第三話 揺りかご
「で、どうされるんです?」
「母親を捜す。それしかないだろう」
長年この屋敷を取り仕切る執事長のハンスに問われ、マティオスはため息を吐いた。今後の話をするため、執事長の部屋にやって来たのだ。
「捜してどうするんです? 正妻に迎えますか、それとも妾ですか?」
「それは相手の家柄による、……って」
「はいマティオス様、人として失格です。しかし貴族としては合格ですな」
「ああ、もう!」
珍しく頭を搔き乱すマティオスを横目で見、ハンスは飄々と言ってのける。
「まあまあ、まだ本当にそうと決まったわけでもございませんし。しかし、仮にもお世継ぎの候補が出来て良かったではありませんか。なかなか身を固められないのでこちらもヤキモキしていたところです。母親など見つからずとも、マティオス様でしたら妻のなり手などごまんとおりますよ。形さえ整っておりましたら世の中どうにでもなります。どこの家の誰がきちんとした嫡子であるかなど、実際わかりはしないのですし」
「ずいぶんと含みがあるな?」
「おほん、失礼致しました」
蓄えた上品な髭をほほほと揺らす。そしておどけた調子を改め、ハンスは神妙な顔をした。
「未だモーネ様を気にしておられるのですか」
その話が出てくるとは思わなかったマティオスは、らしくもなく言葉に詰まる。執事長は一つ咳払いをした。
「クレイセンはとっくの昔に潰れております。父上とご学友であったクレイセン卿との、親同士の勝手な口約束にすぎぬ婚約です。すでに破談になっておりますし、彼女も気にされてはいないでしょう。むしろ相手にされていない」
「ハーンス」
「失礼」
低い声で咎められ、ハンスはわざとらしく目を瞬かせた。
マティオスは壁にもたれ掛かる。
「別にそのことはおれも気にしてないよ。ただ……」
「ただ?」
考えてはいる。彼女をどうしたいのか。自分はどうしたいのか。自分の彼女に対する気持ちは何なのか。
それはきっと恋とか愛とか、そういう類ではない。もっと根本的で、そして生々しいもの。未練、後悔、執着。きっと名づければ陳腐なもの。手放してしまった方が建設的だ、お互いの未来のために。
でもどうしても手放せない。自分の足元に、根に絡みついて離れない。まるでそれが自分を自分たらしめているとでもいわんばかりに。それこそが地面に、自分をなんとか支え、立たされているようにすら思える。
「どうしたらいいのか、わからない」
ずっと、もうずっとだ。
主人の表情が翳ったのを見、執事長はおもむろに眼鏡をかけ直す。
「マティオス様が女性にまったく相手にされていないなんて……。わたくし今まで生きてきて、こんなに愉快なことは初めてですよ」
「悪かったよ、さんざん迷惑かけてきて」
苦笑した主人に、執事長は老いた目元を細めた。
「そう思うのであれば、わたくしどもの多少の小言は流していただけると有難く存じます」
「もう、これくらいで呼ばないでくださいな」
赤子のおしめを開いたメイアンは、腰に手を当て頬を膨らませた。少し怒られて、フリッツは恐縮する。
「え、でも。おしめが汚れたら呼んでって」
「そうは言いましたが、こんなちょっとで替えていてはいったい何回替えることやら。赤ちゃんも泣いていないし、まだいけます。とはいえ、本当にマティオス様のご子息であるならそんなことも言っていられませんね」
「メイアンさん、赤ちゃんに詳しいんだね」
最近結婚したはずだが、まだ子どもはいなかったはずだ。メイアンはふふんと胸を張る。
「姪っ子甥っ子がたんとおりますので。休日返上でシッターやってるんです、ある程度のことはわかりますよ」
日当たりが良く風通しの良い一室。そこに揺りかごが置かれ、赤子は機嫌良さそうに手を天へとかざしていた。
髪は赤毛で、瞳は黒い男の子だ。マティオスの面影はどこにもない。全て母親譲りのものなのだろうか、マティオスの子である事実を決定づけるものは何も無かった。
メイアンが赤子を抱くと、口を小さく開いて笑った。基本は機嫌の良い赤子のようだ。腕に抱いたまま、持ってきたぬるめの粥を一匙すくって赤子の口に運んでやる。あまりにも慣れた手つきに、フリッツはその様子を感心しながら眺めていた。
「それにしても、この子ちゃんと食べますね。まだお乳だけ飲んでいてもいい月齢なのに。もしかしたらこの子のお母さん、なかなかお乳が出なかったのかもしれないわ」
身体の不調か、貧しさからか。
いずれにせよ、この子を置いていったのは本意だったのかもわからない。腹を痛めて生んだ我が子を手放す心情など、フリッツには想像しても想像しきれないのだが。
小さなぷっくりとした唇が動くのを見て、モーネがぼそりと口を開いた。
「食べてる」
モーネが近くにいたことに気づかなかったメイアンはびくりと肩を上下させた。危うく匙を取り落しそうになり、フリッツは慌てて手を伸ばす。
「モーネ様! そこにいらっしゃったんですね! あまりにも静かで……驚かせないでくださいな」
メイアンは粥を食べさせ切ると、フリッツとモーネとに何かあったら呼ぶようにと言い、自分の持ち場へと戻っていった。
開け放った窓。レースのカーテンと木漏れ日が揺れる。
フリッツとモーネは、特に言葉を交わすこともなく赤子を見ていた。
いの一番に逃げてしまったのはラクトスだった。ミチルはチルルとジベタリュウの世話があるからと出ているが、きっとチルルは後ろ髪引かれる思いだっただろう。
ルーウィンはリハビリと称しティアラを連れて行ったが、それは自分が厄介ごとから遠ざかる手段であり、同時にティアラのためであることもわかっていた。赤子を見て、亡くなったカーソンや妻のメアリを連想してしまうかもしれないという、彼女なりの気遣いなのだろう。
手の空いているフリッツとモーネとが残り、今に至る。
ここまでくると会話が無くとも、特に話を探そうという気にもならない。フリッツにとってモーネとの沈黙は当たり前で、最近ではむしろ落ち着くと感じることさえあった。
ただ穏やかな時が流れていれば良い。
「赤ん坊や小さい子どもを見ると、思い出す」
すうすうと寝息を立てる赤子を見つめ、不意にモーネが言葉を漏らす。
「ジンノのこと?」
フリッツが返すと、モーネは頷く。主語がなくとも、何を話そうとしているのかわかるようになった。
「この子はとてもいい子。あの子は泣くと大変だった」
モーネは赤子の小さい手をそっと握った。
「ガラスや陶器が割れた。母様のお気に入りの皿も、わたしのカップも。物がひとりでに動き出す。だからあの子が泣き始めると、母様はすぐ抱きに行った」
その場に、モーネを残して。
「ジンノとは、遊んであげたりしたの?」
「しない。あの子とは極力関わりたくなかった」
きっと何もかもがジンノを中心とした生活であったことは想像に難くない。それでも魔力を制御できない子を帝国に奪われまいと、両親は必死に世間から隠し通そうとしたのだろう。
少し羨ましい。
赤子に視線を落とすモーネに、フリッツは言った。
「漆黒竜団にいる間、ジンノとも会ったよ。その……あまり友好的ではなかったけど。でも帝国の兵士が押し寄せてきたとき、巻き込まれないように逃がしてくれたんだ。その時、言われた。ぼくは兄さんのことを知る機会があったのに、それをしなかった、って」
モーネは黙って赤子を見つめている。フリッツは続けた。
「兄さんは不在だったけど、その気になればいくらでも聞けたんだ。ルビアスやシアやジンノから。でもあの時は捕まった怒りとルーウィンの心配とで、それどころじゃなくて……。いや、そうでなくても、ぼくはもう兄さんのことを諦めてたのかもしれない」
昼近くの、穏やかな日差しが注ぎ込む。
中庭の鳥のさえずり。そよ風が赤子の頬を撫でる。
「昔は大変だったと思う。きっとぼくが思ってる以上に。でもジンノのこと、もう少し知ることが出来たら。何か変わらないかな、モーネの中で」
モーネは黙っていたが、聞いてくれていることはわかっていた。そして自分のことを棚に上げていることも重々承知の上だ。
ジンノの言葉が胸に刺さっていた。あんなのは姉じゃない、とも言っていた。
仲が良くないのはわかる。しかし二人が互いを知らず忌み嫌いあっていると思うと、何かがフリッツの中で引っ掛かって、言わずにはいられなかった。
きっとモーネは幼い頃、こうしてジンノの揺りかごを眺めていたのだろう。
自分たちにもそんな頃があったのだろうか。アーサーが小さな揺りかごを覗き込み、赤子の自分を見つめている。
そんな頃が。




