第一章 序2
ディオルード様が乗ってきた馬車に乗って、俺はユーレン伯爵の城に向かっていた。正直、病み上がりなので、あと一日くらい待って欲しかったのだが、ディオルード様は多忙ということなので、だるい体にムチを打って、頑張っている。まぁ王様に兵を向けてるんだ。忙しくないほうがびっくりだが。
向かい合った形で座っているディオルード様が、紅い目でまじまじと俺の顔、というか目を見てくる。
「ユキト。その髪と目は、やはり生まれつきなのかい?」
「え? あ、はい。生まれた時からこの髪と目です。そういう質問をされたのは初めてですね」
「すまない。大陸ではとても珍しい色でね。島の出身者しか黒髪黒目はいないと聞くよ」
「なるほど。私の周りには同じ色の人しかいませんから。珍しがられることも、視線を惹くこともないんです」
そういいつつ、俺はディオルード様が口にした、島についての情報をスキルかで読んでいた。
【島。ロディニア大陸の周囲にある島々のこと。海洋技術が発達しており、島と島との交流は盛んだが、大陸との交流はそこまでではない。独自の文化を形成しており、島の人びとは皆、黒髪黒目】ということらしい。
なるほど。日本みたいなものか。そりゃあ珍しがるか。見たことがない人だったら、騒いでいても不思議じゃない。
「僕は黒が好きなんだ。変かな?」
「どうでしょうか。黒にも種類があります。人を魅了する黒もあれば、人に恐怖を与える黒も」
「ふふ。君を話し相手に選んで、早くも正解だと思ったよ。皆、黒が好きだというと、私も好きですと返す。面白くなくてね」
王子の質問に追従するのは仕方ないだろう。俺だって今はがっつり冷や汗をかいている。危なかった。素で答えてしまった。
「追従は……お嫌いですか?」
「僕は父が嫌いなんだ。心地よい言葉しか拾わない都合のよい耳を持っているから。だから、都合のよい言葉も嫌いだよ」
「わかりました。善処します」
「普通通りに喋ってくれて構わないよ。君からどれだけ罵詈雑言を浴びせられようと、僕は気にしない。本心から怒ってくれるなら、甘んじて受けるさ」
「私が本心から言葉を発しないかも知れませんよ?」
「それは僕に見る目がなかったってだけさ。諦めるよ」
馬車の椅子に深く腰を沈めながら、ディオルード様は笑みを浮かべてそう言った。
敵わない。これが王族というものなのだろうか。自信が半端ない。それはこれまでの努力が裏打ちしているのか、それとも才能なのか。少なくとも、俺はディオルード様の姿に、王を見た。
「一つお聞きしたいことがあります」
「何でもどうぞ」
「なぜ……挙兵したんですか?」
俺は冷や汗で湿っている手をズボンで拭う。無礼にならないか心配だったが、ディオルード様は笑みを崩さない。
「さっきも言ったけど、父が嫌いでね。やることなすこと全部気に入らない。だから兵を挙げたのさ。まぁ挙兵に参加してくれたのはユーレン伯爵だけだけどね」
「そんなに……お父上の国王陛下は、そのぉ……」
「ダメな男だよ。王としても、人としてもね」
ヴェリスの国王について疑問に思ったのに、画面は出てこなかった。人物については直接見なくちゃダメなのかもしれない。
とりあえず、今は王様について知ろう。あんまり気は進まないが。ディオルード様が明らかに不機嫌だからだ。よほど国王が嫌いなんだろう。
「人としても……道を外していると?」
「実の娘に手をだそうとする男だよ? 同じ人間として見られるだけで不愉快だ」
はい……?
今、とんでもないことを聞いた気がした。実の娘に手を出そうとした。と聞こえた。聞こえてしまった。
俺の顔はさぞや滑稽だろう。驚愕と恐怖と混乱が、今、内心をごちゃごちゃにしていて、表情を取り繕えない。
「父の特技は戦でね。初陣から負け知らずだ。好きなものは美女。美女だったら誰でもよいのさ。和平に来た使者でも、戦友の娘でも、実の娘でもね」
「……誰も何もいわないんですか……?」
「言った人たちはみんなお墓の中だよ。他国も刺激して標的にされるのを嫌がってる。だから最近はやりたい放題でね。貿易のため、友好のため、婚姻のため、色んな理由のため、に自国内を通る人たちを調べて、美女がいたら城に連れていかれる」
言葉が出ないとはこのことか。幾らなんでもやりたい放題し過ぎだ。そんなことをすれば、他国が連合しかねない。
「協力して、連合する国はいなかったんですか?」
「十五の時に王についてから、二十三年。父は他国の連合軍を三度も破ってる。ヴェリスの周りには小国が多い。この小国が邪魔で、ヴェリスに単独で挑める強国も介入できないんだ」
地理的な話でいまいちついていけない。地図が欲しいなと思ったら、いきなり画面が浮かび上がった。
本当に便利なスキルだ。地図まで完備とは。
画面の下側にはヴェリスと書かれた土地と海があり、その上に小さな三つの国がある。
なるほど。海に面しているから基本的には戦力を片方に集中することができるのか。上の三つの国が小国か。
「厄介な国だよ。力があるからなおのことね」
「だから立ち上がったんですか?」
「ずっと、心には秘めてたんだ。ただ、姉を寝室に呼ぶって話を聞いてしまってね。それが切っかけだよ。民のためとか、国のため、じゃない。姉をあの男に渡したくないっていう自分勝手な理由で、僕は兵を挙げてる。ふふ、おかしいだろう?」
「おかしくはありません! 大切な何かを守りたいと思うことも、守ろうとすることも、おかしくはありませんよ! 誰も笑えない……気高い行為だと、私は思います」
思わずいってしまった。めちゃくちゃ恥ずかしいことをいってしまった。ディオルード様もびっくりしている。やってしまった。馬車の中じゃなきゃ身悶えしててもおかしくはない。
「は、はは、はっはっは! ユキト! そうだよ! その通りだとも! 僕は何を悩んでいたのか……もう引き返せないんだ。なら、自分で選んだ道を真っ直ぐ進むだけだ! ありがとう、ユキト! 胸のつっかえが取れたよ!」
俺の両肩を、華奢な見た目とは裏腹な力で掴んだディオルード様は嬉しそうに言った。
「お、お力になれたのなら幸いです……」
「さて、ならやることはたくさんあるな。諸侯を説得して回ったり、軍への参加も僕自ら呼びかけよう! ユキト! 全部、ついてきてもらうよ!」
「は、はぁ……それで、ディオルード様」
「ディオでよいさ。親しい者はそう呼ぶんだ」
「では、ディオ様。ディオ様の姉上はどちらに? すぐに匿うべきかと」
「ああ、いってなかったね。僕の姉は三人。うち、二人はすでに国外に逃がしてある。それで、肝心の父に狙われている姉は」
ディオ様はそこで言葉を切り、おもむろにため息を吐いた。今の流れでなぜ、ため息が出てくるのだろうか。
「ディオ様?」
「うん、その、狙われている姉は……敵なんだ……」
「……はい?」
「父すら上回るという軍才を持ち、黒姫の名で他国に恐れられている、現ヴェリスの筆頭将軍。カグヤ・ハルベルト。それが僕の姉で、父が自分のものにしようとした女性さ」
そんな人なら助けはいらないんじゃないでしょうかと、思わずいいそうになってしまった。
というか、姉は反乱に同調してなかったのか。
しかし、一つ疑問がある。
「ディオ様はアークライトで、姉上はハルベルトですか?」
「王家はハルベルトさ。アークライトは母の生家から頂いた。あの男と戦うのに、ハルベルトは名乗れないからね」
そういって肩をすくめておどけて見せるディオ様に、なんて言葉をかけるべきか迷っていると、外から何かが駆ける音と共に、ディオ様を呼ぶ声が聞こえてきた。
■■■
「アルビオンの使者が、国王軍に襲われました」
馬車に並走するかたちを取った伝者は、短くそうディオ様に告げた。
馬車の窓から顔を出していたディオ様は、伝者に、わかった、と伝えると、深刻そうな顔で座りなおした。
【アルビオン公国。ヴェリスから見て、三つの小国の向こうにある大国。魔術が発展しており、強力な魔術師による軍団が存在する。】
浮かび上がった画面に映し出された情報をすぐに読むと、俺は状況を一応は把握した。国王の悪い癖が出たということか。
「……まずいな。今回のアルビオンの使者は、今までとは違う」
「身分が高い人ですか?」
「高いなんてもんじゃない。至上の乙女と呼ばれる方で、魔力が最も高まる日、星回りに生まれ、すべての魔術師の尊敬を集める存在。その美しさを例える際に使われるのは天高く昇る太陽か、夜空に輝く月の二つだけといわれてる。それ以外では見劣りするからだ、とね」
「凄い人で美女だってことは分かりましたけど、何でそんな人がこんな危険地帯に……」
「危険地帯か。よい表現だね。確かに美しい女性にとっては世界で最も危険な場所だろうね」
言った後にしまったと思ったが、存外、ディオ様は危険地帯という表現が気に入ったらしい。何度か呟いて、今度使おう。と笑顔で呟く。
「ディオ様……もしかして、あんまり焦ってませんか?」
「うん。焦ってないよ。ヴェリスの立場はとてもまずくはなったけど、現状、問題なのはそれだけだしね。魔術師は皆、父を敵視するだろうけど、その分、僕らに協力的になると思えば、もしかしたらよい機会かもしれない」
「えっと……」
「至上の乙女っていわれてるのは、何も生まれた日や美しさだけが理由じゃないのさ。上位の魔術師には自らを現す魔術名と呼ばれる、二つ名みたいなものが付けられるんだ。至上の乙女の魔術名は疾風彼
女が扱う魔術は風。噂じゃ彼女は周囲の風を思い通りに操ることができるらしい。実際、彼女に許可なく触れられた者はいないと聞くし、嘘か真か五千の軍勢の中をことも無げに歩いて、敵軍の司令官を気絶させて退かせたなんて話もある。しかも彼女を守るのはアルビオンの精鋭だ。魔術的な意味で言えば至上の天才なんだよ。だから危険地帯にも来れる。ヴェリスで彼女と渡り合えるのは僕の姉くらいだろうね」
「では……何で深刻そうな顔をしてたんですか?」
俺のその問いにディオ様は苦笑して、両膝に両肘をつけて、手を組み、その上に顎を乗せる。
「僕のほうに来る可能性を考えたんだ。使者が反乱軍にくるっていうのは、まぁ色々面倒でね。でもユキトに説明しているうちに、それは有り得ないって思い直したんだ。アルビオンに戻るなら海路ではなくて、陸路でいくだろうし、わざわざ追い返せるのに避難してくるとも思えない。
今回、至上の乙女が来たのも、多分、手を出してきても払うだけの力があることを諸外国に見せつけるためだ。ここは危険地帯だからね。騒動には事欠かないって判断したんだろうね」
「そうですか。確かにそれほど強いなら問題はありませんね。けど、随分と乱暴な扱いですね。どれだけ強くても、万が一があります。大事な人をそこに送り込むなんて、私なら嫌ですが……」
「それは同感だね。アルビオンに抗議でも送っておこうか。我が国に美女を送らないでくださいって」
「そんな抗議をするのはディオ様だけでしょうね」
俺とディオ様は同時に笑う。ディオ様のおどけた様子が、父である現王を完全に小馬鹿にしていたからだ。しかし、太陽と月以外では例えに使うには役不足、なんていわれる美人なら会ってみたいもんだけど。いや、ちょっと視線があっただけで吹き飛ばされるなんてことも有り得るのか。それは嫌だな。
そんなどうでもいいことを思っていると、また馬が駆ける音が聞こえてくる。笑っていた俺とディオ様は固まる。なんだか嫌な予感がする。
「殿下! アルビオンの使者様が国境ではなく、こちらに向かっているという報告が入りました! すぐに出迎えの準備をすべきかと!」
「あ、ああ。任せる……抜かりないようにな」
頬を引きつらせるディオ様は、報告に来た騎士にそう言った後、呆然とした様子で組んだ両手を見つめ始めた。
「……私の国には、嘘や冗談が本当になることを、嘘から出た真、というのですが……」
「よい言葉だ……。覚えておくよ……」
その後、ディオ様の本拠地であるユーレン伯爵の城までの僅かな時間であったが、俺とディオ様は馬車の中で無言だった。