良く豪快な笑いをする典型的な田舎のおじさんだったが、そのじいさんから「ガキの癖に愛想がない」と言われてしまったのだ。
見た目はともかく、中身がひねくれたボッチ大学生であるので、愛想がないのはある意味当たり前と言うべきなのだが、一度指摘されると、人間としてはどうも気になってしまうもので。
どうもこの世界で生まれ変わってから、元来持っていたひねくれ根性が悪化している気がしてならない。悪夢を見つづけてストレスが貯まっているのだろうか。今の状況に閉塞感を抱いているのだろうか。
ともかく、今の状況から何か『変化』がないと心の根が腐ってしまう。そう思った俺は、今日の目標を設定してみた。
「アリアさん。申し訳ないのですが、ひとつお願いがーー」
「何っ!? なんでも聞くよ! あっ、できる範囲でならだけど」
てっきり苦い反応をされるかと身構えていたので、予想以上の食いつきぶりに少し意外性を感じた。だが冷静に振り返ってみると、自分から何かを頼むことは今回が初めてな気がする。
じっと引きこもっているよりかは、何かをしていれば見ている方も安心できるか。なるほど。
「魔法。魔法の教科書が読んでみたいんです」
「魔法って……魔導師の教科書? うーん、ミハイルの年齢だと内容わからないと思うけどー。わかった、昼は畑の方で仕事してるから、その間に貸すよ」
「ありがとうございます」
日本文化はお辞儀文化。軽く頭を下げて礼。
アリアの方は「いいのいいの気にしないで」といい笑顔で答えてくれた。体が小さいからか、アリアから頭を撫でられると少しだけホッとするような気がする。
「ミハイルだって、ほら、その、いろいろ大変だろうし……手伝えることがあったらなんでも言ってね。もう一度いうけど、遠慮はなしだよっ!」
アリアの「いろいろ大変」という言葉に、ふと気がつく。
そうだ。一応この世界の俺は、「両親に捨てられたばかりの可哀相な子供」ということになっていた。確かにこんな境遇の子相手には気を遣うわけで。
内心でごめんなさいとつぶやきつつ、食事を終えた。
俺の今日の目標は、魔法について基礎の基礎は勉強してみることだ。
決してすべてを理解することを目指すわけではない。俺としては、そもそも魔法とは一体なんなんだ、という大きな疑問を片付けておきたかっただけである。
ここが仮に、推論通り〈ANGEL HALO ONLINE〉によく似た、またはそのまんまの世界であるならば、ゲームユーザーとしては軽い気持ちで行使していた魔法についても、ある程度の知識は揃えておかないといけない。そう強く思ったからだ。
正直な話、例えば〈イグニス・スコール〉という、火の玉の雨を降らせる魔法が襲ってきたりしたらたまったもんじゃない。一度わけのわからないまま殺されている前世がある以上、そういった未知への知識を蓄えて危険に備えてもいいだろう。
大方は暇つぶしの一貫であるが、覚えていても損はないはず。何より最も未知である魔法について勉強すれば、少しはこの停滞した状況への打開策も思いつくかもしれない。
そんな希望的観測の上で、夕方にアリアが帰ってくるまで、ひたすら教科書を読み進めた結果、一応の理解はできた気がする。
読んだ本は『魔導師の教本 改訂版』というもので、これは中等学科にて必ず勉強する『魔法学』で使用されている教科書だという。
基礎の部分をたどたどしくではありながらも、アリアの魔法で作られた土製紙をノートにして簡素にまとめてみたので、振り返ってみよう。
まず、魔法を使う人間を人は「魔導師」と呼んでいる。
そして、その魔導師が使うこの世界の魔法は、四つの属性に分類されている。
魔法全ての基礎となる土属性。土属性から発展する水属性。攻撃的な魔法が多くなる風属性。戦闘魔導師ご用達である火属性。
これらの属性はそれぞれ深く密接している。属性それぞれが独立しているわけではなく、魔法を操る魔導師の経験やスキルによって、最初は土属性、その次は水属性、さらに次は風属性ーーと、段階式に魔法の属性が増えていくのだという。
魔導師は必ず最初に土属性を練習する。どれだけ優れた魔導師であっても、土属性の練習を疎かにすれば、水属性も風属性も操ることができない。土属性とは魔法を操る際に必ず通る第一の門。水属性、風属性、火属性は土属性を基礎に発展させたものだと言われている。
属性習得の難易度が上がる度、扱う属性もまた増加していく。土属性を一定以上習得すれば水属性を操れるようになる。しかしその次の風属性を操るためには、土属性だけでは不足。完全にコントロールするためには、土属性と水属性を組み合わさなければならないのだ。
つまりは、属性同士の足し算によって、属性は増えていく。
●土属性⇒水属性
●土属性+水属性=風属性
●土属性+水属性+風属性=火属性
図式に表すとこうなる。これを『属性の階層構造』と読んでいるらしい。
最も、魔法を専業に国家公務員として認められる専業魔導師は、属性全てを操ることができる時点が最低ライン。ここから優秀だと呼ばれるためには、先天資質によって決まる得意属性の魔法を極めるか、四属性を広く勉強し魔法のレパートリーを人一倍まで増やすことが必須条件だ。つまりは才能の領域となる。
専業魔導師として認められた人間は、国家から『貴族』として認められ、特権を与えられるのだとか。個人が持つ魔法の才能はもちろん、魔法を発動するために必要なエネルギーである『魔力』の体内保有量は遺伝によって大きく左右される。つまりは血統が重要になってくるわけだ。
そのため優秀な魔導師候補である、国立中央魔導師学園の生徒たちは99.9パーセント、貴族の家系出身だという。
もちろん貴族のみが魔法を使える、というわけでもないようだが、魔法が義務教育のカリキュラムに組み込まれたのがここ二十年の話らしく、今のおじいちゃん・おばあちゃん世代は魔法には無縁のよう。
貴族以外の人間は、土属性の魔法しか使えない人間が圧倒的多数で、良くて水属性までが関の山。優れた魔法の才を持つ人間は、皆等しく貴族となり特権を持つことから、この現状を『魔法特権社会』と呼んでいる。
次に属性の持つ特徴を大雑把にまとめてみる。
【土属性】
魔法の基礎。自然の中にある物質を媒体にした魔法が多い。
土を鉄の剣に変化させる、土の中にある栄養素を増加・減少させたり等。
物体を作り出す魔法が主流。
【水属性】
土属性と密接な関係にある属性。動物の身体に関する魔法が多い。
怪我を回復させる、身体能力の増強等。
病気を回復させる優秀な水属性魔導師は人々の尊敬を集める。
【風属性】
戦闘属性と分類される。空気を操る魔法が多い。
衝撃波をぶつける、空間内の音を聞こえなくさせる等。
中級者の領域であり、達することができるのはほとんど貴族出身の魔導師。
【火属性】
戦闘属性と分類される。火や温度を操る魔法が多い。
物体に発火させる、土を高温で溶かす等。
火属性の魔法は、エキスパートの証である。
詰まるところ、よほどひどくなければ、大体の人は水属性魔法までは習得できるということだろう。
それぞれの属性の魔法を調べていくと、ほとんどの魔法の名前は俺の知る名前ーーつまりはエンハイにて実装されていた魔法だということは確認できた。
より一層、この世界がエンハイの中にあった世界であるという疑惑が濃厚になってきた。
(真面目に教科書読んで勉強とかほんと久しぶりだったな……疲れた)
書き散らしたノートをひとまとめにして横になる。そのタイミングで丁度、畑仕事を終えたアリアも帰宅したようだ。土埃に塗れた服を水属性魔法で軽く洗い流した後に、着替えて俺の方に寄って来る。
「その様子だと、ずっと本読んでた?」
「勉強になりました、です」
「文字が読めるってことは、よほど英才教育されてたのかな……? エルド語の本だったから、中央大陸の方の家だったり?」
「よくわかんない」
エルド語、というワードを聞いて疑問を持つ。俺はごく自然な流れで『日本語と認識しながら日本語と同じ感覚』で本を読んでいたが、確かに地球ではない異世界で日本語というのもおかしな話だ。
しかし俺の目には、日本語が書かれているようにしか見えない。ひとつ実験をしてみる。
「ノート、書いた」
「ノートもちゃんと書けてる。三歳でエルド語の読み書きが完璧ってことは、ほんとに貴族の生まれだったかも? すごいじゃないミハイル!」
褒められたことは置いといて、実験の結果、俺が書いた文字も日本語ではない可能性が浮上した。
つまり、俺の体はエルド語を読んで、エルド語を書き出した。しかし俺の記憶の中では全て日本語に変換されているようだ。その流れを見るに、おそらく今、こうしてアリアと会話している際に用いているのもそのエルド語とやらだろう。
どうやら謎が深まってしまったようだ。都合が良い方向に設定されていると錯覚するこの感覚は、ゲームの延長線上にいるかのようである、
(いかん、これ以上考え込むとドツボに嵌まりそうだ。ーーよし)
思考が憂鬱モードに入り込む前に、なんとかポジティブな行動をしたい。
そう思ったらすぐ。俺のまとめたノートをじっくりと読み込んでいるアリアの肩を叩いて、こっちに視線を動かす。
「三歳でこれとかミハイルってもしかして天才ーーあれ? どうしたの?」
「重ね重ね、実はお願いが」
せっかく大まじめに魔法の勉強をしたのだ。こうなれば実践してみる他ない。