第七話 壊死
2025年の初投稿です。相変わらずの遅筆ですが、本年もよろしくお願いいたします!!
少し前には影も形もなかったおじさんとモーネのおしゃべりを書いているの、なんだか不思議な気分です。
「モーネの無断欠勤、これで一月半か」
処刑人の一人が呟く。椅子にもたれ、くたびれた帽子を顔に乗せて居眠りをしようとしていたケイリーは頭を掻いた。
この陽当たりもクソもない地下の詰所は処刑人のものだが、ほとんどがならず者だった。昔は粛々と行われていた処刑も随分変わった。高齢の皇帝の頭がおかしくなりはじめてから、一部の暇を持て余した貴族が自由勝手にやるようになった。
最初は人とモンスターを戦わせるだけで済んでいたのが、次第に似たようなモンスターでは飽きてしまい、次は人がどんどん死んでいくのが観たいと言い出した。致し方なく処刑を公開処刑にしたが、あまりの処刑の多さに囚人が不足する始末だった。おかげで役人たちは軽度の罪、時には無実の者も隙あらば捕まえて監獄に入れていると聞く。貴族の言い出すことはいつも突拍子無く、そしてとんでもない。
だがそんなことはケイリーには関係なかった。自分の仕事は、貴族を愉しませるための娯楽を盛り上げること。上手くやれば褒美が貰え、そうでなければ知りすぎたとしていつ消されてもおかしくはない。観客が飽きないように、変化や緩急をつけて上手くやる。舞台に送り出されるのが本当の囚人かどうかなど、知ったことではない。
「家だって割れてんのになあ。なあ、連れ戻さねえのかい?」
「好きにさせてやれ、まだ子供だ」
帽子の中でもごもご話すケイリーに、処刑人たちは異議を唱える。
「ケイリー、あいつにだけ甘くないか? おれらが無断欠勤なんかしてみろ、逃げ出したんじゃないかと追っ手を寄越すだろうが!」
「おれん時なんか、寝坊しただけで引きずり出された挙句殴られたぞ!」
「女だっていってももう十五だ。俺があれぐらいの歳には」
ふと、場が静まり返る。
ならず者たちにはあり得ない、軽い足音。下りてくる。
不審に思ったケイリーが顔から帽子を外すと、そこにはモーネが立っていた。相も変わらず、何を考えているかわからない真っ黒な瞳が、真っ直ぐケイリーを見下ろしている。
「話がある」
ケイリーはすぐに椅子から腰を上げた。煩くなりそうな外野を制する意味もあった。
「いいだろう、聞こうじゃないか。ここじゃなんだな、場所を変えるぞ」
あっけにとられた処刑人たちをそのままに、ケイリーはモーネを連れていった。
処刑人の詰所を抜け出し、城の敷地内を出る。
ケイリーが連れてきたのはディングリップ城から少し離れた場所だった。広場でもなんでもなく、ただ整備された歩道と石垣とが連なっている。城へ向かう馬車だけが行き来する通りで、辺りには誰もいなかった。
陽も暮れかけ、城の尖塔にぽつりぽつりと明かりが灯り始める。
「なんだ、少し痩せたか。ちゃんと食べてたのか?」
ケイリーがそう言うくらいに、その時のモーネはげっそりしていた。元々細く顔色が良くなかったが、上手くいかない仕事探しと、そして役人が屋敷に押しかけてきたことが拍車をかけた。
「風の噂に聞いたぞ。駄目だったって? 仕事」
そう問われて、モーネは静かに首を縦に振った。ケイリーの方は当然風の噂などではなく、ここしばらくのモーネの動向を調べさせていたのだったが。
愛想よくお喋りするのも駄目。単純作業も駄目。それなら自分に何が出来るというのだろう。
「わたしには何も出来ない。何もやらせてもらえない。その上、弟まで」
モーネが弱音を吐くのは珍しく、ケイリーは目を見張った。モーネにしてみれば弱音ではなく、事実だったのだが。
そして弟という聞き慣れない言葉を、ケイリーは聞き逃さない。
「弟? ああ、魔力持ちの。随分昔にお前さんが突き出したんだろ? それが今更」
「逃げ出した。役人が捜して家に来た」
「……そうか、大変だったな」
この帝国で魔力持ちがどうなるか、ケイリーも知らないわけではなかった。そして役人たちがどんな振舞をするのかも。
「どうしたらいいか、わからない」
元々考えることが苦手な上に、誰も何も教えてはくれない。何をすべきかがわからない、どうしたいという思いもない。
自分がこの世の中に必要とされていないのは明らかだ。もしかして、自分はこの世に生きていてはいけないのだろうか。
ただ生きていくだけ。それがどうしようもなく困難だった。
思いつめた様子のモーネを見、ケイリーは無精髭の残る頬を掻いた。
「ひょっとして、おれを頼って戻って来たのか?」
「相談出来る大人が他に居ない」
「ハハッ、消去法か。まあ、それもいい」
ひどく単純な答えに、ケイリーは声を出して笑った。ケイリーは石垣に背を預け、突っ立っていたモーネもなんとなくそれに習う。
「自分が駄目なヤツだと思ってるか?」
モーネは深く頷いた。
ケイリーは、そうか、と呟く。
「一見したらお前のそれは社会不適合者だ。頭脳労働も単純作業も駄目。女や若さという武器も持っているのに使えない。じゃあ、何だ。お前の武器は? お前の強みは」
モーネの頭に、大鎌が浮かんだ。自分の出来ることなど、あれしかない。だが。
モーネの頭が垂れたのを見、ケイリーは続ける。
「世が世じゃなきゃ、お前さんはもっと違う生き方をしてただろう。女だからな、戦乱の世で重宝されるかはちょっとわからんが、例えばもっと大昔なら? まだ帝都の壁が築かれず、モンスターの脅威がもっと差し迫っていたら? その力で、お前は活躍していただろうよ。堂々と、陽のもとで。大勢に感謝されながら、満ち足りた日々を送ったかもしれない」
地下の舞台ではなく、陽のもとで。見世物ではなく、人の役に立つために大鎌を振るう。そんな時代だったら、そんな自分だったらどんなに良かっただろう。
「だが、今は違う。社会のお前の評価は、若い女のくせに愛想笑い一つできず、料理も作れず、男を喜ばせることも出来ない。何一つ生産性のないクズだ。駄目な人間。生きていても価値が無い」
まったくその通り過ぎて言い返す気にもならなかった。今更そんな事実で傷つくこともない。困っているのは、知りたいのはもっと根本的な部分。
何も出来ず、何の役にも立たない自分は、この世に居ていいのだろうか。
もしかしたら、居てはならないのかもしれない。
もしそうだったら、どうしよう。
「でもお前は生きているから、生きなきゃならねえ。どんな手段をとってでも」
一瞬、ケイリーは心が読めるのかと思った。驚いて、モーネは顔を上げる。
視線の合ったケイリーは、続けた。
「お前を落伍者にしているのは社会なんだ。今の世に合っていないから、駄目なだけ。社会はそうそう変えられない。だが自分の力が最大限に発揮できる場があるなら、場所を変えてそこで生きていけばいい。普通の暮らしだけが、なにも人の生き方じゃないだろう」
自分が悪いわけではない。世の中に合っていない、ただそれだけ。
それはずいぶん気持ちを軽くしてくれる言葉だった。
「普通の暮らしを望むのが悪いわけじゃない。ただお前がそれを望むなら、人より多くの苦労と努力が必要だ。でももっと手っ取り早い方法がある。得意なことで食い扶持稼いで何が悪い? お前の居場所はここだ」
弱った心に、ケイリーの言葉はよく効いた。ここに存在してもよいという肯定は居心地が良い。だがあの仕事に戻るということは、別の問題に向き合わなくてはならない。父と母に教えられてきたことと、直面している現実とが、あまりにかけ離れていて辛い。どう擦り合わせればいいのかわからない。
「ケイリーは」
モーネは薄い唇を開いた。
「ケイリーはどうしてこの仕事をしてるの」
年季の入った帽子を目深に被り直し、石垣に両腕を預けて暗くなった空を仰いだ。
「おれは出来るだけいい生活がしたい。旨いモン食ってイイ女抱いて、楽しく暮らしたい。人としての満ち足りた幸福ってやつを味わいたいのさ。だから遠回りはしない。今自分に出来ることで、手っ取り早く階段を上がっていきたいのさ。人として認められたいんだ」
かなり俗っぽい答えだったが、彼らしいといえばそうだった。
「それは変。ケイリーは人なのに」
「人じゃねえよ、おれらはな。一部の人間からしちゃ、虫けらも同然だ」
モーネにはわからなかった。ケイリーが何の仕事をしているかと問われれば、確かにいつもそのへんをふらふらしているだけだ。だが処刑人の手配や指示をしている様子はあったので、虫けらと同然と言われても、とてもそのようには思えなかった。少なくとも、誰かにぞんざいに扱われているのを見たことがない。
「与えられた仕事を成功させて、おれは人なんだって認めさせてえのよ」
ケイリーはディングリップ城に視線を遣った。
いったい誰に認めさせたいのだろうと、モーネは思う。
「そのためには、お前たちの力が必要不可欠だ。なあ、協力してくれるだろ?」
モーネは口をつぐんだ。あの仕事が正しいとは到底思えなかった。これ以上、自分の気持ちに嘘をつき続けることは苦しい。ここしばらくの無断欠勤と職探しはそのためのものであったから、ケイリーの問いかけに快諾できるはずもなかった。
ケイリーはふむ、と顎に手をやった。
「弟、家には帰ってないんだろ? じゃあまだこの都のどこかにうろついてるってことになる。自制の効かない魔力持ちが世に放たれた、これは大変なことだ」
モーネは頷いた。ケイリーはそれを見逃さない。
弟がどれだけ危険な存在かは、一緒に暮らしていたモーネが一番よく知っていた。あんなのを野放しにしていいはずがない。
「でもお前には捜すアテも手段もない。だから困っておれのところへ来たんだろ? 聞いて回るのなんか無理だ、お前は人と話すのが苦手だものな。なによりこの都は広い。だが、帝国のお役人様は優秀だ。その証拠に、毎日うじゃうじゃ死刑囚が湧いて出てくる」
帝国の役人が優秀かどうかモーネには決めかねたが、確かに飽きもせず人が捕まっているのは確かだ。弟も都で逃げ回るには限界がある。自分が捜さずとも、いつかは捕まる日が来るかもしれないとは、思ってはいた。それまでに被害が出るかは別として。
「お前の弟はじき捕まる。魔力持ちは派手に暴れるらしいじゃないか、そんなのいつまでも身を隠していられるとは思えないね。捕まるのは時間の問題、となれば次にやって来るのは処刑場ってワケよ」
モーネは顔を上げる。ケイリーの言わんとしていることが、だんだんと判ってきた。
「ここで働いていれば嫌でも罪人、死刑囚のウワサは耳にする。お前がわからなくても、おれのところにはやってくる。情報を教えてやれる、そうなれば」
ケイリーは思わず口の端を吊り上げた。
引き出したいのは熱意ではなく動機。必要性と正当性。
処刑人を続けざるを得ない理由と、その利益を生み出してやる。人を殺して生計を立てることが不服なら、それ以上の意義を与える。
処刑人を続ければ、逃げた弟と再会する可能性は高い。そう言ってやれば真面目で馬鹿なモーネのことだ、仕事を続けると言うだろうと思った。
そしてモーネの小さな口が開く。
「とどめを刺すのは、わたし」
思わず、喉からクッと出掛かった声を押し殺した。不審に思ったモーネが覗き込むと、ケイリーは顔を逸らし、帽子を深くかぶり直した。
「……なるほど、そっちね」
あからさまな空咳をし、喉の調子を整える。
「あー、そういうことだ。ここに留まって仕事するの、悪い話じゃないと思うぞ。給料も悪くねえし、弟の情報も手に入りやすくなる」
モーネは考えた。
ここにいれば、弟が生きているか否か、わかるかもしれない。あの諸悪の根源を、無に帰すことが出来るかもしれない。それを見届けられたなら、どんなに心安らぐことだろう。
あれは生かしておいてはいけない。
暗がりの中、モーネの目の色が変わったのを見て、ケイリーは内心ほくそ笑んだ。
「どうだ? また一緒に頑張ろうぜ」
差し出されたケイリーの握手を、モーネは受け入れた。
そして何人目何回目の命乞いだったか。
幾つも罪を負った犯罪者の男だったか、酒場で盗みを働いた娼婦だったか、先の短い老人だったか、お腹の大きい女だったか、年端もゆかない少年だったか、わからない。
彼らが本当に罪を犯したのかどうかも、わからない。何もわからないし、わかりたくもない。
けれど大鎌を振り下ろした瞬間、音がした。
自分の心が壊れる音。
それ以降は何も感じなくなった。
助けを乞う人の声も泣き叫ぶ顔も、何も。舞台に立ち照明を浴びれば、あとは動くものが無くなるまで機械的に大鎌を振り下ろす。そうすると気持ちが楽だった。安らぎこそないが、苦しみも躊躇いも無かった。
ただ仕事をする。それだけでいい。
何も考えない。何も感じない。
自分は処刑人なのだから。




