第四話 第二関門、街道にて(※)
【3.5章】
【第四話 第二関門、街道にて】
ルーウィンはフリッツの頭を覗き込んでいた。
毛繕いされているようで恥ずかしかったので、フリッツは早く退いて欲しいと思っていた。しかしその意に反して、ルーウィンは面白そうにじっくりと傷口を眺めている。
「全然大したことないじゃない。どうしてあんなに大げさな出血したのかしら。でも歯型がついてる」
想像してフリッツは身の毛がよだったが、実際に見ているルーウィンはにやにやしているようだった。しかし不意に彼女は笑うのをやめた。
「あんたねえ。そんなところに隠れてないで、とっととこっち来なさいよ。ほら」
ルーウィンは振り返らずに言った。木の陰から、ティアラが姿を現した。
申し訳ないという気持ちが全身で伝わってきて、フリッツは逆に謝りたくなったほどだ。
「合わせる顔がないのはわかってる。でもここであんたの仕事をしなきゃ、あんたはなんのためについてきたのかわからないじゃない。悪いと思うなら、さっさと手当てしてあげて」
ルーウィンはティアラに場所を譲った。ティアラは目の端に涙を溜めて、瞬きを一つでもしたら今すぐ零れ落ちてきてしまいそうだった。
「……フリッツさん、本当に申し訳ありませんでした」
ティアラは深々と頭を下げ、フリッツは首を横に振った。
「たいしたことないから大丈夫だよ。でも、手当てはお願いします」
ティアラは治癒術は使わずに、消毒液と包帯で処置をした。ティアラが治癒術しか知らず、一般の手当ての方法を知らなかったらどうしようかとフリッツは内心焦っていたが、それは心配するに及ばなかった。これならラクトスにそんなことも知らないのかと、余計に怒られることもないだろう。
「ごめんね。ぼくが油断してこんなことになったばっかりに、ラクトスに叱られちゃって」
「そんなことありません! 全てわたくしのせいです。フリッツさんは悪くないのです」
ティアラは意外に器用にフリッツの頭に包帯を巻いていった。
「ティアラって自分のことは後回しにするけど、ケガ人助けることに関しては一歩も退かないね」
それをけが人であるフリッツから聞いて、ティアラは恐縮したようだった。
「すみません。わたくし今日はフリッツさんに一番ご迷惑をおかけしました。以後、このようなことはないようにします。申し訳ありませんでした」
謝らせたかったわけではなかったので、フリッツは慌てて違うよと手を振って見せた。
「ぼくのことは別にいいよ、本当に大したケガじゃないんだ。ただ、ティアラはぼくたちのパーティの一員だから、そこをもう少し考えて欲しいかな」
それを聞くとティアラはますますしゅんとうな垂れてしまった。
しかし大事なことなので、この機会に言ってしまおうと、フリッツは罪悪感に襲われながらも自分を奮い立たせた。
「ルーウィンは早くダンテさんに会いたいだろうから、早く先に進みたいだろうし」
いつもなら拳が飛んできても不思議ではなかったが、その時のルーウィンは大人しかった。
フリッツはほっとして続ける。
「ラクトスは、ああ見えてすごく努力家なんだ。ぼくらのお金は、全部ラクトスが管理してくれてる。要るものやアイテムを少しでも値切って、もしものときのために備えてくれている。だから余計に、ティアラが他の人のために何かを使うのが気になるんだと思うよ。ラクトスはぼくらになにかあったときのために、って思ってやってくれていることだろうから」
「みなさんの、ため」
ティアラは呟いた。そう、とフリッツも頷く。
「きみは自分の目に入る人たち皆を助けたいって思うかもしれない。でもそれは、きみの細い腕にはちょっと抱えきれないんじゃないかな。ラクトスは、自分たち以外のことは他人事だっていって見向きもしない。それはラクトスが冷たいから、かもしれないけど。でもぼくは思うんだ。ラクトスはぼくたちのことを護るのに一生懸命で、他のことには気が回らないんだ。他の人は目に入らないんだよ」
そこへルーウィンが口を挟んだ。
「優先順位を迷いたくなくて、わざと周りを見ようとしてないだけかもしれないけどね。それにそれは、あくまでフリッツの考えだけど。あたしはあいつのこと、業突張りなただのドケチだと思ってるわよ」
「またルーウィンはそういうことを言う」
せっかく自分がラクトスへの誤解を解こうとしているのに、とフリッツは唇を尖らせた。
ティアラはしばらくその場に立ち尽くしていた。何か考えているようだった。
「あいつみたいなへそ曲がりにとって、あんたみたいな子は限りなく胡散臭い存在なの」
ルーウィンが口を開き、ティアラはその言葉に首をかしげた。
「胡散臭い。わたくしがですか? そんなこと、初めて言われました」
ルーウィンは鼻から息を吐いた。
「あの手の人間は、他人のために尽くすことを良しとしない。その裏には絶対なにかあるって思ってるだろうから。でもあんたにはそれがない。その時点であんたはあいつにとってわけのわからない、理解できない人間だろうし」
利害関係ありきでしか動かない人間と、それを一切考えずに無心に動く人間。両者が互いの考えが理解できないのも当然だ。
「ほら、行っといで。ちょっと話し合ってきなさい」
ルーウィンがティアラの背中を軽く押した。ティアラは頷いて、林の中を駆けていった。
道から少し外れたところにある切り株に腰掛けているラクトスの背中を見つけて、ティアラは一瞬足を止めた。
しかし、ここまで来たのは伝えたいことがあるからだ。ティアラは拳を強く握り締めて、まっすぐラクトスに向かって歩いた。相手も気配で、自分が近づいているのがわかるだろう。
ティアラはラクトスの前に回って、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「謝る相手が違うだろ」
ラクトスは顔を背けて言い放った。
「フリッツさんには謝ってきました」
ラクトスは何も言わなかった。おそらく言わなくても、わかっていることだろう。
「わたくし、どうかしていました。今日は意地になって、ついいつもより多くの力を使ってしまいました。もう二度と、こんなことはしません。本当にごめんなさい」
ティアラは深く頭を下げた。
それをラクトスは気配で察しているはずだったが、まだ彼は振り返ろうとはしない。
「お前が聖職者であり、そんな性質であることを知っていたから、こういう事態はある程度予測がついてた。想定の範囲内だ、予想外じゃない。こういうことも含めて、最初お前が入ることを渋ったんだ」
「そう、だったのですね」
確かに、自分が旅の一行に加わることは二つ返事で快諾されたわけではなかった。それをティアラ自身も十分承知していたが、まさかそんなことまで考えられているとは思ってもみなかった。
ラクトスの懸念は当たってしまった。それでは、やっぱり連れて来ない方が良かったと思われているのだろうか。
そう考えて、ティアラは悔しさと悲しさがこみ上げてきた。
ラクトスは鋭い視線をティアラに向けた。
「どうしてあんたは、なりふり構わず他人を助けるんだ。他人は他人、他人を助けたって何の特にもならない。どうして自分たちのことだけを一番に考えられない?」
それは純粋な問いかけだった。フリッツとルーウィンが教えてくれたように、ラクトスはやはり利己主義者だ。
しかしそれは他人への厳しさと無関心であり、同時に身内への優しさと労わりだった。そんな彼からしてみれば、ティアラの行いなどただの陳腐なきれいごとに過ぎないのだろう。
今はそう思われても仕方ないと、ティアラは思った。全ての人に手を差し伸べてもなお余力を残せるほど、自分はまだ出来ていない。未熟なくせに欲張って、次から次へと手を出してしまう。そして本当に護るべきものを護れなくなる。それでは本末転倒で、そんなことになるなら確かにティアラは要らなかった。
それをティアラは、痛いほど身に染みて感じていた。
ティアラは深く息を吸った。冷静になって、自分の考えを聞いてもらおう。せっかく今は、ラクトスが訊いてくれているのだから。
「怪我をしている方は、わたくしの世界のなかにいるからです。わたくしの手を伸ばした範囲にいるから、わたくしは手を貸さずにはいられないのです」
ティアラは顔を上げた。
「両腕いっぱいの範囲と両目で見える視野、それがあなたの世界。『世界』を拓きなさい。そして、あなたの腕で休む者を慈しみなさい。各々が自身の護れる小さな世界を慈しめば、世の中に争いはなくなり、やがて幸福が訪れる。これがわたくしの信じるものだからです」
ティアラは答えた。語っているうちに、やはり自分の考えは間違っていないという妙な確信が湧いてきた。
「あんた、それパーリア教じゃないだろ」
ラクトスは目を見開いた。きちんと聞いていたようだったが、考えに共感することはなく、別の意味で驚いているようだ。
「パーリア教皇の娘にして自らも巫女であったあんたが、まさか背信者だとは。灯台元暗し、ってやつだ」
背信者という響きが気に入らなく、ティアラは反論した。
「背信者ではありません。わたくしは、パーリア様も信じております」
「器用な信者がいたもんだな。おれはてっきり、敬虔な信者ってのは自分の信じる神サマ以外は排除したがってるもんだと思ってたぜ」
ラクトスの言うことは一理あった。ティアラは視線を落とす。
「……そういう方もいらっしゃいます。でも何を信じるかは、人それぞれだと思うのです。何を信じるか、それはどう生きるかということに直結しているのですから」
だから自分は、こうして目の前にいる人々に手を差し伸べたいのだ。そういうふうに、自分は生きたいのだ。ティアラはそれが伝えたかったのだが、伝わった自信はなかった。伝わったとしても、それをラクトスが理解してくれるかはまた別の話だ。詳しく伝えたことで、逆にますます考え方の違いを感じているかもしれなかった。
ラクトスは頬杖をついたままだった。
「で、あんたはその説教を信じるわけだ」
「機会があれば、またいずれお話します。今日はわたくしがお話をするような立場ではありませんから」
「まったくだ。で、手当たり次第病人ケガ人治療する癖は治らないのか?」
再びラクトスはティアラの瞳を鋭い視線で射抜いた。ティアラもそれを迎え撃つ。
「すみません。自分の手の届く範囲、目で見える範囲にいらっしゃるものですから。その方々を治療しないことは、わたくしの信条に反します。でも、今日のようなことは金輪際絶対に起こしません。今度同じとことが起きたら、わたくしは自らここを出て行きます」
ラクトスはため息をついた。彼の期待していた答えとは違ったのだろうか。もうしません、と聞きたかったのか、あるいは出て行くと言って欲しかったのか。しかし自ら出て行くと言っことが気に入ったようで、彼は腰を上げた。
「おお、言ったな。反省してるか?」
「はい、してます」
ラクトスはティアラに詰め寄る。ティアラは力をこめて答えた。
「絶対だな」
「はい、絶対です」
「結局どっちも頑張ります、だもんな。ずりぃわ、お前」
しかしその顔はもう怒ってはいなかった。
「適当にやっとけよ。あと、その時使う薬や包帯やアイテムは自分で稼げ。それと、おれたちのために力を残しておくこと。お前は、うちのパーティの召喚師であり、治癒師なんだからな」
うちの、という言葉にティアラは顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
他人が人助けをしようが遅れをとろうが、なにをしようが関係ない。しかしティアラはもうパーティの一員だ。身内だからこそ気に障るのだと、ティアラはようやく気がついた。やはり完全に認められたわけではないが、ラクトスはティアラを最初から頭数に入れていたのだった。
こんな未熟な自分を受け入れてくれたこの人たちのために、自分に何が出来るか、もっと考えよう。 ティアラはそう思って、微笑んだ。
「さあ、どうぞ召し上がってくださいな」
その日の朝の献立は携帯用のパンとドライフルーツ、そしてオムレツだった。前者は保存食料として買入したものだが、後者は違う。
例にもよってティアラお手製の、腕にふるいをかけた一品である。
しかし今日は少々様子が違った。
「……ちゃんとしてる。オムレツだ」
「だな。オムレツだ」
フリッツは呟き、ラクトスも同意する。どこからどう見ても、ただのオムレツだった。
皿を一周回してみても、やはりなんの変哲もないオムレツである。鳥の脚や魚の鱗が中からはみ出したりしていない、しかもちょっと美味しそうなオムレツだ。優しい黄色の卵料理はほかほかと湯気を立て、バターの良い香りが鼻をくすぐる。美しい紡錘形ではなくそれなりに不恰好ではあったが、それでも十分に美味しそうな部類に入る。
「今回はちょっと自信があります。さあさあ、どうぞ冷めないうちに召し上がってくださいな」
ティアラに満面の笑みで促され、フリッツはフォークを手に取らざるを得なくなった。
ラクトスを顔を見合わせ、意を決して口に運んだ。一足先にオムレツを口にしていたルーウィンは、フォークを口に入れたまま言った。
「ちょっと薄味かもね。もうすこし塩とか入れてもいいんじゃない?」
「そうですね。今度はもうすこし濃い目にしてみます」
そんな微笑ましいやりとりだったが、ルーウィンの表情は若干無理をしているように見える。
「おい、どうしてあいつらは平気な顔してこれを食べられるんだ」
フリッツの耳元でぼそぼそとラクトスがささやいた。フリッツは小さく苦笑いを浮かべる。
「ティアラは運がいいからね。ルーウィンは……漢気かな」
フリッツは口の中をガリガリ言わせながらなんとか卵を飲み下した。おそらくティアラ本人のオムレツには卵の殻は入っていないのだろう。ティアラはなにかと運がいいのだ。
こそこそ話しているフリッツとラクトスを見て、ルーウィンは微笑んだ。それは暗黙の了解で「男なら四の五の言わずに食べろ!」という命令が込められている。ルーウィンはなんだかんだで、昨日の今日でティアラを下手に落ち込ませまいと、無理をしているようだ。
確かに数日前の、通称魔女の鍋と比べればその上達振りはすさまじかった。これを努力の賜物といわずなんと言おう。
「うん、すごく上達したね」
言ってフリッツはカルシウムがふんだんに含まれたオムレツを口に運んだ。ティアラの期待するような顔が見え、勇気を振り絞って租借した。
ガリッという景気の良い音が響いたが、ティアラは嬉しそうににこにこしていた。
なにはともあれ、ティアラは二つ目の関門を突破し、パーティの一員として迎えられたのだった。
【3.5章 二つの関門】




