第八話 捧げられた女王
【第6章】
【第八話 捧げられた女王】
脅迫文に従い、女王は祭壇に捧げられた。
指定された場所はグラッセルの街のはずれに位置する廟であった。
代々グラッセル王が葬られ奉られるその廟には、穀物などを神に捧げる祭壇が備え付けてある。そこに目隠しをし、身体の自由を奪った状態で女王を寝かせておくというのが細かな指示だった。もちろん警備や護衛はなしだ。
さながら生贄の祭壇である。
王家の廟に女王を捧げろというのだから、これはグラッセルに対する宣戦布告以外の何物でもない。
夜、女王は静かにその身を横たえていた。紅い髪が祭壇から流れ落ち、窓から差し込む月明かりがその姿を照らし出す。石造りの祭壇からはじわじわと冷たさが染みてくる。
目隠しをされているので、周りの様子が伺えないのがより不安を掻き立てる。女王は自由を奪われ、同じ姿勢でずっとその場に寝かされているのだった。
扉がゆっくりと押し開かれる気配がした。
それに気がつき、女王は息を呑む。
ついに、来たのだ。
「現グラッセル女王の、シェリア=フェルナンド=グラッセルで間違いないか」
男の声が聞こえた。仲間に問うているのか、女王に問うているのかはわからない。
しかし女王は、首を縦に振った。目隠しをとって本人の確認をするかと思いきや、逆にさるぐつわを噛まされた。
乱暴はされなかった。しかし、担架のようなものに乗せて運ぶ気らしい。
女王はゆっくりと自由の利かない身体を持ち上げられた。気配からして、作業をしているのは男だろう。担架に下ろされ、静々と廟の中を運ばれる。男たちは何も話さなかった。
女王はいぶかしんだ。もしかしたら、この男たちも操られているのかもしれない。
しかし目が見えない今、それを悟ることはできなかった。第三者の目から見れば、まるで葬列のような光景なのだろう。想像して、女王は思わず身震いした。
ここからどこへ連れて行かれるのか見当もつかない。しかし身の安全のため、常に周りがどのような状況にあるか意識をしている必要があった。目隠しに身動きの取れない状況で、いつ何をされるかわからないのだ。
しかしその考えもむなしく、廟を出ると同時に女王は鼻に布を当てられた。
薬品を嗅がされたのだ。
急激に、抗いがたい睡魔に襲われ、女王は目を覆っている布の下で静かに瞼を閉じた。
「目が覚めた? お嬢さん?」
女王は目をしばたかせた。ずいぶんと眠っていたようだ。猿轡や手首足首の拘束は相変わらず、目隠しだけはとられていた。柱かなにかのようなものに縛り付けられ、床に直に座らされている。
女王はあたりを見回した。その場所に、思い当たる節があった。
グラッセル王宮に代々伝わる、もう一つの王宮とも言われるべき場所。かつて王国がまだ文明であったとき、祖先たちが創り上げたとされる地底空間。
女王が拘束されている場所は、まさにそこだった。
高い高い空間には、どう立てられたのか何本もの円柱が一定感覚で天に向かって伸びている。とても地底とは思えないこの場所を、そうであると指し示すのは天井から漏れる光だけだ。窓と呼べるものが一切ない、ただっ広い空間だった。
女王は近くに立っているはずの声の主を確かめようとした。
しかし、照明が全て自分に向けられているらしく、逆光になってその顔は見えない。
「状況は飲み込めた? ここはグラッセルの地底王宮よ。もっとも、今は有事の際のシェルターとして王族に代々伝わっているみたいだけど」
灯台下暗しとは、まさにこのことだ。賊が王宮の地下にあたる場所に身を潜めているなど、誰が考え付くだろう。そして女王は驚いていた。
今自分に話しかけている声の主は、女性であったのだ。
「この娘を、残りの娘たちのところへ連れて行って」
「しかしルビアス様。この娘が女王であるという確認は」
部下らしき男が女に尋ねた。その言葉に、女王の心臓は思わず飛び跳ねそうになる。
女は言った。
「ばっかねえ。そんなのしなくたって決まってる、その娘も偽者よ。女王渡しなって言われて、素直に渡すバカがいるもんですか」
「グラッセルめ! 小賢しいマネを!」
女王は息を呑んだ。顎の下に、冷たい感触と少しの痛みを感じる。
逆上した男が、女王の喉下に刃物を突きつけたのだ。
偽者と聞いて、手下たちはざわめいた。「ふざけるな!」「殺っちまえ!」と次々と罵倒の声が上がる。
女の言うとおりだった。
女王は、またしても代役だった。
賊の声はいつの間にか一つに揃っていた。殺せ、殺せと連呼する。
偽女王はごくりと唾を飲んだ。そして視線を走らせる。いったいどれだけの人数がこの場にいるのだろう。
十人、いや二十人か。小さなコソ泥集団ではない。十分に頭数の揃った一団であるのだ。
しかし、今はそれどころではなかった。このまま喉を掻っ切られて死んでしまうかどうかの瀬戸際だ。視線を下げると、そこにはぎらつくナイフがある。
思わず目をきつく瞑り、猿轡を強く噛む。
「うるっさいわね! トリ頭は黙りなさい!」
手下たちの収集がつかないのを見て、女は声を張り上げた。
部下たちは驚いて、その場は水を打ったかのように一瞬で静まりかえる。
同時に、偽女王の首元から刃物が遠ざかった。偽女王は安堵から、深くため息をついた。
「だーかーら! 国が女王を渡さなかったっていう事実が欲しいのよ。国民を見捨て、自分の身だけ護ったっていう醜聞がね。おわかり? 最初から本物がやってくるだなんて、そんなおめでたいこと考えてないわよ」
部下たちは黙り込んだ。異を唱えるものは一人もいない。
女はしゃがんだ。
「あなたも可哀想ねえ、女王の代役だなんて。大方権力にモノ言わせて、どっかから連れてこられたんでしょう?」
偽女王は細い女の指に顎をつかまれて顔を上げさせられた。女の後ろでカンテラが煌々と光っているので目が眩み、やはり女の顔は見えなかった。
しかし反対に、偽女王の顔は丸見えになっているはずだ。偽女王は出来るだけ顔を横に逸らした。
不意に女が「ぷっ」と噴出したように思えた。
その身体は小刻みに震えている。何かと思っていたら、女はどうやら笑いをこらえているらしかった。
偽女王は顔を真っ青にした。
「ルビアス様、いかがされました?」
その様子を不審に思った部下に尋ねられ、ルビアスと呼ばれた女は目に浮かんだ涙を拭った。
「よく見ると、この娘かわいいわぁ。すごくわたし好み。殺しちゃうの、残念ね」
「はっ。しかし生贄になる娘はその者で最後になりますので」
生贄、という言葉に偽女王は思わず耳を疑う。
しかし女はそんなことにはお構いなく、間延びした声を発した。
「えー、ちょっとくらいいいじゃない。最近うちのシア、髪の毛いじらせてくれないのよ。ねえ、絶対返すから。着せ替え人形にして遊んできちゃダメ?」
女はかなりしつこく部下に迫った。女が言い出したら退かないのを熟知しているのだろう、部下は渋々ながらその要求を飲んだ。
「ルビアス様がそこまで仰るなら。しかし、絶対ですよ。絶対に儀式の時間までには返却くださるようお願いいたします」
「はいはい、わかってるって。んじゃ行きましょ。ほら、立って」
偽女王は、柱に縛りつけられていた縄を解かれた。そして女に腕をつかまれて無理やり立たされる。
内部を知られないようにするためか、再び目隠しをされて偽女王は連れられていった。足の自由は解かれ、女の手に引かれて進む。
そのため女がどういう顔かまだわからなかったが、少なくとも引かれている手の位置から自分より上背があることはわかった。
女はヒールの音を通路に響かせながら、松明の灯された道を進んだ。時折見張りがいるらしく、敬礼をする気配がわかる。この女、どうやらそこそこ地位のある人物らしい。でなければ、生贄になる娘を勝手に連れ出すなどという行為は許されないだろう。
しかし、いったいなんの生贄だろうという疑問がよぎる。
「はい、到着。わたしのテント」
女はそう言って偽女王を椅子に座らせた。暗かった通路から、明るい場所に入ったのが目隠しの布越しに分かった。
女はナイフを取り出した。それがなんとなく気配で分かり、思わず偽女王は息を呑む。
しかし女は、そのナイフを振り上げるでもなく、偽女王の手首の縄を解いた。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ。しばらく戻って来なくっても、絶対にここから出ちゃダメよ。いい? 絶対だからね。今来た方向と逆の通路は見張りなんていないけど、それでも勝手に出て行ったらだめよ。身の保障はしないわ。じゃあね」
そう言って女は、椅子の上にぽかんとした偽女王を目隠しだけ残したまま、天幕から立ち去った。
偽女王は、しばらくそのまま動かなかった。
しかし、足音からも本当に女は遠ざかっている。どうやら本当にここからいなくなるようだ。
とにもかくにも、これはチャンスだ。
偽女王は自由になった手で目隠しを外した。天幕の中は意外に広々としており、真ん中に吊られたランプで明るく、清潔感があった。普通の部屋なのではないかと思えるほどベッドやら調度品やらが置かれ、その上にアクセサリーが置かれている。
女はこの潜入の間、地上の暮らしと変わらない、何の不自由もない生活をしていたことが窺えた。やはり優遇されている。
人質の身体の枷を外し、安全な空間の中に一人取り残す。これではまるで逃げろと言っているようなものだ。
気まぐれか、あるいは罠か。
しかし、今はそんなことを考えている猶予はない。やるだけやってみるだけだ。
偽女王は紅く流れる髪を頭の上からすぽっと外した。かつらは蒸れていて、ずっと頭を掻きたいのを我慢していた。
女がいなくなり、心身ともに開放された偽女王は肩から腕を回した。同じ姿勢で動けないということがこんなに疲れるものだとは思ってもみなかった。
「ふぅ。体中が痛いや」
偽女王、もといフリッツはため息をついた。
今回女王の身代わりとして白羽の矢が立ったのは、あろうことかフリッツだった。
話が出た当初、冗談だろうと思って笑っていたのだが、皆本気であると悟った瞬間のあの絶望感をフリッツは一生忘れることはないだろう。
これは尊い犠牲なのだ、誰かがやらねばならないのだと大臣と隊長に言いくるめられ、ティアラのためだとラクトスに止めを刺されれば、それはもうやるしかなかった。
しかし散々笑われた挙句、目に涙を浮かべたルーウィンに肩を叩かれたときのやるせなさ。男として大切な何かを失ってしまったと思うのは、気のせいだろうか。
明るい天幕内で、自分の着ているドレスが目に入り、思わず口元が引きつった。こんなことにでもならなければ、一生着ることなどなかっただろう。しかし、まったく嬉しくはない。
「……脱ごう」
フリッツはかさ張るドレスを脱ぎ捨てた。無理やりに脱いだので破れる音がしたが、聞こえなかったことにした。腹部に食い込むコルセットを苦心の末に外し、思い切り息を吸い込む。大量の空気が突然肺に流れ込んで思わず咳き込んだが、先ほどまでの息が出来ない状態よりは幾分マシだ。
白い絹の手袋を外し、それで口元を拭って紅を、そして瞼のシャドウも落とす。ヒールの高い靴を放り投げ、裸足で進むことにした。
男物のシャツに情けで履かせてもらった薄手のズボン、裸足に隠し持っていたナイフと、少しの間にずいぶんとまともな格好になった。
「もう、二度とこんなことやらない」
口をへの字に曲げてフリッツは呟いた。自分が女々しいのは薄々自覚していたが、やはり男が一番だと心底思うフリッツであった。
フリッツは敵に見つからないよう、影に身を潜めた。今持っているのは、ドレスのスカートに潜ませていたナイフだけだ。頼りのウッドブレードはない。
得物がない以上、ましてや敵地の真っ只中では、敵と衝突するのはなんとしてでも避けなければならない。
地下のどこかに捕えられている、ティアラを捜す。それが最優先だった。
ティアラが女王の影武者に選ばれた際、協力を仰いだ彼女に、フリッツはすぐに良い返事をすることが出来なかった。あの時の自分は酷く情けなく、薄情だった。そして広場の騒動で、ティアラを目の前で攫われてしまった。
なんとしてでも彼女を救わなければという強い思いが、フリッツの中にあった。
敵地潜入なんて大胆にも程がある。しかし相手が女王を要求してきたことを逆手に取った作戦だった。もちろん、偽者だとばれてしまえばすぐにでも殺されてしまう恐れは十分にある。
しかし誰かが身代わりをしなければならないならと、フリッツはそれを受け入れたのだ。
フリッツは明かりのついた場所を目指した。人がいる場所に行かなければ何も掴むことは出来ないが、同時に見つかってしまう危険性がある。フリッツは慎重に進んだ。
途中、通路で男たちが歩いていくのとすれ違ったが、松明の影の部分になんとか収まり、その場を切り抜ける。男たちが行ってしまうと、フリッツは胸を撫で下ろし、物陰に身を潜めながら先を急いだ。
そしてついに、通路の向こうに、煌々と明かりが漏れている場所を見つけた。フリッツは息を殺し、壁に張り付いて様子を窺う。
賊が、いる。
幸い、彼らは各々自分たちの作業に集中しており、フリッツに気がつく者はいなかった。大胆にも首を伸ばして、フリッツは部屋の中を探った。
この部屋もまた、高い天井の広間だった。確かに中は明るいが、部屋が広いため隅々には影が残されている。壁際に沿って階段が続いているのを見つけ、しめたと思った。高い位置からなら、この空間の全貌を見下ろすことができる。
ここにティアラがいるかどうかもわかるかもしれない。いなければ、また別の部屋を当たるまでだ。この地下空間に賊がどの程度根を張っているかも見極める必要があった。
フリッツは部屋の中に滑り込んだ。自分でも考えられないほど、大胆な行動だった。階段が老朽化していないことを祈りながら、上り始める。幸い石で組まれており、がっしりとしていて軋むようなことはなかった。
フリッツは裸足のまま、足音を立てないよう階段を上った。その広間は三階分ほどの吹き抜けになっており、フリッツは見下ろして、中の様子に目を見張った。
思った以上に、人が、賊が多い。
シェリア女王の話で、この一連の事件は漆黒竜団という一味の仕業であると聞かされた。しかしそれはあくまで可能性で、知名度の高い彼らの名を騙っている小規模な盗賊団である可能性もなきにしもあらず、ということだった。だがこの様子では、どうやら悪い方の予想が当たってしまったようだった。
フリッツは少し、甘く見ていた。裏で糸を引いているのは、どうせケチな盗賊かなにかだろうと思っていた。
ところが、先ほど女王に扮したフリッツを取り囲んでいた人数を考えても、そんなに小さな規模の集団ではない。みな一様に黒っぽい服に身を包み、それぞれの作業に取り掛かっている。賊というよりは、組織という印象だった。
一般に盗賊団は、多くてもせいぜい二十人ほどで構成されている。それ以上は統率がとれないからだ。しかし、これだけの人数がいても、上から見ていて勝手に動く者がいない。
(……これは、まずいよ)
おそらく、敵はここにいる人間が全てではなかった。フリッツが予想していたより、はるかに大きな勢力を相手にしていたのだ。グラッセルが手間取るのも無理はなかった。
国家転覆。
そんな不穏な言葉が、フリッツの頭によぎった。
(まさかこんなところで、あなたとまた会えるだなんてね)
ルビアスはその口元に不敵な笑みを浮かべていた。黒い短髪に、紅の差された口元。細い腰から下がるベルトにはレイピアを吊っている。
偽女王の正体は、なんと顔見知りの少年だった。そのことに気がついたときの驚きと意外性。
人生とは、こんなにも面白く出来ているものなのか。今思い出しただけでも、口元が緩んでしまいそうになる。
以前に会ったとき、ルビアスは名乗らなかった。フリッツも今回敵地に単身で送り込まれたのだ、自分の正体を見極めるほどの余裕はないだろう。
クーヘンバウムの街で会い、杯を交わした女だとは気がついていないはずだ。
(……確実に近づいてきてるってわけか。アーサーが見つかっちゃうのも、時間の問題かもね)
ルビアスは腕を組み、満足そうに目を細めた。
「早くしないと、また一つ遠ざかっちゃうわよ。弟くん」
ルビアスは一人、楽しげに呟いた。




