第二章 姉弟6
すでに目的はあらかた果たした。
恐らくだが、ディオ様はすでに王都を視界に捉えているのではないだろうか。ここから王都までは早くて二日。慎重に進んで三日と行った所だろう。カグヤ様が軍を退かない所を見れば、首尾よく王都に接近できたのだろう。
日数は稼いだ。後はどれだけ被害を小さくするか、と言う事だが、これについては城を放棄するだけでどうにかなる。ハルパー城はヴェリス有数の堅城だが、現在の状況では、欠かせない要所ではない。奪われたからと言って、すぐにどうこうなる場所ではないのだ。
問題は逃げ方なのだが、その前に主だった面々を説得しなければいけない。
「この城を放棄する事に納得できませんか?」
「当たり前だ。これまで奮戦した意味は何だ? その過程で命を落とした部下は大勢いるんだぞ!」
パウレス将軍の言葉に俺は心の中の奥底を抉られた気分になった。そうだ。ここにいる人たちも、そして死んでいった人たちも、知らないのだ。自分たちが囮にされたと言う事を。
大事のための小事と言うのは簡単で、言葉を重ねれば、これまでの戦いや、死んでいった者たちに対して、意味を持たせる事はできる。
だけど、その言葉で飾られた意味に、死んでいった者たちは納得するのだろうか。いや、死んだ者に納得など無い。納得しないのは生きている者たちだ。
友は何のために死んだのか。同僚は命を掛ける価値がある物の為に死んだのか。父は、子は、兄は、弟は、一体何のために死んだのか。
問われて返す言葉を、俺は持っていない。だが、ディオ様は持っているだろう。
戦の後の国のためだ、と。理不尽が少しばかり消え、暴君が居ない国のために死んだのだ、と。これからの国の為に死んだのだ、と。
言えるだろう。だが、俺はそんな言葉を持ち合わせてはいない。意思を持ち合わせていないからだ。
俺の理由は酷く勝手だ。まぁそれを言うならディオ様もだが、ディオ様には国を、父の業を背負う覚悟がある。だが、俺には無い。
この先のビジョンが俺にはない。だから何のために彼らが死んだのか分からないのだ。俺も見えていないから。
だから。
「クレイ!? 貴様の指揮に従ったのはディオ様が貴様に全てを託したからだ! その貴様が!」
「現在……ディオ様が率いる精鋭二千が王都に侵攻中です……。この戦いは、初めからその為の囮だったんです……」
言ってしまった。言葉が見つからず、ただ事実を言ってしまった。これで良いのかもしれない。だけど、これでは納得など出来る訳がない。
皆が一様に驚愕の表情を浮かべている。当たり前だ。彼らはディオ様を信じて戦った。これは裏切りに近い行為だ。
だけど。
「ディオ様は、裏切りのような行為である事を承知していました。けれど、これしか方法はないとも考えていました。だから……上に立つ者の責任として、城に残る全ての人たちの為に俺を残していきました……。この戦いで死んだ人たちの責任は俺にあって……この城を放棄しなければいけないのも、俺のせいです……」
「お前は王子の命令に従っただけだろう? 時間稼ぎが目的ならよくやったほうだろ? お前が作ったこの時間が、この国の為になる。なら、死んでいった奴らは国の為に死んだんだ。自分が望んだ国の為にな」
アルス隊長がそう俺に言い放つ。言葉が優しくて、とても正しいように聞こえる。でも、それに寄りかかるのはダメな気がした。それに寄りかかったら、俺はずっとそう言い続けるだろう。いつかは慣れて抵抗も無くなる筈だ。
それじゃあ俺が納得できない。冗談じゃない人殺しの命令を出したのも、今、この場にいるのも、俺が大切な誰かを守りたくて、大切な約束の為に生き残りたくてだしたものだ。
俺が関わった戦である以上、俺が描いた戦である以上。
この戦は誰かの為の戦としなきゃいけない。不確かな国の為にも、未来の為でもない。
確実な命の為の戦だ。
「国がどうなるかはディオ様次第です……。ですから、俺には国がどうこうなんて言えません。未来の為とも言えません。けど、俺が始めたこの戦に、俺の指揮で死んだ人たちに、俺が持たせられる意味があるのなら……それは、命の為だと言う事です」
「どういう意味だ?」
「この城の兵を撤退させる為に、後方の城を空けてあります。その時間稼ぎもこの戦は兼ねていました。これで大勢の兵が撤退できます……。大勢の仲間の為の死。自分勝手かもしれませんが、俺が死んだ人たち持たせられる意味はこれくらいです……」
「意味もなく死ぬ奴もいる。顧みられない奴もいる。俺たち傭兵は特にな。だから……今回死んだ奴はそいつらよりは運が良い。死んだあとも考えてくれる指揮官の下で死ねたんだからな……」
実感のこもった言葉に俺は顔を歪める。今すぐにでも泣きたい。辛いと叫びたい。人を死に追いやった罪の意識に押し流されそうだ。けれど、それらを何とか押さえ込む。
まだ戦は終わってない。大勢の仲間を逃がし終えるまでが、俺の戦だ。いや、犠牲を最小限に抑え、国王を討って、戦略の面から勝利を収めると言う作戦の一部と考えれば。
俺たちの戦か。
「しかし、あの黒姫が黙って逃がしてくれるか?」
「そこは考えてあります。皆さんの撤退する時間は俺が稼ぎます」
「クレイ。一体、どんな策だ?」
パウレス将軍が勢いよく聞いてくる。この人は真っ直ぐだ。俺が稼ぎますって言ったのに、当然のごとく自分を勘定に入れている。ディオ様はこういう人が好きなんだろう。損得勘定無しで、何かが出来ると言うのは稀有な才能だ。
「奇襲を、いや夜襲を掛けます。その間に皆さんは撤退をしてください」
「待て。どんな夜襲をする気だ? それに皆さんって……」
「先程も言いました。俺が時間を稼ぎます。夜襲の指揮は俺が。皆さんには全員撤退していただきます」
驚きつつも大半の人たちが頷く。撤退を開始するなら、準備が必要だ。そして、この夜襲部隊は殿に近い。危険が多い役目を率先して引き受けると言うのだから、わざわざ否を唱える理由はない。だから、素直に頷く。二人を除いて。
「俺は残らせてもらうぜ? お前直轄の百人じゃ人手が足らないだろ?」
「俺も残る。軍師風情が奇襲した所で失敗するのが落ちだろうからな!」
「お二人共……不安は分かりますけど……」
被害を最小限に抑えるのが俺の役目だ。大規模な夜襲を行う訳じゃない。人数も猛者も必要ない。問題は夜襲のタイミングだけだ。この夜襲で混乱に陥れ、一撃離脱を敢行する。おそらく成功率は五分五分。危険な賭けと言えば賭けだ。
「残るのは俺だけで」
「貴様に責任があるように、俺たちにも責任がある。そして、将として、男としての誇りもある!」
「全くだ。やられたままでは終われないからな」
ニヤリと不敵に笑うアルスと険しい表情を浮かべるパウレスに、俺はそれ以上何も言えなかった。
■■■
夜。撤退の準備は問題なく終わった。残存兵力は約八千。およそ二千もの犠牲が出て、その倍の怪我人が居る。既に後方の門を開け、だいぶ前から彼らは撤退を開始している。それに続く形で、すぐに俺たちも正面から夜襲に入るだろう。
魔術の効率的運用と指揮官の差が結果を分けたと言えるだろう。兵の差だろうが、練度の差だろうが、魔術は容赦なく覆す事が出来る力を秘めている。後悔があるとするなら、ソフィアに魔術の特徴や弱点をもっと聞いておかなかった事だ。聞いておけばここまで犠牲は増えなかったと思う。それを言いだしたらキリがないけれど。
今は犠牲に何か思うよりも、生きてる者たちへの責任を果たす方が大事だ。それがきっと唯一の罪滅ぼしと言える行動だ。
夜襲。野外が暗くなってから行われる戦いであり、自軍・敵軍とも視界がほとんど得られない環境においての作戦・戦闘行動。攻撃側から積極的に行われる夜戦を「夜襲」と呼ぶ。「夜討ち」「夜駆け」も同義。夜に敵陣へ攻め込むと、守備側は不意を突かれることが多いため、歴史上の夜襲は奇襲となっている例が多い。
意識を切り替えた俺は、夜襲について調べ、画面に表示させる。夜襲にはいろいろと問題がある。
まず、夜襲を掛けると言っても、人間は夜行性では無いため、暗闇の中での行動には不慣れだ。暗闇の中で視界を得るためには、暗闇に入ってから時間がかかる。時間にすれば、個人差はあるけれど、三十分ほどらしい。また、夜間で視力を得るためには対象物から少し視点をずらして見るという特殊な物の見方をする必要があると、ミカーナが言っていたが、これは慣れない内はすぐにはできないだろう。
移動においても、夜間は人間の感覚器官が鈍っているため疲労が蓄積しやすいのは想像に難くない。また、障害物の有無や位置が確認しにくい上に、誘導ができないと予想される。機動力が激減するのも計算しなければいけないだろう。
間違いないのは、得られる情報が日中に比べて少ないために意志決定や行動に時間がかかる。間違えた指示を取り消すのは一苦労だ。絶対に指示は間違えられないし、難しい動きもできないだろう。
敵味方の識別暗闇の中での作戦・戦闘となるため、敵味方を識別できないと同士討ちが発生する可能性は極めて高い。だから、敵味方を識別する工夫が必要だ。
同士討ちを避けるために隊形を堅持して行動する。合い言葉や目印などで敵味方を識別する。と言った所か、特に目印は河越城の戦いで夜襲を仕掛けた北条氏康の軍勢は白布を身に着けて、戦ったと言われているし、間違いなく効果的だろう。
あとは灯火をどうするかだろうか。闇に紛れて作戦行動を行うため、自軍の動きを敵に悟られにくいように、無灯火に近い形で行動をするかどうかと言う点だ。厳島の戦いでは、毛利元就は軍勢の夜間移動で、かがり火を掲げることを禁じ、翌朝の奇襲を成功させている例から見ても効果的なのは間違いない。だが、今回は距離が近い。灯火の差は些細な気がするが、どうするべきか。
そこまで考えていると、傍にミカーナがいつの間にか居る事に気付く。
「出陣までは時間があるよ?」
「松明を用意するべきか聞きにきました」
「それをちょうど考えてたんだ」
「必要ないかと。この距離なら私にとっては問題ありません。私が敵陣までご案内します」
大した事無いかのように言うが、とんでもない事だ。だが、ミカーナは一切表情を崩さない。と言うか、表情の変化は数えるほどしか見た事ない。
「ならそうしようか。白い布を用意して、腕に巻いて。あと、敵に見つかりづらくてミカーナが先導しやすい体形……そうだなぁ、縦に四列を徹底させて、その後をパウレス将軍とアルス隊長の部隊につけさせるから」
「わかりました。それで? 何か言いたげなのは私の気のせいですか?」
中々鋭いツッコミに俺は苦笑する。思えば、ここまでミカーナは変わらず接してくれた。それはとても精神的に有難かった。
「ありがとうって言おうかと思ってね」
「死にに行く気なら諦めてください。出世の道具を手放す気はありません」
「酷いなぁ。でも、ミカーナとの約束も残ってるし、死ねないよね……。一つ考えがあるんだ。聞いてくれる?」
聞いてくれる。とわざわざ聞くのは、ミカーナの協力が必要不可欠だからだ。状況を予想していけば、必ず俺は追われる。それも強者たちに。
その為の策と、その後の策が今、俺にはある。カグヤ様を動かす為の策だ。
「どのような事をするおつもりですか?」
「まず、敵に攻撃したら、俺はカノン城方面に逃げる。これで部隊を二手に分けなくちゃいけないから、少しは本隊への追撃も弱まると思う」
「しかし、そっちは敵の勢力下です。どこへ逃げるおつもりですか?」
「カノン城の右の山に砦がある。国王直轄部隊が補給をする為の砦で、普通の軍は使えないってディオ様が言ってた」
「猟犬の砦に逃げ込むと!? 冗談はやめてください! すでにカグヤ様の軍が」
「制圧すると思う? 例えどんな理由があれ、カグヤ様は一人の将軍として、主君には逆らってはいけないと考えている。なら、制圧はしていない可能性もある」
そう言ってから俺は笑う。別にそこに逃げ込むのが作戦なんかじゃない。むしろ逃げ込めない可能性の方が高い。
「何をお考えなんですか?」
「作戦は簡単だ。カグヤ様を誘い出す。そして不意打ちをする。それが砦なら最高だし、そうでないならそれはそれで良い。ある程度の場所まで行ったら、ミカーナは俺から離れて、様子を伺ってくれ。君なら出来るだろ?」
「おっしゃりたい事は分かります。ですが、カグヤ様が出てこない可能性も有り得ますが?」
「俺が誘い出すのはアンナ・ディードリッヒだ。俺が姿を見せたら、必ず追ってくるだろう。主君を罵倒した男だからな。間違いなく来る。それを聞けば、カグヤ様はこう思う筈だ。罠だ。と。そしたらアンナを止める為にアンナを追ってくる。でも、敵の大将を罠の可能性があるってだけで追撃しないなんて事はないだろう。結果、カグヤ様は俺を追ってくる。どんな攻撃、どんな策略だって弾く意思を持ってね」
そこまで言ってから、俺はミカーナを真っ直ぐ見る。
俺の言葉通りになるか半信半疑と言った所か。それでも目を見れば、戦意に溢れている。これなら問題ないだろう。そう思って、俺は笑みを作る。
「カグヤ様を罵倒したのはこの為の布石ですか?」
「まさか。あれは士気をあげる為に仕方なくした事だよ。女性を罵るなんて本当はしたくないんだ」
「そうですか。そう言う事にしておきましょう。それで? その後の策を、全てが上手く行った後、私がするべき事を教えてください」
冷たく流され、策だけ話せと言われた俺は苦笑をまた浮かべ、少しだけ声を落として、告げる。
「ミカーナには狙ってもらう」
「どなたを?」
「それはね」
狙う人物を口にしようとした瞬間、俺は外から聞こえる音に思わず動きを止めた。
まるで金縛りにあったみたいに体が動かない。だが、突然鳴らされた敵接近を知らせる鐘を聞いて、俺の金縛りは解ける。
そして俺は察した。
夜襲を仕掛けようとして、逆に仕掛けられたのだと。
■■■
正面と後方の門に兵を配置していたため、側面から来る敵の奇襲に気付かなかった。
まさかカグヤ様を撃退されたにも関わらず、夜襲をしてくるなんて。幾らなんでも攻撃的すぎる。一体、誰が指揮を取っているんだ。
「夜襲部隊は敵の迎撃に当たれ! 撤退する部隊は引き続き撤退だ!」
「撤退部隊は襲われないでしょうか?」
「襲う気なら後方から攻めてきてるさ。門も開いてるしね。わざわざ刺激して、反撃に出られるのを嫌ったんだと思う。向こうは少数、だと思うけど……」
「確信はありませんか? ですが、迎撃に出られるのは、こちらも少数。数が互角では勝ち目はありませんよ?」
城壁は既に登られたと考えるべきだろう。ならば、防衛拠点として利用できるのは中央にあるハルパー城本城だ。四方に巨大な城壁を持っているハルパー城だが、それが破られた時を想定して、城本体、つまり本城にも防衛機能は備わっている。小さな防壁もあり、撤退部隊が完全に離れるまでは交戦できるだろう。
「もしかしたら、向こうもこちらが撤退の動きを見せてる事を、察知していないかもしれない。まぁだからといっても、やることは変わらないけどさ」
「撤退完了までの時間稼ぎですか。もともと夜襲もその手段の一つですからね。ただ、クレイ殿の策を見直す必要性が出てきましたね」
「全くだよ。でも、ここまで来たら降参も視野に入れとかないと、全滅しかねない。その時は黙って従ってもらうよ?」
「状況次第です」
手厳しいミカーナに苦笑しつつ、俺はハルパー城本城に向かった。