第四話 残酷な夢(※)
【6.5章】
【第四話 残酷な夢】
その夜、フリッツは夢を見た。
暖かな午後だった。故郷のカヌレ村だ。柔らかい緑が淡く光っている。幼いフリッツはお気に入りの崖の上にいた。悲しいことがあると一人でここにやってきて、しばらく泣いて、優しい日差しと緑の薫りで癒してもらうのだ。
フリッツが寝転んでいると、二人の人物がやってきた。
父親と母親だった。
フリッツは顔を明るくして立ち上がる。そして二人目掛けて駆け出した。父親はしゃがみ、走ってきたフリッツを受け止める。きゃあと言って喜ぶフリッツをそのまま抱き上げ、身体の小さなフリッツを軽々と振り回した。
フリッツが興奮してずっと笑っているのを心配した母親が父親を止める。しぶしぶそれを承諾した父親が、フリッツを地面に下ろす。母親は小言を呟きながらも、フリッツの髪の毛についた葉っぱをとってくれる。そしてフリッツは母親に抱きしめられた。柔らかい髪からは、ほのかな石鹸の香りがした。
フリッツは目を瞑った。とても、温かい。
ああ、これは夢だ。なぜなら。
『わたしの望みを叶えてくれてありがとう。この業の連鎖から、解放してくれてありがとう。きみはわたしの恩人だ』
父親の声だ。しかし、中身は違う。
小さなフリッツは、なぜか直感的にわかった。
ああ、これは剣の声だ。
ぼく悩ませていた、あの呪いの剣だ。
『あなたの望みも、いつか叶うといいわね』
母親の声だ。本当の母親ではないと頭ではわかっていた。
もっとも、フリッツを抱きしめた時点でそんなことはわかりきっている。しかし偽者だと知っていても、フリッツは『母親』の腕から離れることは出来なかった。
むしろ、ずっとこうしていたいとさえ思った。
『父親』はフリッツの頭を優しく撫でた。
両親に愛される、幸せな夢だった。
パシン。
軽い音と痛みが響いて、フリッツは目を覚ました。
「……あれ。ぼく」
フリッツはまだ眠そうに目をこすった。頬が冷たい。よくよく触ってみると、水で濡れている。
木々の葉は高い場所に生い茂り、朝露が落ちてきたのではないらしい。フリッツは身体を起こして、両頬を包み込むように手をやった。
涙だ。
朝もやの残る中、早起きの小鳥が控え目に鳴く頃だった。
昨晩のことはよく思い出せないが、ミチルにどこかへ連れられていった気がする。そこで何をしたのか、どう帰ってきたのかは記憶にない。
フリッツは野営地で毛布を被せられて寝ていたのだが、その傍らにミチルとチルルも眠っていた。なぜだかほっとした。そして再び、先ほどまで見ていた夢に思いを馳せた。
間違いない。十六年間の中で、最も幸福な夢だった。
なのにどうして、自分は泣いてしまったのだろう。
起き抜けの意識に任せて、しばらくフリッツはぼうっとした。
よく寝た。非常に良く寝た朝だった。今まで悪夢にうなされ、眠れずに衰弱していたのがまるで嘘のようだ。
そしてしばらく経ってから、フリッツは一人紅くなった。誰も見ていないだろうかと、慌ててきょろきょろと辺りを見回す。ラクトスは木の幹に身体をもたせ掛けて眠り、ティアラはフリッツのすぐ近くで寝息を立てている。そしてフリッツは、少し離れた場所に毛布にくるまり転がっているルーウィンを見つけた。
その位置は、どう考えても不自然だ。
「……ルーウィン、起きてるよね?」
フリッツは恐る恐る声を掛けた。しばらく反応がなかった。
しかし、やがて観念したようにルーウィンはゆっくりと身体を起こす。ルーウィンはばつが悪そうに、顔だけをちらりとフリッツのほうに向けた。
「いや、あんまり辛そうだったから、つい」
心配になって起こしてくれたのだろう。頬を打つ、というのはなんとも彼女らしいやり方だ。だが、そこまですればルーウィンは否が応でも気が付いているに違いない。
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
「なんか、ごめん」
ルーウィンはそう言った。予想外の反応だった。
彼女がからかうことなく、逆に悪かったと思うくらい、自分はおもしろいほどベソをかいていたということになる。フリッツは耳まで真っ赤になって、思わず両手で顔を覆った。
「……起こしてくれてありがとう。あと謝らないで。余計恥ずかしい」
「わかった」
例えその方法が少々荒っぽかったとしても、そのことには目を瞑ることにした。
ルーウィンは、珍しく気遣わしげに尋ねた。
「そんなに酷い夢だった?」
「うん。本当に、酷い……夢だった」
厳しく、そして頼もしい父親。優しく、しっかり者の母親。絵に描いたような幸せな家庭。その中に自分がいる。二人の視線の先にはフリッツがいる。
間違いない。
十六年間の中で、最も幸福で、そして残酷な夢だった。
しばらくの間忘れていた、胸がつねられたような痛みを、フリッツは久しぶりに思い出した。
そして呟く。
「罪滅ぼしのつもりかな」
いい夢を見せてくれようとしたのか。それとも回りまわって、悪夢を見せるつもりだったのか。
フリッツはふと、呪いの剣に視線をやった。剣はもはやなにも語らず、そこにあるだけだった。
結局剣の本心は、フリッツにはわからず仕舞いだった。
日が昇り、木の陰に繋がれていたパタ坊が奇声を上げたことで、その場にいる一同は目を覚ました。
「いやあ、目が覚めてくれて本当に助かりました。このままフリッツさんが死んじゃったら、ぼくも無事では済まないだろうなと思ってましたから」
相変わらず悪びれもせず、微笑みながらミチルはそう言ってのけた。
「昨晩は気が付いたらフリッツさんがいないんですもの、びっくりしましたわ。捜し回っても見つからず、挙句の果てにボロボロになって帰ってきて」
「ミチルがこいつの背中の上に乗せてきたんだ」
「そうだったんだ。ありがとう、パタ坊」
ティアラとラクトスに言われ、フリッツはパタ坊を見た。しかしグエェと鳴くパタ坊は相変わらずおっかなく、撫でてやるというわけにはいかなかった。
ルーウィンがしゃがんで、フリッツの具合を確かめる。
「で、どうなの? ちゃんと眠れたみたいだけど、呪いはちゃんと解けてるの?」
最後の夢見が良くなかったのを知っているだけに、ルーウィンは慎重だった。
フリッツは笑った。
「多分大丈夫だよ。もう眠くないし、すごく気分がいい。眠るってこんなに大切なことだったんだね」
それを聞いて、ラクトスは一安心したように息を吐く。
「やれやれ、これでやっと先に進めるな。ところで、どうやって呪いを解いたんだ?」
「それが、ぼくにもよくわからなくて」
「まあ、いいじゃない。解けたことには変わりないし。ほら、ちゃっちゃとここを発つ準備をするわよ」
ルーウィンが動き始めると、ミチルとチルルも荷物をパタ坊に積み始めた。そして身軽にパタ坊の背に飛び乗ると、チルルに手を貸して登らせる。
「じゃあ、ぼくらもこのへんでおいとましますね」
すぐにでも発とうとするチルルに、フリッツは駆け寄った。
「呪いも解けたみたいだし、もうぼくから離れないなんてことはないと思う。この剣、返すね」
フリッツは元呪いの剣をチルルに手渡した。
「おかしいと思うかもしれないけど、夢の中で少しだけあの剣と喋ったような気がするんだ。望みを叶えてくれてありがとう、って言われたよ」
パタ坊に騎乗しているため、ミチルの頭はフリッツからかなり高い位置にあった。ミチルはフリッツを見下ろして目をぱちぱちさせると、くすっと笑った。
「フリッツさん。ぼくなりに、呪いの解けた理由を考えてみたんですが。その剣の望みは殺戮ではなく、その間逆のもの。例えば、誘惑に負けないことであるとか、誰かを護るとか救うこと、そういうものだったのではないでしょうか?」
チルルは呪いの剣に視線を落とす。
「この剣は、鍛えられると同時に、次々と名だたる悪党や金持ちの手を渡ってきました。きっといいようには使われてこなかったのでしょうね。
武器は相手の命を奪いかねない道具ですが、もともとは身を守るため、何かを護るためにあるものです。本来創られた目的とは正反対に使われてしまった、その無念さがこびり付いて、呪いという形になってしまったのかもしれませんね。まあ、あくまで想像です」
「ぼく、昨日のことあんまり覚えてなくて。その、眠くて。呪いを解くような、そんなに大層なことをした覚えはないんだけど」
フリッツが呟くと、チルルはなにかを思いついたかのように兄の荷物の中を探り始めた。
しかし目ぼしいものがなかったのか何も取り出さず、パタ坊の背からするりと降りると、しばらくしてすぐに帰ってきた。
チルルは何も言わないまま、フリッツのもとへやってきて手を差し出した。小さな手の中には小さな花が一輪握られていた。
「受け取ってやってください。チルルなりのお礼だそうです。少なくとも、チルルはフリッツさんに護ってもらったと、そう思っているようですよ」
「……」
ミチルが言うと、チルルはこくこくと頷いた。
「ありがとう。じゃあ、もらっておくね」
フリッツがその花を受け取ると、チルルはにこっと微笑んで、素早くパタ坊に飛び乗った。
「剣に感謝されたということは、ひょっとして今までの悪夢の代わりに、何かいい夢でも見せてくれましたか?」
ミチルの問いに、フリッツは首を横に振った。
「そうですか、それは残念です。また近いうちにお会いできるといいですね」
「うん。道中気をつけてね」
ミチルは手綱を握ると、チルルとパタ坊とともにゆっくりと街道に向かっていった。
二人と一匹を見送り、フリッツはまっすぐ野営地へと戻った。ルーウィンたちはすでに発つ準備が出来ており、フリッツはいそいそと身支度を始めた。
「しかし今回は災難だったな。お前の不注意が招いたこととはいえ」
あとはフリッツの支度を待つだけのラクトスに言われ、フリッツは思わず小さくなった。
それを見たティアラがラクトスをなだめる。
「まあまあ、もう終わったことですし。でもフリッツさんの真剣も、あんまり放っておくと怒って呪いの剣になってしまいますよ。たまにはきれいにしてあげてくださいな」
ティアラがそのことを口にして、フリッツは初めて気が付いた。自分は呪いの剣をミチルに返したが、その代わりに担保として渡していたマルクスの真剣を受け取りそびれていたのだ。
「あっ、そうだった! 師匠のを返してもらうの忘れてた!」
「なに言ってるの? あんたのならそこにあるじゃない、ほら」
ルーウィンが指を刺す先には、木の幹に立てかけられた古びた真剣だった。フリッツが手に取ると、間違いなく本物だった。
マルクスに押し付けられ、ここまで背中に背負ってきた錆付いた剣、そのものだ。
「ミチルったら、いつの間に返してくれてたんだろう。別になくても良かったんだけどな」
「何言ってるんだ。旅してるくせに真剣の一つも持たないでどうする。まあ、いざというときは質にでも入れるから、一応持っとけ」
「うん、そうするよ」
フリッツはラクトスにそう答え、渋々ながら古びた剣を背負った。
しばらく道を進んで小休止を取っていたミチルは、積荷の中に顔を突っ込んで素っ頓狂な声を上げた。
「あれぇ、おっかしいなあ。チルルー、フリッツさんから貰った剣知らない? この呪いの剣じゃなくて、元々フリッツさんのやつ」
木の下にちょこんと座って大人しく昼食を食べていたチルルは、ふるふると首を横に振った。パタ坊も近くの川で喉を鳴らしながら水を飲み、大きな魚影を見つけては捕食していた。
ミチルは腕を組んで首をかしげる。
「絶対ここに入れたのになあ。おかしいなあ。まあ、ぼくが持っていても仕方ないと言えば仕方ないんだけど。ああ、もったいない。でも、仕方ないかあ」
言葉とは裏腹にフリッツの剣を諦めきれないミチルの額に、チルルはこつんと小さな拳をぶつけた。
「わかってるって、もう諦めるよ。あーあ。あの真剣も、やっぱり勝手に持ち主の元に戻っていったのかなあ」
ミチルはそう呟くと、諦めて積荷を再びパタ坊の背に積み直した。
そして自分とチルルもパタ坊に飛び乗ると、手綱を握って街道を進んでいった。
【6.5章 呪いの剣】




