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憂鬱転生譚

   ◇ ◆ ◇


 早朝の空気が俺の吐息を白けさせる。

 初春のまだ冷たいすき間風が、俺の首筋に纏わり付く汗を乾かしていく。

 夢だ。この一週間、ほぼ毎日うなされる悪夢。

 もはや大まかな形や特徴すら思い出せない『何か』に自分が殺される夢。

 俺は知っている。その夢はまやかしなどではなく、自分が『前世』に経験した光景であると。

 この夢を、俺はこの一週間、眠りにつくと必ず見てしまう。どれだけその夢に嫌悪感を抱いていても、悪夢は必ず忍び寄る。

 抵抗する間もなく、体が真っ二つにされ、心臓に何かを突き刺され、血の海に倒れながら意識を失っていく夢。

 ゲーム中に経験した、ありえない臨死体験。誰に殺されたのか、なぜ殺されたのかすらわからないまま。

 ーー今日で、俺が『生まれ変わってから』一週間が経過する。


「あらミハイル。おはよう、今日も早いわね」

「……おはよ」


 悪夢を見た後は決まって疲労感が体に絡み付き、微妙に気分も悪い。それゆえ、ついなあなあな挨拶を返す。

 声をかけてきたのは、まだ若く、少女と呼べるような女性。

 『ミハイル』という名前は、あだ名でも偽名でもない。岡崎翼ーーであった俺は、現在、ミハイル・マーター=インフィデレスという三歳の少年として、新たな生を受けているのだ。

 この事実に気づいたのは、今から丁度一週間前のことだったと記憶している。

 俺は真っ暗闇に閉じ込められる夢の中で、必死に手足を動かし、もがいていた。

 そしてやっと、自分の体を動かしている実感を自覚した矢先、はっと飛び上がるように目を覚まし、気がつけば俺はこの世界ーー地球ではない異世界の住人となっていた。

 小説やアニメ、ゲームでは単語だけは聞き覚えのある『転生』ーー今でも半ば鵜呑みはできないままであるが、俺は何かしらに殺されたと思ったら、この世界で第二の人生を得ていたのだ。

 今の俺はそもそも、アトピーでごつごつな肌と中太りな体を持つ残念な大学生などではない。

 桶に水を張り、鏡面越しから今の姿をじっくりと見直す。

 輝く天然色の金髪は腰まで伸び、後ろ髪を紐で束ねている。瞳は混じり気のない翡翠色。顔立ちは中性的で、束ねている髪を下ろすと女の子だと錯覚するような美男子風味。

 洋画に描かれた綺麗な男の子が、額縁の中の世界から抜け出してきたような。今となっては自画自賛となってしまうが、その姿はかつて俺が〈ANGEL HALO ONLINE〉で使用していたゲームアヴァターの姿に、女性的要素を交えたような、理想的なイケメンの姿になっている。

 かつての俺の顔は何処へ。この子供にしては大人びた顔立ちに慣れるにはもう少し時間がかかりそうだ。

 汗で汚れた顔を水洗いし、タオルで拭って台所へ向かう。

 俺がいるこの場所は、小さな田舎の村リゲル。その村の共用農地そばにある、少し大きめな二階建てのボロい一軒家だ。

 この家が俺の実家というわけではない。この一軒家は俗に孤児院と呼ばれる施設である。

 俺でもまだ状況を把握しかねるのだが、そもそも俺は孤児のようだ。アリアの話を聞くに、俺はひどく衰弱した状態で毛布に包まれ、孤児院の軒先に放置されていたらしい。名前はその毛布に刺繍されていたものから読み取ったのだとか。

 手紙を残されることもなく、ただ放り出されたように捨てられていた俺。他人事のような言い方だと思われるかもしれないが、そもそもこの世界の親の顔も知らないまま。さらには見知らぬ世界に転生したというあまりに驚愕的な異常事態に置かれているので、俺としてはこの孤児院で生まれたような感覚だ。

 しかしアリアの方から見れば、俺もまた可哀相な孤児のひとり。

 瀕死だった俺は手厚く看病してもらい、一週間前に目を覚ましてからは孤児院の一員として寝泊まりをしているわけだ。

 こういった流れで孤児を預かることはよくあるのか、アリアの対応は手慣れたものだった。

 問題は俺の方だった。なにせ俺のこの状態も奇々怪々であるのに、この世界は俺から見ればもっと不可思議なものであったからだ。


「ミハイル。水貯め用のバケツを持ってきてー」

「ん」


 窓際に置かれているからっぽのバケツを、アリアの方まで持っていく。

 「ありがと」と形式的な礼を述べたアリアは、得意げに咳ばらいをし、右手の人差し指に嵌めている指輪を撫でながら、その呪文を唱える。


「『アインス・アクア・エンジェ〈ウォーター〉』」


 記号的な文字の羅列が口ずさまれると、何もなかったはずのバケツの底から、溢れ出すように水が出現し、ゆったりと渦を巻きはじめ、それがおさまる頃にはバケツいっぱいの水が生み出されていた。

 改めて言うが、この世界は俺の知る地球ではない。別の世界。魔法が存在するファンタジー世界なのだ。

 それも、ただ「ああそうですか」と片付けられる問題でもなくーー俺はその魔法が使用された光景を横目でじーっと観察しながら、深く考えを巡らせていた。


(一昨日は怪我した子供に〈ウィスパー・ヒール〉を使ってたし……昨日は害獣駆除に〈ペネトレイト・ランス〉を使ってたし……それにこの魔法は確か設定資料集に乗っていた未実装魔法……)

「どうしたの? ボーッとして」

「ん……なんでもない」


 自分の周囲の生物を対象に傷を癒す〈ウィスパー・ヒール〉。貫通力が高い小型の槍を生成し射出する〈ペネトレイト・ランス〉。そして昨日退治された害獣ーー偶然とは思えない頻度で、あの〈ANGEL HALO ONLINE〉の世界を匂わせる要素が見受けられるのだ。

 前者二つの魔法は、マジックユーザーキャラが序盤に覚える魔法である。害獣として退治された動物も、序盤の雑魚であるミッドワイルダーという名のアライグマ型モンスターと瓜二つ。

 他にも、村の人たちの衣装が、エンハイ内でアイテムを売買するNPCの衣装にそっくりであったり。売られている雑貨がエンハイ内のショップで販売されていたアイテムとまったく同じであったり。共同農地で作られている作物がエンハイ設定資料集イラストに描かれていたり。などなど。

 空中大陸フレアの話は聞かないものの、俺はここを、ゲームとして遊んでいたエンハイの世界ではないかと思っている。

 最初はログアウトし忘れかと思いログアウトボタンを探したが、パーソナルメニュー画面があるはずもなく。しかしフィクションであったはずの世界に、こうして生まれ変わりという経緯で踏み入っている以上、信じるしかない。


「ミハイルは学者向きかな?」


 足場に乗りながらじっとアリアの作業風景を見ていたせいか、アリアがふと声をかけてきた。

 特徴的である水色のナチュラルショートカットが汗に濡れている。少し日焼けはしているものの、その少女っぽさを残している顔立ちはお世辞抜きに可憐だと思う。

 だからこそ、変な話ではあると思うが、声をかけられると、照れる。

 そのためつい返事が淡泊になってしまうのだ。転生しても女性にオクテな面は改善されていないようだ。


「……なんで?」

「ここに来てから一週間ぐらい見てるけど、あなたは物事を深く考える癖があるみたいね。他の子より断然おとなしいし」

「そうなの?」

「少なくとも同い年の時の私よりは」


 おどけるように笑うアリア。不意に笑顔を見せられたせいか、ついその場から離れ、外へと歩いていく。

 早朝はいつも散歩を欠かさないので、アリアも咎めはしない。決まった食事の時間までに戻って来れば問題はない。

 少し歩いた後、村の表通りを横に逸れた場所にある空き家の屋根に登り、横になる。表通りが一望できる隠れた休憩所だ。「この場所がどんな場所なのか」と興味半分で始めた早朝の散歩だが、気分転換にももちろん丁度良い。

 女の子の笑顔を見ただけで照れて逃げ出すとは。オクテ度合いが悪化している気がする。相手が美人過ぎるのが問題なのか。三歳児に生まれ変わって、心までピュアなハートに戻ったのか。

 そんな答えのでない思考は放棄して、まだ朝を迎えたばかりで人の少ない、村の表通りを見やる。

 一週間前の覚醒はあまりに唐突な上、現状に関してはわからないことだらけだ。

 そもそも俺は今でも信じられない。自分が過去の記憶を持って、こうして新しい人間に生まれ変わったことを。

 俺は今でも思い出せない。自分が何に殺されたのか。大事なことであるはずなのに、自分が殺されたという事実だけが悪夢という形で何回もリフレインする。

 気がつけば居たこの世界は一体なんなのか。実際に存在するのかさえ怪しく思えてしまう、臆病な自分が心のうちにいる。

 仮にもし、気がついたときには、ごく普通の理由で死に、ごく普通の地球の世界で、ごく普通のサラリーマン家庭の子供として生まれ変わっていたのだとしたら、これほど思い悩めることはなかっただろう。

 じっくりと現状について考えると、もしかして俺はこの状況に憂鬱さと恐怖心を感じているのかもしれない。両足が地についていないような、宙ぶらりんの感覚。

 一週間。俺は悪夢にうなされながらも、考えに考え抜いた。俺はなんでここにいるのか。この世界について。これから何をすればいいのか。

 結果、今はただ孤児院でアリアに食べさせてもらっている生活を一週間繰り返しただけだが。

 

「わけわからないよなぁ……ゲームで殺されて、ゲームの世界に転生するとか」


 愚痴るように呟いた後、おとなしく孤児院へと戻っていく。

 フィクション小説によくあったようなものとは違う、心から喜べない奇妙な転生生活が始まる。

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