第三話 リベンジ
【4.5章】
【第三話 リベンジ】
フリッツはロブの家へと辿り着いた。小さな村であるため、迷うことはなかった。
家の前に立ちノックをしようとしたが、戸が僅かに開いている。ロブが駆け込んだまま、鍵もかけずにいるに違いない。
「お邪魔します。入るよ、ロブ」
フリッツは声を掛けて家の中へと足を踏み入れた。
まだ母親は帰ってきていないようで、部屋の片隅に置かれたベッドにロブが転がっていた。クッションに顔をうずめて、声を押し殺して泣いている。
暴力を振るわれた上に、結局罵倒されるだけで終わってしまったのだ。悔しい思いをしているに違いない。ティアラが治癒術をかけていたので、身体のほうは大丈夫だろう。現にロブはここまで全速力で駆けてきている。しかし、心は深く傷ついてしまっていないだろうか。
フリッツはどう声をかけたらいいのかわからなかった。
ベッドに腰掛け、泣いているロブの横に座る。
「痛かったよね。怖い思いさせて、ごめんね」
許してもらいたいのではないが、ついその言葉が口をついて出てしまった。明らかに自分の判断ミスだ。ロブを元気付けてやりたかった。威勢のいい、元のロブに戻したかった。しかしそれは、ロブ本人が落ち着いてからでなければ不可能だ。
フリッツは待った。
「ごめんね。ぼくが足引っ張ってばかりで、上手くいかなくて。落とし穴やタライで上手くいってたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
「……そんなことない。デコ兄ちゃんのせいじゃない」
ロブは顔をうずめたまま、くぐもった声で言った。
ロブの嗚咽はしばらく止まなかった。フリッツはその間ずっと隣にいた。
ロブはやがてゆっくりと身体を起こした。泣いていて目は腫れ上がっているものの、ぱんぱんになっていた頬は何事も無かったかのように落ち着いている。ティアラの術が効いたらしい。
「……ぐやしい」
ロブはフリッツにしがみついた。フリッツは頭を撫でてやる。
少し復讐の手助けをするつもりが、まさかここまで酷いことになるとは思っていなかった。いざとなったらフリッツが身を挺し、ビンタを張られるくらいでなんとかならないものかと、甘く見ていた。最近の彼女は丸くなったように感じていたため、油断していたのだ。それはとんだ誤算だった。
フリッツは、ロブを殴った時のルーウィンを思い出した。思わず、身震いしそうになる。
あのときの迫力は、まるで出会った最初の頃のルーウィンだ。次に会ったら、殺してやる。そうならず者に言い放ち、ファイアテイルをなんのためらいも無く人に向かって打ち込んでいた彼女だった。
あの、ギラギラした視線。
怒りが燃えている瞳の色。あの時と同じだった。
「あいつ、おんなじこと言いやがった。ちくしょう……!」
ロブは小さく呻いた。その声に、フリッツの意識は引き戻された。
「怪我して倒れてる父ちゃんに向かって、あいつ言ったんだ。ザコはどうあがいてもザコのままだ、って。弱いくせに冒険者なんてやってるからこんな目に遭うんだって」
言って再びロブは泣き始めた。これだけ声を出して泣くことができているのは、良いことだとフリッツは思った。胸にこびりついているのは恐怖ではなく、悔しさだ。悲しくて泣いているが、そのための元気はある。フリッツはため息をついて安堵した。
弱者が強者に立ち向かうことを、彼女は決して認めない。
だがそれは、同時に彼女自身を傷つけているように思えるのだ。
ザコのくせに。弱いくせに。
そう吐き捨てて、彼女が進む理由はなんだろう。フリッツは考えをめぐらせていた。
ようやく落ち着きを取り戻したロブは、涙をぬぐってフリッツを見上げた。
「デコ兄ちゃん、剣士なんだろ?」
「うん。まあ、一応ね」
「おれに剣術を教えてよ」
「へっ?」
予想外のことに、思わずフリッツの声は裏返る。
どうやってロブを慰めようか、その言葉ばかり考えてきたのだ。まさかその発想があるとは思いも寄らなかった。
ロブは鼻をすすった。
「小細工じゃあいつには勝てないって、わかったんだ。あいつに勝つには、本当の力をつけなきゃだめだ。頼れるの、デコ兄ちゃんしかいないんだ。頼むよ」
驚いたことに、ロブはルーウィンへの復讐を諦めてはいなかった。まだやるつもりなのだ。
どこからそんな気力が湧いてくるのかとフリッツは感心したが、慌てて首を横に振る。
「だめ!」
「なんでさ!」
ロブも負けじと食らいつく。フリッツはロブの肩に手を置いて、視線をしっかりと合わせた。
「剣の道はそんなに甘くない。付け焼刃で覚えられるものじゃないよ。ぼくなんてもう十年もやってるけど、それでもまだまだだし。何より、ルーウィンに勝てる気がしない」
「それはデコ兄ちゃんだからだよ。おれだったらすぐに技を習得して、あの悪魔をやっつけられるかもしれない」
「だめだ! ルーウィンの言ってたこと、忘れたの? 武器を持った子供なんて、ルーウィンが一番嫌いなものだ。今度こそただじゃ済まないかもしれない」
万が一にも、彼女がロブの命を奪うようなことは無いだろう。急所を知っている彼女だから、手加減も知っている。しかし、いずれは治る身体の傷ではなく、もしかしたら心の傷ができてしまうかもしれない。
それこそダンテに打ち負かされて居なくなってしまった、ロブの父親のように。
しかしロブも必死だった。引き下がる気配はまるでない。
「お願いだよ、一生のお願い! 悔しいんだよ。このまま引き下がるなんてできないんだ!」
ロブはフリッツに向かって頭を下げた。
フリッツは眉を八の字に下げる。いくら頼まれたって、答えは決まっている。まだ門下生である自分が剣を教えるなどということは出来ない。なによりさっきまでロブに協力すべきではなかったと、強く後悔していたフリッツだった。
ロブに剣術を教えるなど、ルーウィンの怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならないだろう。何度頼まれても、絶対に首を縦に振るつもりは無かった。
しかしロブの目は真剣そのものだ。子供にここまで必死に頼みごとをされたことはなく、フリッツは自分がとてつもない悪役であるかのような錯覚に陥りそうになった。
元から従順ではない子供が、自分に向かって必死に頭を下げている。フリッツは目を瞑って逃げてしまいたかった。
「頼むよ。おれ、もうどうしたらいいかわからないんだ。他になにもないんだ。あいつをやっつけたい。それだけなんだ」
ロブは最後にそう言うと、フリッツの前にずるずると崩れ落ちて泣いた。
また始まる、わんわんと小さな家に響き渡る泣き声を聞いて、フリッツはどうすべきなのかを再び迷いはじめていた。
「で、なんでこうなるんだ」
仏頂面をしたラクトスは畑の柵に腰を預けていた。
横には苦笑いを浮かべるフリッツと、目の前には木の棒を持って素振りに励むロブがいる。小さな家の前にある小さな畑の横で、ロブは掛け声と共に何度も素振りを繰り返していた。
「なんでって。色々、思うところがあって」
フリッツはちらと隣にいるラクトスの様子を窺った。ラクトスは腕を組み、完全に呆れた顔をしている。
「お前甘すぎ。こんな付け焼刃の練習でどうにかなるわけないだろ。またビビらせたいのか?」
「そうじゃなくて」
フリッツだって、何の考えもなくただロブの懇願に負けたわけではない。
このまま引き下がるよりも、再度挑戦する方がいいと、フリッツ自身もそう思えたのだ。
「あれだけ怖い思いをしたのに、また挑戦できるのは凄いことだと思うんだ。本当なら、ルーウィンを見るのだって嫌だと思う。でもロブには、その怖い気持ちに打ち勝って立ち上がる勇気がある」
「勇気なんかじゃねえ。ただの執着心だ」
「そうかもしれないけど……」
ラクトスの言うことはもっともだ。しかし、その反面フリッツは思う。
「でも少なくとも、その執着心は、恐いっていう気持ちに勝ってる」
それは無視していいものではないと、フリッツには思えたのだ。
「勝負に勝てるとは思ってないよ。でも、思うとおりにやらせてあげたいんだ。それに少しは健闘できたら、これでルーウィンのことはすっきりするかもしれない。ルーウィンが恨まれたままなのはいやだし、ロブだってあの歳で誰かを恨んだままなのは良くないよ」
それがフリッツの本音だった。
ロブの気持ちも認めているが、このままずるずる恨みを引きずっていってほしくはない。それならここで、この機会に決着をつけ、ロブはその執着から解き放たれるべきではないだろうか。
人を恨みながらこれからの時間を過ごしては彼の精神衛生上良くない。それにルーウィンは恨まれていることなど気にしないだろうが、フリッツが嫌だった。ルーウィンは決して悪い人間ではない。彼女が誰かに恨まれながら生きるのも良いことではないはずだ。
このままでは双方にとって良くないと、フリッツはロブに剣を教えることにしたのだ。
「大怪我して、一生後悔する羽目になるかもしれないぜ」
ラクトスが言うと、フリッツは首を横に振った。
「それはぼくが、絶対にさせない。そんなことになったら、なにがなんでも止めてみせる。それにぼくは、ルーウィンは分別のない人間なんかじゃないって思うんだ。子供に大怪我をさせたりなんかしないよ」
「どうだか。まあ、勝手にするんだな」
ラクトスは柵にもたれかけるのをやめ、立てかけていた杖を手に持った。
素振りに励んでいたロブが、フリッツに向かって駆けてきた。
「デコ兄ちゃん! いい加減に素振りばっかり飽きちゃったよ。もっと凄いの教えてよ、必殺技とかさ!」
飽き性な子供がほどなく言い出すことだ。地味な反復練習は確かにつまらないだろう。フリッツはロブに向き合った。
「ないこともないけど、だめ。必ず殺すと書いて必殺技だよ? そんな危ないのは教えられないよ」
「ケチー」
「はいはい、文句言わない。斬り、突き、次は守り。こういうのは地味なところが一番肝心なんだから」
ロブはぶつぶつ言いながら素振りに戻っていった。その進みの遅さに、ラクトスは苦笑いを浮かべる。
「……お前、そんなので大丈夫か」
「何事も基本が大事だからね」
それはそうなのだが、ルーウィンとの決着は明日に控えている。基礎を怠りたくはないが、フリッツはどうしたものかと考えていた。
「まあ、あいつと顔合わせると色々厄介だし、遅くに帰ってこいよ」
先ほどの茶番にフリッツが一枚噛んでいたとわかれば、その火の粉はフリッツにも振ってかかる。ヤケドどころでは済まされないだろう。
ラクトスの言うとおり、フリッツは遅くに宿へ帰ろうと決めていた。
「うん、そうする。ルーウィンは?」
「おれが出てくるときはまだ戻ってなかったぞ」
怒ってそのまま飛び出していったきりということだ。怒りに任せて無茶をしてなければいいけど、とフリッツは思った。
フリッツはその日夜遅くまでロブに付き合った。ロブはなかなか筋が良かった。とはいえ、それはその歳の子供にしては、という意味である。初めてにしては様になるのが早かったが、所詮一日足らずの修練だ。しかしそれでもロブはやる気満々だった。
再戦は明日の正午という約束をして、フリッツはロブのいびつな文字で書かれた果たし状を預かった。ご丁寧にも封筒に入れられて封をしてある。
フリッツは果たし状をルーウィンに渡し、なんとか決闘の場まで彼女を連れてこなければならない。それはかなり骨の折れることで、確実に出来ると約束できるものではなかった。殴られた上につき返されることだって十分に考えられる。ロブの勝負は明日の正午だが、フリッツの戦いはもう少し早くから始まるのだ。
フリッツはロブに言い含めた。
「ぼくがルーウィンを連れてくるから、ぼくの見てる前で勝負をすること。これが絶対の約束だからね」
「うん、もちろん。デコ兄ちゃん、また明日な!」
フリッツは何度も何度もロブに念を押して、遅くに宿屋へ帰っていった。
翌朝。
ロブはすでにルーウィンとの決着をつけるべく、村の旧広場にいた。
村の中でも奥まったところにあり、今は使われていないためあちこちに草が生え、ただの空き地となっている。よそ者のフリッツでは知りえない場所だ。
フリッツには、悪いことをしたと思っていた。自身が見守る中で、悪魔との勝負をさせたかったのだろう。
しかし、それではだめなのだ。最後までおんぶに抱っこでは、意味が無い。
復讐は、そんなものではない。本来は誰の力も借りず、自分だけで、静かに終わらせるものなのだ。 この勝負、ロブには男としての意地がかかっていた。
(勝って証明してやる。強いものに立ち向かう、それが悪いことのはずがないんだ! 父ちゃんのしたことは、間違ってなんかいないんだ!)
ロブはフリッツとの約束を破った。
果たし状の中身はフリッツとの話し合いで決めた時と場所ではない。問題は、悪魔がそれを読んでいるか、そしてここまで来るかだ。その場を行ったり来たりしながら、ロブはその時を待っていた。
そして朝もやの向こうから、ついに人影が現れる。
悪魔が、来た。
ロブは木製の剣、ウッドブレードを握り締めた。この時のためにフリッツから預かったものだ。早朝にも関わらず、悪魔のほうもしっかりと目が冴えているようだ。
ピンクの髪を高く結い、胸当て、グローブの装備に矢筒と弓。
数年前、父親がギルド潰しと戦い、倒れた後。ギルド潰しは何も言わずにその場を去った。倒れた父親に駆け寄り、ロブは名前を呼んだ。意識はあるのがわかり、ほっとしたときだった。悪魔に捨て台詞を吐かれたのは。
目の前が真っ赤になるほど、幼いながらに怒りが湧いた。
きっと父親はギルド潰しのダンテのほうを深く恨んでいる。ロブだってダンテが憎い。父親を出でいかせ、母を朝から晩まで働かせるきっかけとなったあの男が憎い。お陰でロブは毎日一人ぼっちだ。
しかしロブは、それよりもルーウィンの方が憎かった。ぼろぼろになった父親にすがりついた幼いロブに、当時の彼女は冷たい視線を向けて吐き捨てたのだ。なぜ傷ついた者にそんな追い討ちをかけるのか。ロブは答えを導き出した。
それは悪魔だからだ、と。
「このおれに恐れをなさず、ここまで来るとはな!」
ロブは悪魔に向かって言った。なかなかの口上だ。
しかし悪魔は何も言わない。
「一応聞くが、デコ兄ちゃんたちは来てないだろうな」
「あいつらなら来ないわよ」
悪魔は答えた。抑揚の無い声だ。
悪魔はやはり、こうでなければ。
ロブは剣を構えた。見慣れた剣に、悪魔は入れ知恵をした人間に思い当たったようで舌打ちする。
相手は弓使いだ。懐に入ってしまえば、こっちのもの。天才的な才能で剣術を身につけたとはいえ、自分より長く生きている悪魔のほうが有利であることに違いは無い。
勝負は早くつけてしまうに限る、ロブは思った。
「行くぞ、やあぁあ!」
ロブは声を上げて、向かっていった。剣の間合いを詰めて、振り下ろす。
しかしそれを、悪魔にあっさりとかわされた。ロブは顔を青くした。
もっと酷いことに、受け止められてしまっている。
だから本物のほうを貸してくれと言ったのにと、ロブはフリッツを少し恨んだ。
ぐぐっと力を入れるが、悪魔は細腕で剣を握ったままだ。
「あんたそれ、本気?」
悪魔は冷めた視線でロブを見た。至近距離で睨まれるが、怖くはない。それはロブが逃げるのではなく、立ち向かっているからだ。
勝負はまだまだ始まったばかりと、ロブの心は燃えていた。
「どうした、弓は使わないのか!」
「あんたに武器なんか使ってやる必要はない」
悪魔は右手でロブの刃を受け止めている。そしておもむろに左手でロブの鳩尾に拳を打ち込んだ。剣を両手で支えていたロブの腹部はがら空きで、その攻撃は低い音を立ててヒットする。
ロブは痛みに一瞬目を見開いたが、次には力が入らなくなってしまった。意識はあるが、その場に崩れ落ちる。
悪魔は剣を拾い上げ、ロブの脚を持って、ずるずると引きずった。顔が地面に擦られ、削られるような地味な痛みが襲う。
信じられない。
あっさりとした敗北だった。
まだ全ての力を出してもいないというのに。
「前菜にもならなかったわね」
悪魔はロブを広場のわきの草むらにぽいっと捨てた。続いて剣も投げ入れた。
「あたしの相手は、あんたじゃない。メインはここからよ」




