第三話 トーナメント一回戦(※)
【第4章】
【第三話 トーナメント一回戦】
クーヘンバウムは享楽の街だ。闘技大会も元々は賭け事の一環として、腕に覚えのある冒険者や戦士を戦わせ、勝ち負けに賭けるという趣旨の強いものだった。
あまりの風紀の乱れを問題視したグラッセルの横槍が入り、今ではもう正式には行われていない。しかし、裏ではそのやりとりも未だに横行しているという話だ。
闘技場がかつて賭博会場であった面影を残す一角がある。
そこではディーラーによってルーレットが回されていた。薄暗い部屋の隅の一角の、人だかりの中にラクトスの背中を見つけてティアラは駆け寄った。
「もう、お姿が見えないと思ったら。行きましょう、フリッツさんの試合が始まってしまいますよ」
「なんだ見つかったか。まあいい、お前も来いよ」
ラクトスは席についていた。円テーブルにルーレット、真ん中にはディーラー、目の前に詰まれたコイン。ティアラは目をぱちぱちとさせる。
「ラクトスさん。まさかとは思いますが、こんなときに」
「お前、どこにくると思う」
「ラクトスさん!」
ティアラは思わず声を上げた。
「悪い悪い。これが終わったら抜けるからよ、一つお前の強運で頼むわ。賠償金返さなきゃだろ?」
ラクトスは悪びれもなくそう言い、ティアラは頬をふくらませる。ルーレットの中の玉を転がし、それがどこのマスで止まるか、という賭け事だった。
ティアラは素直に一つのマスを指差した。
「黒の13」
ディーラーがルーレットを回す。カラカラと音を立てて回る玉は、次第にその速度を落としていった。一つ、また一つと、玉は客たちを焦らしながら次のマスへと転がっていく。その度にうめき声があがり、頭を抱える者もいる。
ラクトスはその様子を、固唾を呑んで眺めていた。
一つ、また一つ。
ついに玉は、あるマス目で動きを止めた。
「黒の13です。そこの黒いローブの方、おめでとうございます」
ディーラーが静かにそう述べ、ラクトスの勝利を称えた。周囲に歓声と怒号とが湧く。ティアラは驚きに目を見開き、そして声を弾ませて言った。
「まあ! 当たってしまいました」
「お前、使えるな」
ラクトスは口元に悪質な笑みを浮かべて、首をかしげるティアラを自分の代わりに座らせた。
「遅い! なにモタモタしてんのよ、もう始まっちゃう」
一人だけ外で待たされていたルーウィンは二人に思い切り文句を言ってやるつもりだった。しかし、次の瞬間呆れたようにため息をつく。ぎゃあぎゃあ言い合いながら現れたラクトスとティアラを見て、怒る気も失せたのだ。
「誰かさんがトイレなんかに立たなきゃ」
「まあ! わたくしはお手洗いに行く権利もないのですか」
負けてしまったことに多少責任を感じていたティアラはいままで俯いていたが、ラクトスの一言に腹を立てたようである。その様子を見て、ルーウィンは眉根を寄せた。
「あんたら、まさか賭けてきたんじゃないでしょうねえ」
「儲けがパーになっただけだ、問題ない。しかし惜しかったな」
冷静に言ってはいるが、やはりラクトスは悔しそうにしている。ティアラはそっぽを向いた。
「働いて地道にお金を増やすのが一番だと思いますわ」
「あれだけ勝ってたあんたがそれを言うか。そんなに真面目に働きたきゃ夜の店にでも入れてもらえよ、結構稼げるんじゃねえの?」
機嫌の悪くなったラクトスは言うこともお構いなしだ。意味のわからないティアラは頭に疑問符を浮かべる。
「夜の店? 暗くなってからしか開かないお店ですか? でもそれでは、みなさん寝てしまっていてお客さんは来ませんよ」
清い大聖堂の塔に何年も囚われ続けていただけあり、ティアラはこういう類の俗語をまったく知らなかった。わからないから良かったものをと、ルーウィンはラクトスを睨む。
「あんた、その発言はないわ。それにこの子はドン臭いから、お水はやっぱり無理でしょ」
「だよなあ。安心しろ、おれも期待してねえ」
ラクトスはため息をついた。
闘技場は円形をしており、中心には選手たちが戦うリング、そしてそれを取り囲むように高い位置に観客席が段になって設置されている。観客席も闘技場に沿っているため、リングは客席にぐるっと取り囲まれている形となる。
フリッツら選手が一階部にあたるリングで戦うのを、二階三階ほどの高さにある観客席で上から観戦できるという、すり鉢状になった造りだった。
観客席に取り付けられた屋根は申し訳程度で、客席には太陽がじりじりと照りつけている。今までルーウィンは水浸しになったグラスを持って、ティアラが不在の間席とりを兼ね、ストローでジュースをすすりながら観戦をしていた。
トーナメントは既に始まっており、三人がやっと席に揃ったときには、すでに何戦もの試合が行われた後だった。しかし大会はまだ始まったばかりであり、この日行われる試合はトーナメントの最下層だ。ここで勝った者が勝ち上がり、その数は半数に絞られる。
果てしなく続くチャンバラごっこを最初から最後まで見たいという物好きはおらず、初戦のこの日は観客席に人はまばらにしかいない。そのため前のほうの席を簡単にとることができ、戦いの様子もよく見えた。
「あら。他の方たちは本物の剣を使っていらっしゃるようですね」
今まさに勝ち上がりをかけて戦っている二人の剣士を見て、ティアラは言った。ルーウィンはストローに息を吹き込んで、行儀悪くぶくぶくとさせる。
「知ってるわよ。だからちゃんと言ったってば、真剣使えって」
「あいつはまた木の棒なんか持ってんのか!」
ラクトスは叫んだ。当然、真剣を持ってくると思っていたのだ。
戦う相手のほとんどが、いや全員が真剣だというのに、フリッツはそれを木製のもので対抗しようとしている。
「あれのほうがいいんだって。慣れてる、っていうのもあるけど」
「それ以外に、なにかありますの?」
ティアラが聞き返して、ルーウィンはストローを咥えたまま唇を尖らせた。
「万一けがさせたらどうしよう、治療費が払えない。とか言ってた」
それを聞いてラクトスは額に青筋を浮かべる。
「あのバカ。あいつがけがしたら、治療費払うのは結局こっちなんだぞ!」
「ラクトスさん、そういう問題では」
それよりもフリッツの身を心配したらどうかと、ティアラが不安げな表情を浮かべた。それを察して、ルーウィンはティアラににやりと笑いかける。
「でもあたしは、あれがフリッツに一番あってると思う。まあ、見てなさいよ。あれはフリッツの力を最大限に発揮させるから」
ルーウィンは確信めいた笑みを浮かべたが、ティアラは気が気ではなかった。
「フリッツさん、大丈夫でしょうか」
ため息と共に、ティアラは呟いた。
(大丈夫じゃない!)
フリッツの緊張は絶頂に達していた。
今リング上で戦っている選手の次が、いよいよ自分の番だった。フリッツは目を瞑って、ルーウィンが分かれる直前に言っていたことを思い出そうとした。
そう、確か彼女は、手に三回「肉」と書いて飲み込めと言っていたはずだ。
(肉、肉、肉……)
フリッツは自分の手のひらに書き、それを飲み込んでみた。
しかし、なんだか違う気がする。
それでもだめなら、観客をじゃがいもだと思えばいいとも言われた。ちらっと外の様子を窺ってみるが、観客はまばらだった。そのために客それぞれの様子がわかってしまい、とてもじゃがいもだと思うことは出来なかった。
緊張で動きが鈍くなってしまわないように、手のひらを握ったり開いたりしてみる。他の選手たちは慣れているのか、落ち着いたもので、とてもこれから試合が控えているようには思えなかった。緊張のしすぎで、そんな挙動不審なフリッツを笑う者がいることにも気がつかなかったほどだ。
「勝負あり! 勝者、白!」
審判の声が響き渡り、試合が終わったことが告げられた。客席からはまばらに拍手が送られる。
いよいよ、フリッツの番になった。係に誘導されるままに、フリッツは右手足を同時に出して控え室を出た。
リングに立つと、思ったほど緊張しないことが分かった。観客は上の方にいるため、普通に戦っていれば見えることはない。ただ見下ろされているのだということを意識しなければよかった。
初戦のため、客の入りも少ない。座席の後ろの方はがらがらで、応援の声もまばらである。何気なく辺りを見回して、フリッツはどきっとする。
ルーウィン、ラクトス、ティアラの三人がくつろいだ様子で最前列に座っているのだ。
三人はフリッツと視線が合うと、ルーウィンとラクトスはにやっと笑い、ティアラはにこっと微笑んで小さく手を振った。フリッツはすぐに視線を逸らすと、俯いてリング上の一点を見つめた。
知り合いに見られているということが、ここまで恥ずかしく、緊張に拍車をかけるものだとは。
フリッツの身体は、再び強張った。
みんながいる。今日は一人だ。失敗したくない。
負けたらみんな、がっかりする?
フリッツは唇を噛み締めた。
そんなフリッツの様子を見かねたラクトスが、大声で叫んだ。
「適当にやっとけよー。要は勝ちゃあいいんだ!」
「フリッツさん、頑張ってくださーい!」
続いてティアラも大声で叫ぶ。声援はありがたいが、フリッツは恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。フリッツは再び客席を見上げる。
ルーウィンと目が合った。
ルーウィンは黙って、ただ頷いた。
それは言葉のない、肯定だった。
それだけのことだったが、なぜか幾分、緊張が解けていったように思えた。
みんなは味方だ。ここで自分が、勝っても負けても。
みんながいる。だから、大丈夫。がっかりされないように頑張るだけだ。
フリッツは深呼吸をして、剣を抜いた。
「両者前へ。位置について」
フリッツはそこではじめて目の前の相手を見た。先ほどフリッツに声をかけた青年だった。
フリッツと目があうと、相手の口元は弧を描く。愛想笑いなのか余裕の笑みなのかはわからなかったが、良い印象を与えるものでないことは確かだった。しかし礼儀なので、フリッツは相手に軽く頭を下げた。
「はじめっ!」
両者は見合った。審判の合図で、試合は始まった。
試合が始まり、対戦相手の青年は剣を構えた。
この相手はちょろい、楽勝だ。
フリッツを見て、青年は内心ほくそ笑んだ。
初戦で敗退すれば門下生仲間に幾らか奢ってやる予定だったが、これは自分が奢ってもらう方だなと思った。
「へえ、きみアーノルド流なんだ。渋いねえ、もしかしておじいちゃんっ子?」
目の前の相手は、自分にはまったく手応えのなさそうな相手だった。いかにもひ弱そうな表情と、貧弱な装備と、おまけに木製のウッドブレードときた。自分をばかにしているのかと思いきや、そうではないらしく、それが彼の標準装備らしい。
大方、ずいぶんと南の方の田舎からひょっこりやってきて、真剣も握ったことがなく、木の棒しか振り回すことの出来ない貧乏修練所の、可哀想な門下生なのだろう。
対して自分は、クーヘンバウムの競争率の高い修練所で、年功序列の不条理さに耐えながら、先輩たちがいなくなったことでようやく二、三年前に大会にエントリーすることができるようになった。去年も一昨年もその前も、大会では割といい成績を残している。
自分は場数を踏んでいる。こんなお上りさんを叩きのめすのは心が痛むが、自分が上へ進むためだ。
剣の道は弱肉強食、許せ少年。
ただ人生の先輩として、ここに居ることは場違いなのだということを、自分はこのひ弱な少年にきっちり教えてやらなければならない。
お前にこの闘技場は、百年早いんだよ、と。何回もこの場で戦ってきた自分には、その権利がある。
「どうした? 受け止めてるだけじゃ勝てないぞ!」
青年はたて続けに攻めた。ひ弱な少年は、自分の剣を受け止め、護ることでいっぱいいっぱいだ。とてもじゃないが、自分のこの攻めの連続に、反撃の瞬間を見出せないらしい。
力がないというのは、みじめなものだ。公衆の面前で恥を晒さなければいけない。初戦で観客が少ないのが幸いだなと、青年は同情した。
しかし青年はあることに気がつく。
少年は一向に仕掛けては来ないが、自分の剣が届くこともない。それはおかしいと、青年は切りつけてやるつもりで剣を振るった。遠慮をするのは、相手に失礼だろう。
しかし、それでも少年はしつこく自分の刃を受け止める。
青年はやっと気がついた。
自分の技を「見られている」ことに。
(こいつ、おれを分析しているのか!)
少年の立ち位置が依然動いていないのをみて、その予感は確信に変わる。
少年は自分の猛攻を受けても、最初の位置から一歩も退いてはいなかったのだ。
フリッツは目の前の相手に集中した。さっきまでの緊張は、嘘のようになくなっている。
目の前の相手が、どう出てくるか。その一点に全てを向けた。
相手の柄にこめる力がやや強くなったような気がした。来ると思ったら、本当に攻めてきた。予兆はわかっていたので、慌てることはない。
相手はロズベラー流だ。今一番主流な流派で、剣士の七割方はロズベラー流を修めている。
よほど自信があるのだろう。無駄口を叩く、その余裕は大したものだった。口先ばかりでなく、剣の腕もほどほどにある。おまけに装備もばっちりで、軽くて物のよさそうなメイルを身につけている。
大会や試合など何回も出場して、いい加減飽きてしまったのだろうか。彼は、自分を愉しませてくれとでも言いたげだった。
フリッツは、自分が相手になめられているのがわかっていた。
(なめてもらって、結構)
自分はなめられて当然の人間だし、実力より上に見てもらう必要はまったくない。
相手の油断を誘う。それが生まれながらに出来ている。すごいことだと師匠には褒められたが、当時はあまり嬉しくなかった。それは要するに、顔のつくりや雰囲気が弱々しいということだ。
誰だって、自分が相手より格下に見られることは気分のいいことではない。しかしこういった局面で、それはフリッツにかなり強力な味方となってくれる。
相手が自分を見くびって腹が立つなんて、とんでもない。
相手がフリッツを侮ることで油断している隙に、フリッツはそれをありがたく利用させてもらうのだ。
握っているのは木製の剣。相手を傷つける心配はしなくていい。
自分が斬られないようにするだけでいいのだ。なんと気が楽なのだろう。
相手の斬り込みを受け止めているとき、フリッツはふと思った。
(……楽しい、かも)
自分が相手の攻撃を危なげなく受け止めている。思考をする余裕すらある。
フリッツがロズベラー流に接するのは久々だった。フリッツがロズベラー流を習っていたのは六歳までで、それまで覚えた型はきれいさっぱり忘れてしまっていた。マルクスと二人修練所に篭ってからは、アーノルド流以外の他の流派に触れる機会などなかった。
盗賊の頭は自己流の力任せの剣の振るい方をしていたし、パーリアの僧兵とは逃げるばかりでたいして剣を交えてはいない。この機会にぜひとも、修練所で日々腕を磨いているであろう門下生の、ロズベラー流の正しい型を間近で見ておきたい。
相手が攻撃の手を休め、一歩退いた。心なしか、若干表情が強張っているようだ。
(見ていることに気づかれたかな)
流派の基本的な型や動きを、そして彼の癖もしっかりと見させてもらった。だいたいの攻撃のリズムは把握した。
この人の場合は、押して押して押して、斬る。そして攻撃に移るときの動き。右のわき腹がガラ空きになる。
ここからは自分の番だ。
ただし、相手に自分をじっくり見られてしまっては意味がない。アーノルドの型はほぼ完璧に身体に染み込ませているはずだが、それでもフリッツの癖がないとは言い切れない。パターンや癖は、相手に付け入る隙を大いに与える。
そして気弱なフリッツは、そんなことをされては勝てる見込みがないことを知っていた。
自分はじっくり見たくせに、自分は一切見せるつもりはなかった。
自分は強者ではないから、なにもわざわざ相手にサービスして手の内を見せてやる必要はない。
今、この瞬間。
相手が下手な考えを巡らせている、今のうちに。
木の棒切れで相手を倒す方法。それは相手に、完全に負けたと思い知らせる方法に他ならない。
木の棒を突きつけられても、相手はさっさと真剣で振り払うだろう。
さて、どうすれば「試合」に「勝てる」か。
(すぐ、だ)
フリッツは重心を低くし、素早く相手の懐に飛び込んだ。
フリッツの獲物を狙うような眼差しと、相手のおどろきに見開いた瞳とがかち合う。そして木製の刃で相手の柄と刃の間あたりを剣で薙ぎ払った。青年は驚いて小さく声を上げる。
彼の手の中から、剣は弾かれて宙を舞った。
真剣はくるくると輪を描き、リングを飛び越えて、場外の地面にカランカランと乾いた音をさせて転がった。
地味な戦いだった。
しかし見る者が見れば、それは洗練された一切無駄のない所作だとわかるはずだ。思いつきの特訓や一夜漬けではものにできない、付け焼刃などではない、その安定感と堅実さ。
幼い頃から、一心不乱に、そのことしか考えず、毎日毎日馬鹿のように振るう者の、剣。
危なげのない、安定した勝利だった。
一瞬のことに、会場の拍手はまばらだった。
一番前で見ていたルーウィンたちも、あまりにあっという間に勝負がついたので、どうリアクションしていいのか頭がついていかなかったほどだ。
だが、どこからが大きくゆったりとした拍手が聞こえ、そう多く客のいないはずの観客席から、やがて大きな拍手が降り注いだ。
「勝者、赤。両者前へ。礼!」
審判がそう言って、フリッツは頭を下げた。
「フリッツの一勝に」
「「「「かんぱーい!」」」」
宿屋の階下の食堂で、四人はジョッキを掲げるとガチンと音を鳴らした。そのまま口に運んで、飲む。フリッツはすぐに口を離した。
ティアラは乾杯すら知らずわざわざ教えたのだったが、大きなジョッキを両手で抱えている様子は可愛らしい。それに比べてルーウィンは片手を腰に当て喉をそらし、まるでおっさんのような飲み方だったので、フリッツは思わず笑ってしまった。
中身はもちろん、健全な若者の飲み物リンゴジュースだ。
「いやあ、まぐれだけどね」
フリッツはややはにかんで頭を掻いた。しかし口元がにやついてしまうのをどうしても隠し切れない。
「ほんとよ、まぐれよ、まぐれ! 相手が緊張してて良かったわね。この調子で次も頼んだわよ」
酔ってもいないのにすでに出来上がっているようなルーウィンが、ばしばしとフリッツの背中を叩いた。勝利を祝ってくれるのは嬉しいが、まぐれと言われすぎるのもどうだろう。フリッツは喜んでいいのか落ち込んでいいのか、内心複雑だった。
ルーウィンが左手にジョッキ、右手にハムとチーズの刺さったフォークを持ちながら、唐突にフリッツに尋ねた。
「あんたってさあ、前から思ってたけどアーノルド流なんだよね。このご時勢に」
「今はロズベラーが主流だもんな。お前、どうしてアーノルドなんだ?」
ラクトスにも便乗され、フリッツは少し言いにくそうに視線を逸らす。
「……師匠がアーノルド流だったから」
「え? 流派ありきでマルクス師匠についたんじゃないの?」
口いっぱいにものを詰めたルーウィンが、驚きに目を見開いた。
「ぼくのことはいいじゃないか。色々あったの!」
本当は色々、というほどのことはないのだが。フリッツはわざとはぐらかした。バカにされるかと思ったが、意外にもルーウィンもラクトスも深くつっこんでは来なかった。
「でもアーノルド流にはちょうどいいじゃない。あんたにぴったりな流派だと思うわ」
「フリッツさんは、アーノルド流に向いているということですの?」
ティアラがルーウィンに訊いた。
「そうそう。アーノルド流は小回りと素早さに重きを置く流派なの。だからフリッツみたいな低身長にはうってつけってわけ」
「……て、て、て! ルーウィン、今きみなんて言った?」
フリッツはその言葉を聞いてわなわなと肩を震わせはじめた。珍しくフリッツが殺気立ったのを見て、ルーウィンはやっちゃったとばかりに舌を出す。
「あらら、地雷だったか。ごめんごめん」
へらへらと笑うルーウィンに、フリッツはむきになった。
「きみだって人のこと言えないじゃないか」
「あたしは女だからいいのよ別に」
「ぼくだってちょっと人より小柄なだけだよ!」
「はいはい、その通りね」
キーキー声を上げながらしつこく抗議をするフリッツを、ルーウィンは面倒くさそうにあしらった。ラクトスはそれを放っておき、ティアラに説明してやる。
「話を元に戻すか。対してロズベラーは派手な動きと威力で攻める流派だ。両者はそれぞれの特徴が相反するから、もしかしたらアーノルド流に慣れていない相手に当たれば、フリッツはけっこういいところまで勝ち進めるんじゃないか、って話だな。そうすればその賞金でお前らの贖罪をし、おれたちは晴れて自由の身となるわけだ」
「すみません」
「返す言葉もありません」
ティアラとフリッツは続けざまに頭を下げた。
まだ初戦に勝っただけで、賞金などどこにもないというのに、その日一行は考え付くままに飲んだり食べたりした。そんなに注文するなという、ラクトスのお小言もなかった。席についての久々のまともな夕食であったし、やはりフリッツの初勝利に対する意味合いが大きかった。
しかし三人がお腹をぱんぱんにしているにも関わらず、まだメニューに目を通しているルーウィンを見て、さすがにラクトスも待ったをかけた。宿屋の厨房から、げっそりとした料理人が恨めしそうにこちらを見つめはじめたこともあり、ラクトスは三人に声をかけた。
「よし、今日はもうお開きだ。フリッツは明日に向けて体力つけなきゃいけないしな」
約一名を除き、フリッツたちは苦しくなった腹を抱えて二階の宿部屋へと上がった。小さい部屋を二つとっており、分かれて休む。
フリッツはぱっちりと冴えてしまった目を開けて、天井を見つめていた。
クーヘンバウムの街は眠らないと聞いていたが、どうやらそれは本当だった。窓の向こうはなんとなく騒がしく、カーテン越しに魔法の明かりが見える。
この日の食事は、いつになく美味しいものだった。
勝利の味、というものだろうか。
思えば、こうして自分の勝利や功績を祝われるのは生まれて初めてのことだった。
実家が小さな修練所だったため、幼いフリッツは村の子供たちに混じって物心ついた頃から剣を握っていた。しかし練習でもちゃんばらでもその成果が発揮されることはなく、加えて不器用だったため、フリッツはいつも子供たちの笑いものだった。
いじめられて孤立していたわけではなく、遊びには誘ってくれるのだが、それでもやっぱり遊びの終わりにはいつもみじめな思いをして家へと帰っていく。みんなは自分を笑いたいがために連れて行くのではないかと、何度も疑心暗鬼になった。
実際、悪気はないにしろ、ある程度そういうことはあったのだろう。自分より下の立場の人間を笑うことは、子供心に優越感を生み出す。そして自分は、価値のある人間なのだと思える。そこに悪気も、悪意もないのだ。
そんなフリッツを見て両親はがっかりしたかといえば、そんなことは決してなかった。なぜなら両親はアーサーに夢中で、フリッツのことなど少しも視界に入ってはいなかったからだ。
ありのままのフリッツを見てくれたのは、アーサーただ一人だった。
しかし今は、こうして自分の勝ちを共に喜んでくれる人がいる。
フリッツはそのことに、胸がいっぱいになった。
修練所を出る前は師匠以外に勝負をしたことなどなかった。それからは盗賊の頭や、召喚されたモンスターや、僧兵など、何人かの相手と命のやりとりをしたことはある。
それはいつも綱渡りで、戦いが終われば安堵が大きく、とても勝利の喜びに浸る暇などなかった。しかし今回の闘技大会は怪我の危険はあるものの、間違っても命を懸けた勝負ではない。
試合という、正々堂々、自分の実力を発揮できる場所なのだ。
フリッツは、またしても口元がにやついている自分に気がついた。
(ぼくはひょっとして、勝てて嬉しいんだろうか。自分が思っていたより、ものすごく)
勝利。
それはフリッツにとって、初めての二文字だった。
(そうか。ぼく、勝てたんだ……)
頬が緩んできて、フリッツは両手でばしばしと顔を叩いた。
こうして気を緩ませてばかりはいられない。
(明日も頑張ろう。ぼくの持ってる力なんて微々たるものだけど。それを全部出し切って、できたら、また勝とう)
勝てて嬉しいという、単純な感情。それは自信へと繋がる欠片になる。
フリッツに今まで欠けていたものが、少しだけ埋められたのだ。
フリッツは寝返りを打って、瞼を閉じた。
明日に向けて、力を蓄えるために。




