第七話 兆し
【第4章】
【第七話 兆し】
トーナメント四回戦目。いよいよあと二回勝ち抜けば、トーナメントの頂上、賞金が出るところまでフリッツは上り詰めていた。
「いや、さすがに今日あたりはもう無理だと思うなあ」
この日もフリッツは早々に弱音を吐いた。表情から察するに、その言葉は謙遜ではなく本音だった。しかし逃げも隠れもせず、割とあっさりと選手控え室に入っていった。
「じゃあ、おれちょっと」
「わたくし、何か買ってきますね」
もはや慣れてしまった席とりの後、ラクトスとティアラも次々と席を立った。
ルーウィンは一人で大人しく座っていた。今回は、なぜだか自分ばかりが席とりをしているような気がするが、気のせいだろうか。
配られたパンフレットで顔を隠し、片手で顔をぱたぱたと仰ぎながらルーウィンはだれていた。荷物の見張り兼席のキープのためにルーウィンは一人残っている。
「暑っつ……」
首筋に汗が滲む。矢筒と胸当てはとっくの昔に外してしまった。スカートを横に流して、なんとか風を通そうとする。一人で暑い思いをしていると、いつまで太陽に焦がされなければならないのかとグチのひとつでも言いたくなった。
遠目にフリッツが待機席に収まっているのがわかった。観客からも見える造りになっているが、あちらは翳っていて涼しそうだ。フリッツの明るい萌黄色は、ルーウィンの席からもよく見える。
試合の前までは挙動不審だったが、いまではすっかり落ちついたようだ。好きなときに席を立ったり、飲み物を貰ったりしている。試合が進むに連れ、選手への待遇も良くなっていた。
客にパンフレットが配られたり、審判ではなく実況者がついてマイクパフォーマンスがあったりと、「見世物」としての試合が進んでいた。
ルーウィンは視線を試合中の二人に戻した。剣の打ち合いは続いている。
しかしこう暑くては、観戦にも身が入らないというものだ。
「行けー! そこだあっ」
隣の席の親父が叫んで、ルーウィンはびくりと肩を動かす。頭が暑さでぼうっとしている上に、耳元で大声出されてはたまらない。キンキンする耳を抑えて、ルーウィンはだるそうに頬杖をつく。
わあっと歓声が上がって、観客が立ちあがる。勝負あったようだ。
(この暑いのに、よくやってられるわね……)
試合終了のゴングが鳴り、次の試合を知らせるアナウンスが響いた。人々はざわつき始める。試合の批評をしたり、身体を伸ばしたりしているのだろう。
ルーウィンの半分閉じられた視界に、背の高い女が映った。
「となり、いいかしら」
女はルーウィンの荷物を置いた席を指差す。
「すぐに行くから。あなた、あの木製の剣使ってる子のお友達でしょ?」
女は視線で待機席に座るフリッツを示した。ルーウィンは顔をしかめる。
「変な顔しないの。あなたと一緒に居たところを見ただけ。それにほら、昨日ちょっとだけあの子借りちゃったじゃない。なあに、怒ってるの?」
昨日のあの女かと、ルーウィンは思う。
女は微笑んだ。黒い短髪に、紅を塗った唇が印象的だ。同時に、油断ならない気配をルーウィンは感じ取る。
ルーウィンは黙って荷物を退け、自分の足下に置いた。女は長い足を組んで座る。
「いい心掛けだわ。でもあんまり警戒してると肩こっちゃうわよ?」
女はルーウィンに言った。ルーウィンは、ナイフを忍ばせたポケットに手を伸ばすところだった。
ルーウィンは一気に緊張する。女はフリッツの方を見ている。
ルーウィンの動作を気配で感じ取ったのだ。
(何者なの、この女)
ルーウィンは暑さを忘れて、神経を尖らせた。
「あの子、いい腕してるわね」
「まあ、ほどほどには」
フリッツの試合振りにはまあまあ満足していたルーウィンだったが、敢えてそっけなく返した。
女は視線を待機席から外し、ルーウィンを見た。女の口元が弧を描く。
「あなた、ダンテ=ヘリオって知ってる?」
ルーウィンは息を呑んだ。ここでダンテの名が出てくるとは思いも寄らなかった。
極めて冷静な素振りを保つ。
「ダンテはここには居ないわ」
「知ってる。こう見えてもあたしその手の情報網には詳しいの」
「何が言いたいの」
ルーウィンは女を睨みつけた。女はくすりと笑う。
「あなた、目立つわね。ここみたいな街なら修練所帰りの門下生に見られないこともないけど。毛色も派手だし」
「ネコかなにかみたいにいわないで」
「失礼。でも、本気で目的を果たしたいのなら、もっと目立たないようにやらなきゃ」
その発言で、ルーウィンには女が何を言いたいのか見当がついた。
「あんたのように、闇に紛れるとか?」
女はルーウィンの耳元に手を当てた。そして囁く。
「いいこと教えてあげる。あなたが、会いたくて会いたくてたまらない人の居場所」
ルーウィンはぴくりと肩を動かした。反射的に女から身を離す。
女の不敵な黒い瞳と、ルーウィンの茶色い瞳とがかち合う。
女は小声で言った。
「ここから少し先にいるわ、ステラッカって街よ。あまり大きな街じゃないから通りすぎないようにね。あれからずいぶん経つけど、覚えてる?」
「忘れるもんですか」
それを聞いて、女は満足そうに微笑んだ。
「邪魔したわね。それじゃあ」
リングの両サイドに、それぞれ若者がスタンバイしている。次の試合が始まるのを見計らって、女は席を立った。
女が見えなくなるまで、ルーウィンはずっと身を強張らせたままだった。
女の足音が、やけに耳に残る。競技場の白と日陰の黒とのコントラストが鮮烈に見える。首の脈が煩く感じられた。
自分の目的を知っている、あの女の存在。
そして、近いうちに目的を果たせるかもしれないという期待。
ルーウィンには、回りのざわめきが遠くの出来事のように思えた。
観衆が黒い波のように立ちあがって声援を送る。入れ違いに、飲み物を三つ持ったティアラが小走りで戻ってきた。ティアラの軽やかな声に、ルーウィンは引き戻された。
「お待たせしました。混んでてけっこう時間がかかってしまいましたわ。ぬるくなっていないといいのですけど」
ティアラはルーウィンにジンジャーサワーを手渡した。ルーウィンの様子がおかしいのには気がつかない。自分の冷えたミルクティーを一口飲むと、満足そうに息を吐いた。
「そういえば。さっきここにいらっしゃった方とすれ違いましたわ。ずいぶんお綺麗でしたね。お知り合いですか?」
「知らない」
ルーウィンはティアラを見ず、ストローを強く噛んだ。
眩しい炎天下から屋内へ入ったので、一瞬周りが見えなくなった。観客席から伸びる階段を降りる。 フロアには受付嬢以外誰も居ない。静かなものだと思いながら、女は外へ出る。再び日光の矢が彼女を襲った。
すかさず、いかにも軽そうなノリの男が声をかけてきた。女は余裕を持って微笑むと「また今度ね」と言ってあしらった。競技場の日陰に一台の車が止まっているのを見つけて歩き出す。声をかけた男は、その様子を見て顔を蒼くした。
車を引いているのはただの駄馬ではない。螺旋状に伸びた角をもつイッカクが二匹、優雅な物腰で大人しく待っていた。イッカクは相当な金持ちか、もしくは裏に精通している人間しか持つことは出来ない。この街では見かけないことも無いが、一目で一等高級なものだとわかる。
女はわざとゆっくり歩き、扉を開けた。
暗い車内には男が一人座っている。
「遅いぞ、ルビアス」
その台詞とは裏腹に、男の声音は淡々としていた。
「あらそう? 悪いわね、これでも結構時間気にしてたつもりなんだけど」
ルビアスと呼ばれた女は、ひょうひょうと言ってのけた。
「まあいい。早く乗れ」
「はーい」
ルビアスは馬車に滑りこんだ。扉が閉まったのを確認して、御者が鞭をとる。
イッカクはクーヘンバウムの街中をゆっくりと進み出した。
「あの子、見てきたわ」
ルビアスは細く長い足を組み、男の顔色を観察しながら言った。
男はしばらく黙っていたが、やがてその重い口を開いた。
「フリッツか」
「ええ」
予想通りの反応に、ルビアスは満足そうな笑みを浮かべる。
「試合が始まりそうだったから今日は声かけられなかったけどね。その代わり、同じパーティーの女の子とおしゃべりしてきたわ。これがまあびっくり! あのダンテの愛弟子だったとは」
車は徐々に速度を上げて街を抜ける。開け放した窓から、緑の波を撫でた風が吹き込んできた。イッカクの規則正しい足音はテンポを上げていく。
男は窓の外の風景を見つめたままだ。
ルビアスは窓枠に腕をかけて、汗ばんだ額を風に晒した。
「フリッツくんは先が楽しみ。ほんとはあんたも見たかったんじゃないの? まったく、一昨日試合に出たんだから、今日顔ぐらい出せば良かったのに。あんたの興味は、元チャンピオンたちを倒すことしかないわけ? あんたが新しいチャンピオンになればいいのにさ。そしたらハクがついて、待遇ももっと良くなるかもよ」
男が無言のまま、自分の話をまったく聞いていないことに気がついて、ルビアスは声を上げた。
「まったく、無口無表情な男のお守りなんてウンザリ!」
ルビアスは年甲斐も無くあっかんべえをして見せたが、やはり男は微動だにしない。
いつものことだったが、あまりに反応が返ってこないので腹も立つというものだ。
「そういえば、ピンクちゃんに言い忘れちゃったなあ。今から大きいモンスターが来るかも、って。弟くん、大丈夫かなあ。ちょっと、聞いてんの。アーサー?」
アーサー=ロズベラーは深緑の髪を風にあそばせ、黙ったまま窓の外遠くを見ていた。




