第六話 変化
【大4章】
【第六話 変化】
謎の女性となぜか三回戦突破の祝杯をあげていたフリッツは、突然現れたルーウィンに攫われるように店を出た。
夜のクーヘンバウムはやはり騒がしく、至る所で喧騒や音楽が聞こえてくる。街角で若者たちが思い思いに音楽を奏で、気まぐれにそれに耳を傾ける者や罵倒する者。細い裏路地で屈みこみ、悪酔いでもしたのか嘔吐している者。
声を掛けられるのを待つ女たち、声を掛けようとする男たち。けばけばしいネオンの下で、いかにも悪そうな顔をしてなにかを企んでいそうな者たち。
享楽的で、怖い人間が多い、というのがフリッツのこの街への印象だった。
街自体は近代的で建物も新しく立派なものが多いが、どうにも人間と空気が怪しげだ。とてもフリッツがひとりでぶらぶらしたいと思えるようなところではなかった。田舎から出てきた若者なら飛びつきたくなるような興味深いものが溢れているはずなのだが、フリッツは逆にそわそわとして落ち着かない。
ルーウィンも騒々しいのはあまり好きではないようだった。
二人は大通りを行くのをやめ、一本奥に入った通りへと抜けた。やっと少しは落ち着いて、フリッツは胸を撫で下ろした。
ルーウィンはおもむろに振り返り、歯を見せて笑った。
「三回戦突破、おめでとう」
フリッツは突然のことに目を瞬かせた。眠気と疲れでその日の試合のことはあまり覚えてはいなかったが、この日も自分は勝てたのだ。
それを思い出して、つられてフリッツも微笑んだ。
「ありがとう。ラクトスとティアラは?」
「先に宿に帰ったわよ。昨日はあんたが消えちゃって気が気じゃなかったからね、今頃二人とも眠りこけてるんじゃない? 帰ったら叩き起こして、また乾杯といきますか」
ルーウィンは広々とした通りで思い切り伸びをした。クーヘンバウムの街にしては珍しく、その時間のその通りは静かだった。先ほど抜けてきた一つ向こうの歓楽街から、屋台の香りやざわめきが風に乗ってやってくる。それを遠くに感じて、フリッツは不思議な気分になった。
レンガを敷き詰めて舗装された通りには、ぽつぽつと街灯が灯っている。
「あんた、いい顔するようになった。なんだか楽しそう」
先を行っていたルーウィンは少し早さを抑えて、フリッツの隣に並んだ。
そう言うルーウィンも、なんだか楽しそうな顔をしていた。フリッツは頷いた。
「初めてだったんだ、試合で勝ったの」
「まあ、あの様子じゃそうでしょうね」
「恥ずかしながら、そもそもこういう試合に出るのも初めてなんだ」
はにかみながら答えるフリッツに、ルーウィンは驚いた。
「勝ちっていうご褒美もなく、あんた今までよくやってきたわね。勝って嬉しいとか、負けて悔しいとか、修練所の連中はそういうもんだと思ってた」
今までのルーウィンの発言の端々に、彼女の修練所の門下生に対する評価が低いということは表れていた。ルーウィンからしてみれば、街の外に出ないで修練所でひたすら修練に明け暮れる門下生たちの技は、ただの娯楽の範囲のものでしかないのだろう。
最初に会った頃のフリッツはまさにその代表で、ルーウィンはフリッツを少なからず白い目で見ていた。フリッツ本人は真面目にやっているのだが、ルーウィンにとってフリッツの剣はただのチャンバラごっこの道具にしか見えなかったはずだ。
実際、その頃のフリッツは相手に向かって剣を振るうことはなく、さらに門下生として試合に出ることもなかった。
一方、ルーウィンはたった一人で師匠のダンテを捜すため、自分の身を護るための弓だった。日々実戦しかしない人間にとって、修練所の人間などお遊びをしているに過ぎないのだ。
「あたしはそれどころじゃなかったけど、それでもやっぱり、何人もの相手を一人で片付けたり、手ごわい相手をねじ伏せたりしたときに思うわよ。やった! やっぱりあたしは強いんだ! って」
なるほど、ルーウィンの強さはここから来ているのかと、フリッツは思った。
それは『自信』だ。戦いと勝利の積み重ねによる、自分は勝てるという自信だった。
勝利は喜びを与え、敗北は惨めさをもたらす。勝利は自信と傲慢さへと繋がり、敗北は自信の喪失と自分を奮い立たせる原動力になる。
勝利を何回味わい、敗北を何度味わったか。その度に何を思い、それをどう活かしてきたか。
勝ち負けというのは人生の重要な要素で、それは人格を形成する要素にも成り得る。
自信に満ち溢れ自分を価値のある人間と信じて疑わない者と、自信などなく自分の価値を見出せない者と。
「そういうのなしに剣術に打ち込んできたあんたが、あたしにはちょっと信じられないけど」
ルーウィンの言葉に考えを打ち消されて、フリッツは顔を上げた。
「剣しか知らなかったからだよ。それしか知らなかったから」
フリッツは力なく微笑んだ。
「それにしても、どうしてあんなに出場するの嫌がったの?」
あの辺鄙な修練所に篭り、剣しかやってこなかったのに、どうしてその成果を発揮したいと思わなかったのか。ルーウィンの問いはそういうものだった。
それはこの歳になってからの試合への初参加による緊張が理由の大半を占めていた。しかし、今ルーウィンが言っているのは、そういうことではない。それは彼女もわかっているからだ。
フリッツは笑ってごまかそうとしたが、ルーウィンの目を見て諦めた。彼女の目はいつものように興味本位ではなく、まっすぐだった。
フリッツは少し視線を外した。
「がっかりされたく、なかったから」
「は?」
言って早々、フリッツは言わなきゃよかったと後悔した。
公衆の面前で敗北し、自分が無能であるということを知らしめたくなかったのだ。もちろんそれは、見ず知らずの観客たちにではない。
ここまで一緒に来た、ルーウィンたちにである。
「あんた、勘違い!」
ルーウィンは声を大にして叫んだ。
フリッツの眉が情けなく垂れ下がる。がっかりされるということと期待されるということは表裏一体だ。
はじめからフリッツには、それほど期待していない、という意味だろうか。彼女なら言いかねないと、フリッツはその先の言葉を覚悟した。
「そりゃアテにしてた賞金がなくなっちゃうのは残念だけどさ。あんたが負けたって、誰もあんたにがっかりするやつなんていないわ」
フリッツは恐る恐る顔を上げた。
フリッツの予想に反して、ルーウィンは笑っている。
「あたしはあんたのかっこ悪いところばっかり見てきたのよ。特に最初の頃は酷かった。今更どこにどう失望したらいいのか、逆に教えて欲しいくらいよ」
それは言葉だけとれば、突き放しているような印象かもしれない。しかしその言葉は、彼女からフリッツに向けられた肯定だった。
失望される心配なんて、しなくていいのよ。
それこそがルーウィンの言葉の裏に隠されている真意だった。彼女の優しい表情に、声に、それは紛れもなく表れている。
素直でないところは相変わらずだったが、それでもフリッツにはしっかり伝わった。夜で表情が見にくいからと、ルーウィンも油断したのかも知れない。
普段荒い言葉づかいで、それでも本当のことしか言わない人間に肯定される。それはなんとも心強いことで、なんとも励みになることだった。フリッツは顔が熱くなっていくのを感じた。
誰かに受け入れられるのが、こんなにも嬉しいことだとは。
通りを夜風が吹きぬけて、フリッツの熱を少し浚っていってくれた。フリッツは改めてルーウィンを見る。
こんなことを言うような子だっただろうか。まだわずかな間しか一緒に居ないが、それでも出会ったばかりの頃とは、だいぶ印象が違う。
「ねえルーウィン。最近ずいぶん丸くなったよね」
言うや否や、理不尽な鉄拳がフリッツに振り下ろされた。前言撤回、いつものルーウィンだった。
「あんたね、仮にも女であるあたしによくもそんなことが言えたわね」
「違うよ! 太ったっていう意味じゃない、中身がってこと!」
「はあ?」
追い討ちのようにルーウィンは顔を歪める。こういうときのガラの悪い表情と、すぐに手を上げる癖は直らない。フリッツはたんこぶのできた頭をさすりながら涙目になって答えた。
「最初に会った頃は、もっと目がギラギラして怖かったでしょ。それが今じゃ、ずいぶんと穏やかになったなあと思って。ラクトスはともかく、ティアラの温厚さが移ったのかもしれないね」
さっきはルーウィンが、自分はいい顔をするようになったと言ってくれた。
フリッツは微笑んだ。
「ルーウィンは、優しい顔をするようになったね」
通りに夜風が吹いて、ルーウィンの長い髪を揺らした。
言ってからしまったと思った。フリッツのくせに生意気だと言われてまた殴られてしまうのがオチだ。しかし、意外にもルーウィンは手を上げなかった。ちょっと驚いた顔をして、フリッツと目が合うと、軽く笑って見せた。
その笑みは、心から嬉しいというものではなく、切なさや諦めの混じった複雑なものだったが、フリッツには知る由もなかった。
月が高く昇りレンガの通りを穏やかに照らして、二人はラクトスとティアラの待つ宿へと帰っていった。
酔っ払いや先日の若者たちに遭遇することなく、フリッツとルーウィンは無事宿へ辿り着いた。
待っていたラクトスやティアラと合流し、夕食をとろうという流れになる。ルーウィンはちょっと荷物を置いてくるからと言って、三人を一階の食堂に待たせ、自分は宿のある二階へと上がっていった。部屋の明かりはつけず、ルーウィンは入ってすぐの床に荷物を置く。
そして、閉めたドアにもたれかかった。
「丸くなってる、か……」
この、あたしが。
そのまま背中からずるずるとしゃがみ込む。深い、ため息をついた。らしくもなく、両手で顔を覆う。
「だめだ。もっと尖らせなきゃ。こんなんじゃ……」
薄暗い部屋で、ルーウィンは一人呟いた。
少女は一人うずくまり、自分の肩を抱いて小さくなった。




